「個性」という言い訳
個性が適用する幅はとても広い。
必ず時間通りに来るのも「個性」と言えるし、必ず遅刻するのも「個性」と言える。
自分と違う価値観を持つ人に対して興味があるから、私は個性的な人が好きである。
ただ、「個性」を言い訳に使うやつは好かない。
例えば、遅刻したときにそれも個性だからと本人が言う場合。
開き直ってんじゃねえよと思う。
「個性」は良い意味でも悪い意味でもなく、「ほかの人と違う」という事実である。
だから、「個性的である」を免罪符に使うことはできない。
ただ、文章を書くときや、絵を書くときに「これが自分の個性だから」と自分の勉強不足を隠す言い訳にしてしまう。
「個性」は本当に使い勝手が良い言い訳である。
私の場合、小説に出てくる手提げかばんの「バッグ」を「バック」と書いていたことがあった。
そのことを指摘されるまで、私は本気で「バック」だと思っていた。
「バック」じゃなくて、「バッグ」だよと指摘されたときに、それも「個性」じゃんと自分の中で言い訳した。
ファッションに何の興味もない人を表すには、丁度いいじゃん。となんなら開き直った。
しかし、ファッションに興味がない人の描写と思う人より、誤字じゃねと違和感を持つ人が多い。
また、あえて「バック」と書いているならいいが、あえて書いたわけではない。ただの間違えである。
現在、公開している小説では、「バッグ」に直している。
指摘してくれた人はありがとう。
とにかく、何かを表現したときに、知識不足の事を「個性」だと言い訳をして、何も勉強しないのは違う。
勉強しないことは、「ほかの人と違う」ことではない。
みんなと同じである。
勉強して消える個性など個性ではない。
無知だ。
まあ、それができないから困ってるんだけどね。
勉強なんかしたくない。
あーあ、一緒に勉強してくれるやつ いねーかな~
カメ
サポートされた暁には、しっかりと喜ぼうと思います。 普段飲む牛乳のランクを一つ上げます