見出し画像

旅行先でも日常と同じように過ごす利点

先週の日曜から今週の日曜まで、まるっと一週間掛けて旅行に来ています。台湾の台北から南下していき、高雄国際空港で飛行機に乗り今は香港に来ています。


以前は、旅先に着くや足を棒にして観光地を回っていました。どんな国にも歴史的価値ある観光地というのがあり、多くの観光客はその地を巡ります。

自分もまたその中の一人としてトリップアドバイザーのランクをにらみ、綿密なスケジュールを組んで「全部制覇するぞ!」と意気込んで見に行っていました。


でもそういう旅行の仕方はやめにしました。


観光地制覇を念頭に置くと、旅をタスクのように感じてしまいます。以前の自分は、それこそEvernoteにチェックリストを作り、その順番通りに巡っていました。

目的地に着いたら、ウェブサイトで見た建造物の写真をパチリ。ポイントとなる場所を確認し、チェックボックスへ印を付け、次の目的地に向かう。こうして言葉にしてみると味気なく感じますが、実際のところ観光地巡りというのは味気ないものです(だって、そうでしょう?)。

自分が本当に見たくて憧れていた場所なら、きっと興奮するでしょう。一方、「この国へ来たなら、押さえておくか」というテンションだと、はっきりいって感動はありません。なぜ感動がないのか。観光をタスク処理化しているからです。


では観光地へ行かず、自分は何をしているか。写真を撮るので、早朝と夕刻にカメラを持って街へ出かけます。その他の時間は適当な街の適当なカフェへ入り、Kindleで本を読んだりパソコンで文章を書いたりしています。

Kindleを読んだり文章を書いたりは、日本でもできることです。それこそ自宅でだってできる。でもこれがいいんです。異国の地のカフェで本を読んだり文章を書いたりする、ただそれだけで充実した気持ちになります。

何も小洒落たカフェでなくてもいいんですよね。国道沿いのチェーン店のコーヒースタンドでも、同じように満たされた気分を味わえます。


今は香港の銅鑼灣という駅の近くにいます。街を歩いて、目についたカフェに入りました。近くの席から英語の会話が聞こえてきます。別のテーブルからは中国語が聞こえてきます。

それらは自分とは関係のない会話です。日本の生活では会うことのない人々の、ごく日常的な生活。

その中に身を置いていると、少し宙を浮いているような不思議な感覚になります。この場所にいながらどこにもつながっていない。その事実が、体中に心地よい緊張感を与えるんです。

本を読んだり文章を書いたりすると、感覚が鋭敏になっていることに気づきます。いつもとは違ったアイデアが出てくるのは、こういったことに理由があるのかもしれません。


日本で同じような毎日を送っていると、徐々に気持ちが停滞していくのを感じます。代わり映えしない風景に囲まれていると、体が緩んでくるんです。

年に何回か海外へ旅したくなるのは、きっとこのルーチンから一旦、離れたいからです。異国の地へ行って、違う感覚を持った自分を体験したくなる。それは観光地巡りでは味わえない感覚なのです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?