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令和元年に改めて書く、ノマドワークの良さ

令和元年を迎えたというのに、今さらながら「ノマドは良い」という記事を書きます。

ノマドという言葉が生まれたのは、2010〜2011年くらいと記憶しています。そのころ堀江貴文さんが収監を前にして、「出所したら家を持たずノマドになる」と宣言していました。それを聞いて、「ノマドってなんじゃらほい」と検索した思い出があります。

同じころに「ノマドの女王」と呼ばれた安藤美冬さんが登場。スターバックスの店舗も増え、「スタバでMacBook Airでドヤ顔」とノマドがファッションのように扱われはじめました。

時が流れ、2019年現在。4G回線でスマホからテザリングが当たり前になると、いちいちノマドと呼ぶのが面倒になるくらいそのスタイルが一般化しています。ぼくも毎日のように外へ出かけ何かしらの作業をしています。

ぼくはフリーランスのため、家ですべてを完結してもいいんです。それでも1日に一度はパソコンなりタブレットを持って、街中のコーヒーショップへ出かけています。

これって効率だけを考えればあまりよろしくないことです。単純に移動分の時間がロスしますし、お金も掛かる。

でもノマドは効率のためではないんですよね。当然ながら、ファッションでもないです。それは新しい発想を生み出すための有効な手段なんです。

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世に出すか出さないかは別にして、ぼくは毎日なにかしら文章を書いています。書く行為を繰り返して思うのは、同じ環境だとだんだん質が落ちてくること。

これはもちろん個人差のある話です。同じ場所じゃないと書けないひとはいるでしょう。場所だけでなく、「時間も道具(パソコン)も同じじゃないと一文字も書けない」そんなひともいるかもしれない。

なので個人的な話になるんですが、ぼくは同じ場所で書いているとどんどん文章を書くのがしんどくなってくるんです。

そもそも書きたい事柄がうまく出てこないし、ひねり出してもいかにも無理やり文字数を稼いだ潤いのないものになってしまう。一言でいうと、書いていて気持ち良くないんですね。

しかも具合の悪いことに、ノマドでも同じ店ばかりへ通うと飽きてしまう。毎日、別の場所へ行ったほうがはかどります。

これはなぜなんだろうと、つくづく不思議に思います。

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その理由としていちばん最初に思いつくのは、刺激を受けることです。

ノマドをすると単純に目の前の景色が変わります。ずっとディスプレイを見つめるにせよ、目や耳から周りの様子が絶えず情報として入ってきます。自分の部屋ではかわり映えしない風景も、一歩、外へ出れば変化があります。なおかつ毎日、別の場所へ行けば変化が絶えません。

刺激を受ければ、脳は普段より活発に動きます。何しろ原始時代は、場所を少し変えただけで野獣に襲われるリスクが生じました。そのときの名残りが遺伝子に残っていて、場所が変わると脳は外部の刺激に敏感になるのでは、なんて思っています。

もうひとつ、移動によって必然的に体を動かすこともありますね。これも発想を豊かにする理由かなと思います。

家や会社のデスクから動かずにいると、下手すれば何時間も椅子から動かない状況になる。外へ出るだけで体を動かすことになるし、血の巡りが良くなり思考力もアップするのではないでしょうか。

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変化の面でいえば、文字入力の方法を変えるだけでもそれは起こせます。いつもノートパソコンを使っていれば、たまにはタブレットに変えてみる。いつもタブレットを使っているなら、外付けのキーボードを別のものにしてみる。

こんな小さなことでも、発想に変化が生まれます。つくづく人間の感覚というのは不思議で、また面倒なものだと思います。

あと、いちばん変化を感じるのは、言うまでもなく海外へ行ったときですね。別の国へ行くとありとあらゆるものがガラッと変わるんです。言語も通貨も交通手段も、なにもかもが。

たまに海外へ一人で行くと、アウトプットの量が飛躍的にアップします。新しい情報を得て書きたいことが増えるのと、脳が絶えず刺激を受け発想がどんどん生まれるんでしょうね。

と、そんなことを初めてのコーヒーショップに立ち寄って考えてみました。コーヒーもちょうど飲み終わりました。ではこの辺で。

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