国語科教員になりたかった私の話2「K先生がくれた本」
さて、そこそこの受験勉強を終え、無事に第一志望校に進学することができると、環境が激変した。
仲の良かった友達は全員小学校からそのまま上の中学に上がってしまったため、本当の一人ぼっち生活がスタートしたのである。
そしてさらにストレスフルな環境に仕立て上げたのが、「内部 vs 外部」対立だった。
初等学校から進学してきた一部の生徒が、中学受験で入ってきた生徒(外部生と呼んでいた)を邪険にするというもので、いま考えるとかわいいものだが、当時の私にとっては多少頑張った受験勉強が無意味なものに感じられるには十分な出来事であった。
3学年18クラスにはそれぞれ植物の名前が付けられていて、私はH組。
三年間、クラスメイトも担任も変わらないという制度であった。
仲良しが出来れば天国、失敗すれば地獄。
そんな中で楽しみだったのは、国語の授業だった。
担当教員は女性のK先生。
数学科の先生と結婚されていたので、不便が生じないように、苗字と下の名前の一部を取ったあだ名で呼ばれていた。
確か専任ではなかったように記憶している。
初めて教室に入ってきた時から、その雰囲気に一目惚れし、言葉の選び方や仕草がとても丁寧で、憧れた。
私は以前にも増して、国語の勉強に熱心になった。
K先生は、読書ノートというものを推奨していた。これは、一冊のノートを専用に用意し、一ページに一冊分の読書感想文を記録していくもので、提出すると、これまた丁寧なK先生のコメントが美しい文字で書かれて返ってくるのであった。
私はせっせとこのノートを提出した。
コメントが返ってくることはもちろん、他の人からは見えないところで先生と自分の読んだ本の話をできるのが嬉しかったのだ。
テストで良い点数を取ると、みんなの前で褒めてくれた。
夏休みの課題図書は何度も読んだ。
課題以外の本の話をたくさんした。
暑中お見舞いと年賀状も送った。
こんな感じで、私は中学一年生の一年間、充実した国語ライフをおくったのであった。
三学期の最後の授業、K先生は大きな段ボールを抱えて教室に現れた。
その中に入っているのは、先生がH組の一人一人に選んだ新品の文庫本達であった。
私は自分の名前が呼ばれるのが待ち遠しかった。「西田」は24番。半分以上のクラスメイトが本を受け取って、やっと私の番がまわってきた。
私のためにK先生が選んでくれた本は、宮本輝の「錦繍」。
本と一緒に渡されたメッセージカードは、未だに実家の本棚の、私の目線の段に飾ってある。
K先生の存在は、私が教員を目指す気持ちを強くした。
K先生と一緒に仕事がしたくなった。
職場が同じになれば、またこういう濃密な時間を過ごせるようになるのではないかと思った。
そんなに好きな学校ではなかったけれど、将来はこの学校の教員になろうと決めたのだった。
(国語科教員になりたかった私の話3に続く。)
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