第一印象の科学、または日本語がお上手ですね

「日本語がお上手ですね」と、褒められることがある。
飲食店で、スキー場で、資料館で、様々な場所で。
その「上手ですね」は、外見から、母語が日本語でない者が日本語を習得したという前提での褒め言葉である。私の父親は外国人だが、母親は日本人で、日本生まれの日本育ち、母語は日本語である。
そのまま受け流すときもあれば、明るく(重要)「日本生まれです!」とか、答えることもある。なにが正解かはわからない。
私にとって私の顔は、美醜以外の軸でも、私を悩ませる。

と、いうのも、年々、「もしかして、ハーフですか?」と聞かれるより、「日本語がお上手ですね」と言われる確率のほうが高まっている気がするからだ。気の所為か、同行者の人種の違いか、いる場所の違いか、いまいちつかめない。
加齢によって変わった私の顔の要素が影響してる? 化粧の具合? どこがどう作用しているのか、理解したい。

私は典型的「ハーフ美少女」として育ってきた。
この「ハーフ美少女」とは多様なミックスルーツの少女たちとは乖離したフィクション的概念として、私が使う用語である。
私の顔の美醜それ自体というよりも、「ハーフっぽい」顔なことによって「美しい」とされ、「可愛い美少女」だと大人たちは話していた。
私の眼の前で私の顔の話が繰り広げられる。
ふむ、私はハーフだからハーフらしい顔なのだろう、と思う。髪が茶色で目が大きい、色が白い、という話はよくされた。
しかし、髪が茶色のミックスルーツではない日本人もいるし、目が大きいミックスルーツではない日本人もいる。色が白い人だって。

様々な顔の人間がいるが、人種ごとの典型的顔をグラデーションさせた場合、私はどの位置にいるのか。そして私は日本において「どう見える」のか、気になって仕方がない。そして、海外ではどう見えるのだろうか……
というような話をXでつぶやいていたら、この本をおすすめされた。

『第一印象の科学 なぜヒトは顔に惑わされてしまうのか?』である。

顔を科学するのに人種の話は不可欠である。
だから私の知りたい答えがあるかと思ったが、人種に関わる面白い研究は数あれど、どの研究においても人種(やその国の普通の顔とされるもの)は自明とされ、「混ざっている」人間のことは記されてなかったのは残念だった。

イスラエルの心理学者カーメル・ソファーが行った実験は興味に近いものだった。
カーメルは、典型的な若いイスラエル人女性と、典型的な若い日本人女性の顔をモーフィングという数十枚の写真を重ね合わせる手法によって作成した。そして、2つの典型的な顔の間の補間画像をつくり、グラデーションを作った。
イスラエル人女性と日本人女性がこれらの顔の信頼性について評価すると、それぞれの国の典型顔に近づくほど信頼できるという結果になった。
つまり、日本においては、「日本人の典型顔」から離れているほどに信用なく見える、というもの。

私の顔はどちらかといえばイスラエル側にある。というより、正直、イスラエル女性の典型顔が、ミックスルーツだったり、あと九州によくいるくっきりした顔にも見えて、私にとっては全員日本人だと言われても意外に思わない顔立ちだったので驚いた。
それでもそんなに見慣れないものなのか。

不思議だし、悲しい結果だ。
日本人の典型顔から離れている私は「信用されない」顔。

しかしこうも言える。「ハーフ」と呼ばれるミックスルーツの人間がその苦難を訴えても、「気にし過ぎ」「得もしてきたでしょう」「日本が嫌なら出ていけば?」など心無いことを言われる構造は――日本人の典型顔から離れていることによる「信用されなさ」も一因にあるということだ。これは苦難の証明となる結果でもある。

そして私が「日本語上手ですね」と褒められるときは、その発言者の日本人女性の典型顔から外れていた、ということである。
この「典型」は見るものの経験によって変わっていく。人は見たことのある顔の平均顔に親しみを持つ。
「ハーフ美少女」はある種の典型ではあったから、そこにすぽっとハマった子供の頃の私はいつもわかりやすい反応を得ていた。
今の私の顔はどこの典型からも外れているから、日本語を褒められる場合もあれば、特に何も言われず日本人として扱われる場合もあれば、「もしかしてハーフですか?」のパターンだって今もある。そういうことだろう。

しかし、まだまだなにも納得できない。
私の顔は人種・その国の典型からするとどこの位置に属するのか、示したデータはないのだろうか?
私の興味に当てはまる実験や研究や本の情報、募集中である。

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