潰れたケーキのクリーム部分

どう言えばよいのか。

例えば、精神に変化が訪れるような薬を飲んでアイデンティティについて悩む、という文章を読むと、実は少しまぶしい気持ちになる。
彼らはもともとそれほどまで自分のアイデンティティがあったのか、と。

私は私があるという気がしないし、短絡的な願望はあれど(眠いとか、あれが食べたい、とか)、長期的に実のある望みやそれに向かって地道な努力をするような、アイデンティティと言えるような一連の流れ、どうもよくわからない。あるとは思うがとても薄ぼんやりとそこにある感じで、私には今この瞬間にしかないように思えるし、過去は迫ってくる。数年先の計画なんてぞっとする。

私は人生で数回完全に自己が潰れきってしまった経験があり(そのうちのひとつが記事にも書いた高校中退である)、そして自己が潰され消えていった先に何もなく、でも強情な世界への拒否だけがあり、状況はどんどん悪化していった。
実は私がアイドルとして表に出ていた間も、世界との距離に混乱しており、その混乱で新しく出会った人々とのコミュニケーションもうまくいかなかった。

私の価値は捏造されているのではないか。本当は無価値なのではないか。そのような恐怖に震えていたのだった。実際無価値でも価値あるように見えていたのならラッキーなのに、そういうふうには思えなかった。

今私に自己があるか正直自信を持ってイエスとは言えない。
潰れたケーキからこぼれたクリーム部分がなんとか喋っている、という感覚である。

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