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みをつくしても逢はむとぞ思ふ【小説ノック20】

 嘉代先輩のこと、好きかもしれない。大学のコピー室でレポートを印刷しながら、ふと考えた。
目の前の複合機は、懸命に紙を吐き出している。後は綴じて提出するだけの紙を、僕はただ立ち尽くして待っていた。
別に、今初めて考えたことじゃない。ここ数ヶ月、そうかなと思いながら、考えないようにしてきたことだ。だから今みたいにぼんやりしていると、嫌でも考えてしまうのだった。
「あ、越島さんだ」
 と、部屋に入ってきたのは、同級生の黒田さん。ショートボブにピアスの揺れる、可愛らしい女の子だ。
「越島さんも印刷?」
 複合機にコインを入れながら、黒田さんは言う。
「うん。中古文学」
「あれ、金曜日〆切でしょ?」
「早めに出さないと、気が済まなくて」
 僕よりも十センチ以上背が低い、黒田さんの後頭部を見る。本当は、こんなふうに可愛い女の子が好きなはずだったんだけどなあ。なんて、今更意味がないんだけど。
「越島さんしっかりしてるよね。私なんか、いっつもぎりぎり」
「え? じゃあ今印刷してるのは?」
「これは部誌ですー」
「余裕だね……」
 黒田さんは、にっと笑ってピースをした。お茶目なところは、この人の良いところだ。
「大丈夫。今日朋くんと一緒にやるのです」
「朋くん、って?」
「木山朋彦だよ、同じ学年の」
 木山、ああ。あの背が高くて、いっつも変な服着てる木山くん……って、朋くん? 黒田さんと木山くんって、そんなに仲が良かったっけ?
「先週から付き合ってるの」
「マジ?」
「大マジです」
 ふっふっふ、と誇張した笑いを浮かべながら、黒田さんは携帯を取り出した。見せてくれたのは、木山くんとのツーショット。本当に、付き合ってるんだ。ちょっと意外。
「えー、初めて知った」
「そう? まあ越島さんは、男子とか興味なさそうだもんね」
 やっぱり、そう見えるんだろうな。僕は……今のところ、大学ではボーイッシュな女子ということにしているから。自分のことも僕って言うし、スカートは履かないし。
 厳密に言うと、僕の性自認は曖昧だ。女でいたいわけでもないけど、男になりたいわけでもない。それってちょっと、他人にわかってもらうには説明が面倒くさい。ボーイッシュという仮面をかぶっているのは、ある意味で楽だからだ。
「あ、もしかして、女の子の方が好きだったりする? ここだけの話」
 黒田さんが、声を潜める。なんか、気を遣わせちゃったかな。
「いやー、どうだろ。わかんないや、まだ」
「そうなの?」
「うん」
 ふうん、と黒田さんは複合機に向き直った。僕に興味があるのかないのか、どっちなんだろう。
「まあね、大学なんてモラトリアムだからさ。悩むためにあるようなもんでしょ」
「そうかな?」
「って、お姉ちゃんの受け売りなんだけどね。あ、うちのお姉ちゃんはね、女の人が好きなの。今は東京にいるんだけどさ」
 そんなこと、いきなり言われても困ってしまう。感情が顔に出ていたんだろう、黒田さんが大丈夫、と手を振った。
「お姉ちゃんは今活動家? みたいなことしてて。いろんな人に知ってほしいんだって。だから言ってもいいの」
「そうなんだ」
 ちょっと、ほっとした。
「越島さんも、いっぱい悩んだらいいよ。私も悩むし。朋くんの服のセンスとかさ。あれ、格好いいと思って着てるんだって」
「マジ?」
 全身違う柄の服を着てた時も? 本当に?
「うん」
 黒田さんの顔はいたって真面目だった。今日一番の衝撃情報に、話していた内容が吹っ飛んだ。なにそれ、と思わず笑いがこみ上げてくる。
 黒田さんもつられて笑い出す。と、コピー室の戸が開く音が聞こえた。僕たちはそそくさと紙をまとめ、複合機から離れた。
 入ってきたのは、件の嘉代先輩だった。複合機とにらめっこをして、スキャナーを開けたり閉じたりしている。
「先輩?」
「わ、越島さん」
 知り合いがいるとは思わなかったらしい。声をかけた先輩は、過剰なくらい驚いていた。
「使い方、わかります?」
「あー、これ、どこに差すのかわからなくて」
 先輩の右手にはオレンジ色のUSBが握られている。差し口は確か――。
「ここですね」
「あー、ここか、ありがとう!」
 にへーっと笑った嘉代先輩を見ていると、ふわふわとした気持ちになる。ふと黒田さんを見ると、誰? というような顔をしていた。
 それはそうだろう。嘉代先輩は、僕たちとは学科が違う。黒田さんは多分、会ったこともないはずだ。
「美術科の、嘉代清志朗先輩。去年の学祭で知り合って。ね」
「いえーい、嘉代でーす」
 先輩は、ふざけたポーズをとって黒田さんに挨拶した。黒田さんはというと、ちょっと引いたらしい。無難に会釈で返した。
「何印刷してるんですか?」
「展示会のチラシ。来月から美術棟でやるんだけどさ、もーたくさん刷って配りまくれって言われてて。経費削減のために白黒印刷だよー」
「大変ですね」
「でしょ? 前回人が来なかった反省らしくて。配るのは良いけど、どーしよってなってるの、今」
 ごうんごうんと音を立てる複合機の前で、唇を尖らせる先輩。その可愛らしい仕草が、どうしようもなく似合っている。
「どうしようって?」
「だって、毎日門のところでチラシ配り、って訳にもいかないでしょ? でも、美術科だけだとたかが知れてるしさあ」
 あーどうしよ、と先輩は溶けるようにぐんにゃりと、しゃがみ込む。僕の心の中のふわふわとした感情が、ぴっと反応した。
「手伝いましょうか?」
「え?」
 嘉代先輩の目が、きらきらと輝いている。
「分けてもらえれば、文学科でも配りますよ。興味ある子もいるでしょうし」
「そっか! そうだよねえ。ぜひお願いしたいなっ」
 絵に描いたような、るんるん状態の先輩は本当に可愛い。これで二十歳って嘘だろ? という漫画みたいなことを考えた。
「あ、でも今分けると、枚数訳わかんなくなっちゃうな。刷り終わったら一緒に来てよ」
「はい、勿論」
 嘉代先輩の笑みにつられて、僕もにへーっと笑う。この人はくるくる表情が変わって、見ていて飽きない。だから好きなのかなー、なんて考えてしまうのだ。
「越島さん」
 あ、黒田さんがいたんだった。はっと我に返ると、黒田さんはにっと笑う。……バレた?
「なんだか、大きなお世話だったみたいだね」
「……いや、うーん。どうだろ」
「ま、頑張って。悩み事あったらいつでも聞くし」
「あー、ありがと」
 黒田さんは、じゃ、と手を振ってコピー室を出て行った。複合機は、まだうんうん唸っている。

***

中古文学→ざっくり言うと平安時代の文学のこと。

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