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ハードコアな夜 【1/5】
■
それは電柱の影から人の家をこっそり盗み見るのに、ぴったりの夜だった。
思っていたよりいい家だ。
そのの窓から漏れる光がとても暖かく見えた。
早くあの光とぬくもりの中に仲間入りしたいけど、約束の時間までまだ15分ほどある。
15分!
この木枯らしの中では永遠のように思える時間だった。
おれはナップサックを開けると、すでに読み古してぼろぼろになっている“台本”を取りだした。
台本といっても、50枚ほどのA4コピー紙をペーパークリップで留めたものだ。
それを1週間前にもらってから、それこそ暗記するほど読み尽くしている。
また家の灯りを見て、それから腕時計を見る。
家も、腕時計の針が指す時刻も、まったく変化なし。
おそろしいほど体感時間が長くなっている。
あと15分!時間厳守が“奥さん”の注文とはいえ、それにしても長かった。
と、自転車でパトロール中の制服警官が通りかかる。
やばい、と思った。
いや、やばいことなどなにもない筈だ。
おれは何も悪いことなどしていない。
しようともしていない。
していないが、これからしようとしていることを理解できるまともな人間はどこにも居ないだろう。
だいたい、手に抱えていたナップサックの中を見られたらどうなるんだ。
これは、言い逃れができない。
悪いことに…警察官はおれに興味を引かれたらしく、しばらく行ったことろで自転車を停めると、胡散臭げにおれのほうを見た。
「…………」
おれは思わず、視線を足元に落としてしまった。
人間やっぱり、心にやましいところがあると視線を落としてしまうもんだな。
夜中に警官に見られて視線を足元に落とすような男が、どれほど怪しく見えるか、想像がつきそうなもんだが。
警官は自転車を降り、ストッパーを掛けると、肩につけた懐中電灯を手に、こちらに近づいてきた。
おれはますます小さくなり、無意味に足踏みをし、時計を見た。
おれの顔に、懐中電灯の明かりが当てられる。
眩しかったし……その眩しさは警官のおれに対する猜疑心の現れだった。
「何してんの?」警官は言った。金属的にカン高い声だった。懐中電灯の光のせいで、警官の顔は見えない。「え??」
「……え?」おれは光から目を背けながら言った「……あの……その」
警官が懐中電灯を消した。
街頭の水銀灯のやさしい光に照らされ、警官の顔が見えた。
40代くらいのやせ形で…警官にしてかなり貧相なほうだろう…眉毛が殆どなく、一重瞼にうすい唇、低い鼻……何というかその……酷薄というのを絵に描いたような爬虫類ヅラだった。
いろんな警官が居るのだろうが、こんなタイミングで最も出逢いたくないタイプの男だ。
「ほら、あんた。聞いてんだけど」警官は言った「何してんの?ここで?」
「え……あの………その………」
おれはまごまごした。いかにも怪しげだったろう。
気が付くと、おれは抱えていたナップサックを、子猫でも抱きしめるかのようにひしと抱いていた。
「………」警官の目がナップサックに止まる。
「………あ。あの。友達と、その、待ち合わせしてまして。ええ。」
「…はあ」
警官がナップサックを見たまま言った。
これはピンチだ。
警官にナップサックを開けろと言われたら、これ以上最悪なことはあるまい。
……いやまてよ。
たしかこういう街頭の職務質問というものは、正規の手続きを踏んだ警察の捜査活動には当たらないので、職務質問された者はそれに応えねばならない義務はないはずだ。
拒否の意志を示すこともできるし、たとえそれで交番などに同行を求められた際にも、それさえ拒否できる。
おれが右手にデバ包丁を、左手に金槌をむき出して持って立ってでもしない限り、警察にはおれのプライバシーに踏み込む権利はないはずだ………
と、正確かどうかもわからない法知識で頭の中をぐるぐるかきまわしていると、警官が信じられないことを言った。
「そのバッグに、スキーマスクとか入ってない? ホラ、目出し帽とか。あと、ロープとか、手錠とか、ガムテープとか、ナイフとか、そんなもん入ってない?」
心臓が口から飛び出す…というよりは、肛門から漏らしてしまいそうだった。
「あ……え???」
おれは警官の顔を見た。
肉を一文字にカミソリで切った傷のような警官の口の端が、ぴくっと痙攣した。
つまり、警官はおれに……ぞっとするような笑みを投げかけてきたのだ。
おれの頭が真っ白になり、喉がカラカラに乾き、吐き戻しそうなほど緊張しているのをよそに……警官はおれに対する興味を失ったようだった。
警官が懐中電灯を肩に取り付けながら言った。
「冗談、冗談」警官はおれに背を向けて、停めてある自転車の方に歩いていった「寒いね。おやすみ」
そのまま警官は自転車を漕ぎ漕ぎ、行ってしまった。
……気が付くと、凍えるような寒さの中で、おれは背中にびっしょり汗を掻いていた。
スキーマスクにロープに手錠に目出し帽にガムテープ……それにナイフ?
それらの全ては、おれのナップサックに入っていた。
あの警官は霊能者かなんかか??
警官が唯一透視できなかったのは…このクリップでとめられた“段取り”と、おれの頭の中に記憶されたその内容だけだ。
出世するよ、あんた。
とおれは角を曲がりつつあった警官の後ろ姿に思った。
多分、あんたはその鋭い洞察力で、いつか大事件を解決するだろう。
と、我にかえって、時計を見る。
15分は瞬く間に過ぎていた。
死ぬほどのスリルだったが、いい時間つぶしにはなった……。
おれは“奥さん”の家に向かって、足を踏み出した。
■
玄関の門を開けて、ドアの前でナップサックを開ける。
黄色の間抜けな色の目出し帽が入っていた。
頭頂部に、真っ赤なぼんぼりがついている。
おれは周囲を伺うと、それを被った。
今、この姿を人に見られたら、どんなスペクタクルな言い訳をするべきか考えながら。
そして、ナイフを取りだした。よし、とりあえずオッケー。
しかし…本当によく出来ている。
刃の部分がゴムで出来ているようには全く見えない。
ドアノブを回す……段取りどおり、鍵は開いていた。
靴を脱いで家に上がり、短い廊下の突き当たり(と、いうのも段取りのままだ)のリビングを目指す。
ドアをバーン!! と出来るだけ大げさに起きた。
おれの心の中では、ジャジャーン! とファンファーレが鳴り響いていた。
“奥さん”とそのダンナさんが、おれに背を向けてテレビを観ていた。
はっと、二人がおれの方を振り返る。
“奥さん”は白いぴったりしたトレーナーに、ジーンズ姿。
3日前とは違い、化粧気がなく、髪もルーズにうしろで纏めていたけど、やっぱり相変わらず綺麗でエロかった。
ダンナさんのほうは、“奥さん”よりはず6つか7つくらい年上に見えた。
眼鏡を掛けて、痩せた体つきの、良さそうな人だ。
一瞬だったが、たぶんこのダンナさんみたいな人はよく人に好かれるんだろうなあ、と思って、おれも彼を好きになりかけた。
「……よーし!! 団欒はそこまでだぜ、お二人さん!!」
おれは叫んだ。
段取りでは“よーし、団欒はそこまでだ!”だけだったのだが、“お二人さん”は、おれのアドリブだった。
まあ、許される範囲内のアドリブだろう。
「なっ……」ダンナさんは、それだけ言って言葉を失った。
「……あ」奥さんは、ぽかんと口を開けておれを見た。
素晴らしい。
二人のリアクションは全く段取りどおりだった。
おれは危険極まりない刃渡り20センチのゴム製サバイバルナイフを振り回しながら、二人に駆け寄った。
そして段取りどおり二人の前に廻ると…二人は呆然としてソファから立ち上がれずもそれを見届けているばかり、という段取りだったが、それも完璧だった…ダンナさんの胸ぐらを掴み、ゴムの刃を目の前に突きつけた。
「ほら、大人しくしろ!! いいか、騒ぐんじゃねえぞ! 騒いだら目玉をエグるぞ!!」
言っとくが、この台詞はおれが考えたものじゃない。
そんな野蛮なこと、おれには考えもつかない。
「ひっ……」
ダンナさんは自分の目の前に突きつけられたゴムの刃を寄り目で見た。
「やめて……」“奥さん”がか細い声で言った「……ら、乱暴しないで」
「アンタらが大人しくしていれば、おれも乱暴はしねえさ」おれは言った。見事な台詞廻しだった「いいか、声を上げるんじゃねえぞ。そしたらおれは、乱暴しねえ。あんたらは、おれの言うとおり、大人しくしてればいいんだ。判ったな?」
「……か、金か……?」ダンナさんが見事に震える声で言う「……金なら、やる。だから妻には、乱暴しないでくれ。お願いだ」
「……金?」おれも負けじと言う「……おい、おれを強盗かなんかと、勘違いしてんのか?」
「……何だって?」ダンナさんが言う。
「誰が金が欲しいなんて言ったよ。おれはコジキか?」
「……え……?」
「……おれがコジキに見えるかって聞いてんだよ?!」
ダンナさんは、真っ青になりながらも、首を横に振る。
ほんとうビビっているようにしか見えない。
「黙って大人しくしてりゃあいいんだよ!」
そういいながらおれはダンナさんを立たせて、すこし強めにソファに押し倒した。
「きゃっ!」“奥さん”が小さく声を上げる「……や、やめてっ! ……お、大人しくしますからっ……」
恐怖に震えている(ように見える)“奥さん”は、このうえなく魅力的だった。
まるで近所のスーパーにでも買いに行くようなラフなスタイルだったけれども……それが“奥さん”自身の素材のすばらしさを引き立てていた。
玉子を逆さにしたようなシャープな輪郭の中に、切れ長の一重瞼と、小さな鼻、すこし目立つ厚めの唇がバランス良く配置されている。
先日会ったときもメイクはナチュラルな感じだったが、肌は抜けるように白く、今は蒼ざめて見える。
白いトレーナーを押し上げている勢いのある豊かな胸。
長いがメリハリのある脚はジーンズに包まれ、その造形の美をこれ見よがしに強調している……思い切り無意識に。
そして……こんなことを思ったのはその時がはじめてだが……
“怯え”の表情というのは何故かくも女性を魅力を引き立てるのか。
真面目な顔も笑顔もアノ時の顔も魅力的でなくても構わない。
とにかく、女性は怯えているときの顔さえ魅力的ならオッケー、という新たなルールがおれの中で芽生えた。
そしてこれから奥さんとすることを思うと……おれは耳鳴りがするくらい欲情していた。
へんな表現だったかな? そのとき実際に、耳鳴りがしたもんだから。
おれはナップサックから手錠を取りだすと、ダンナさんにを放り投げた。
本物の手錠だった。
以外と軽くて、ちゃちな作りに見えるが、頑丈なのは確かだ。
鍵がないと、それを外すことはできない。
「さあ、ダンナさん、それを手に填めるんだ。」
おれは言った。
「……い……いったい、君は何を……」ダンナさんが呆然としながら…呆然としているふりをしながら…おれを見上げる「お金なら、たいしてないが…今あるぶんは全部……」
「だから言ってるだろ?」おれはショートケーキもまっぷたつにできないくらい鋭利なゴム製ナイフをまたダンナさんにつきつけた「おれの目的は…………金じゃねえんだよ!!! ぐずぐずしてねえで、早くその手錠を填めな。言うとおりにしねえと、あんたの奥さんの顔に傷がつくぜ!!」
「……ひっ」隣で聞いていた“奥さん”が、すくみ上がった。
「……わ、わかった! わかったから落ち着いてくれ。ちゃんと手錠をするから……」
ダンナさんは大人しく自分の両手首に手錠を掛けた。
“奥さん”は少し紅潮した頬でそれを眺めていた。
ダンナさんも青ざめた顔を装ってはいるが、鼻息が少し荒くなってきているように思う。
「……さて、奥さん。立ちな」
「きゃっ……」
おれは“奥さん”の腕を掴んで立たせると、痛くないように気を遣いながらその腕を後ろにひねり、その背中を引き寄せた。
「いやっ……」奥さんは言った「……お、お願いっ、や、やめてっ……」
「おい! 妻に何をするんだ!!」
ダンナさんが叫ぶ。
「ひひひ……あんたが考えているそのとおりのことだよ!」
おれは出来るだけドスの効いた声を出したつもりだが、声が裏返っていた。
“奥さん”の首筋を自分の鼻でかき分けて、髪の匂いを嗅いだ。
風呂上がりなのか、シャンプーのいい香りがした。
やっぱり桃の香りだ。
「おい………き、君、まさか……」旦那さんが両手上のまま、ゆっくりと立ち上がる「た、頼む…………変なことは考えないでくれ………なあ、たのむよ。金なら……」
「座ってな!」今度は声を裏返さずに言えた。そして、大きく息を吸い込んで言う「……奥さん、ひひ…………たまんねえぜえええ」
「……やっ!!」
おれは奥さんの腕をひねり上げている右手はそのままに、左手を前に回して、ついにトレーナーの上からその豊かで、弾力のありそうな旨を鷲掴みにした。
「やっ……いやっ…………」ゆっくいと乳房を捏ねてやると…奥さんはなまめかしく、軟体動物の動きで躰をくねらせた。「………やっ、や、め……てっ……」
呆然と見ているダンナさんを見ると、見事にズボン前が突っ張っている。
世の中は広い。
おれは息を吸い込んで、序幕のハイライトであるその台詞を慎重に言った。
「さて………ご夫婦の寝室にご案内いただこうか……いつもやってるところでヤってやるよ。……それともお二人はいつも、リビングでしてんのか?」
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