見出し画像

詳しいことは知りませんが 【2/5】

前回【1/5】はこちら

 多分、ジュースになんか混ぜものがしてあったんだろうね。

 あたしの頭が、突然ぼんやりし始めた。

 眠いってんじゃなよ。

 なんか目を塞がれてるぶん、聴覚や嗅覚や触覚はますます研ぎ澄まされたみたいだったし、敏感になった感じなんだけど、そんな情報を整理する頭がぼうっとしているような、とろんとしているような。

 一服盛られたなって思ったよ。
 でも不思議と……クスリのせいもあったんだろうね……怖くはなかった。

 その手のクスリはやったことなかったんだけど、なかなか気分よかったよ。

 なるほど、こりゃハマる人はハマるわな、とあたしはぼうっとした頭で考えてた。

 そこからはすごく時間に対する感覚はとっても曖昧になった。

 車は静かなところを走ってたけど、それが4時間だったのか20分だったのかはわからない。
 おじいさんはずっと無言だしね。
 
 だからその20分だか4時間だかわからない時間が経ったあと、車は緩い下りのスロープに入っていった。

 車が下ってるな、という感覚はなんとなくわかったね。
 
 車が停まった。

 地下だったね。
 なんかシンとしてたもの。
 
 その後、車がなにかに乗り込んでガタタタン! って音がした。
 
 よく立体駐車場にある車用のエレベータみたいなやつに車が入ったんじゃないかな。

 おじいさんも運転手も無言だし、気味悪いってことは気味悪いけどさ、だいたい、前金で25万もらってる手前、質問しないのが無難かなって思った。
 
 エレベータはずいぶん長く(っていうのもはっきりしないんだけど)下降して、もう、あきれるほど長く下降して、停まった。

 ハッチが開く音がして、車がエレベータの外に出て……停まった。
 
「着きましたよ」おじいさんは言った。車のドアが開く音がして、外からひんやりとした空気が入ってきた。「コートは着られた方が良いですよ。結構冷え込みますので。」

 あたしは大人しくそのスーツに合っていない、いかついナイロンのボアつきコートを手に取って、車を降りた。

 辺りはシーンとしてたよ。
 微かに、さっき降りたエレベータが上昇する音が聞こえたくらい。

 だだっ広いとこだというのはわかった。
 おじいさんの声が反響してたからね。

 たぶん、デパートの地下駐車場みたいなとこだったんじゃないかな。
 なんせ、目隠しされてたんで想像だけど。

 おじいさんがあたしの手からコートを取って、音もなく後に回り込み、背中からかけてくれた。

 ものすごく手慣れた感じだったね。

 これまでコートを人から掛けてもらったことなんて、美容院くらいしかなかったけど、そんなのとは比べものにならないほど、スムーズな動きだった。

 コートを羽織っても、そこは結構寒かったなあ。
 
 やがて、何かが近づいてくるの音がした。
 多分、ゴルフ場や空港で使うような、電動カートだと思うんだけど。

「ここから、もうすこしかかります。手を」

 言われたのであたしは手を出した。

 おじいさんの手が掌を下にしたあたしの手をふわっと握った。
 とても冷たくて、乾いた手だったね。
 おじいさんはまるで盲導犬みたいに、目隠しをされたあたしをエスコートした。

 カートを運転している人も無言だった。
 
 多分、さっき車を運転した運転手とは別の人だと思うけど。
 車の運転手の方は車を降りなかったのか、そっからは気配を感じなかったから。

 まわりの静けさと冷たい空気に溶けてなくなっちゃったみたいに。
 

 カートが動き始めた。
 すこしどころじゃなかったよ。
 ずいぶんかかった。

 ひんやりとした地下道みたいなところを、カートは走り続けた。
 おじいさんも、カートを運転してる人も、一言も口を効かない。

 あんまりその間が長く感じたので、わたしは隣に座ったおじいさんに聞いてみた。
 別に知りたくもなかったんだけど。
 なんかいたたまれなくて。

「ここは何なんですか?」

「地下です」

 おじいさんは言った。
 そんなことは教えて貰わなくてもだいたい判ってる。

「地下の……何なんですか?」

「……」おじいさんは黙った。答え方を考えているのがわかった「地下の、街です」

「地下街?」

「ええ、そうです。そのようなものです」

 なんだか曖昧な答え方だった。

「でも、ずいぶん深いですね。そうじゃないですか?」

「ええ、とても」

「それに……なんかかなり広いみたい」

「そうですね」おじいさんはとても慎重に返答している。「ここは、日本では一番広いですね」

「一番?」

 あたしは言った。

「ほかにもあるんですよ」おじいさんが答える。「全国各地に、こういうのが」

 しばらく沈黙。
 あたしは次の段階へ話をすすめていいか、タイミングを計っていた。

「……あの、何があるんです? ここに?」

 微妙な質問だった。
 たぶん、ギリギリ限度内って感じだったんじゃないかな。

「……何でもありますよ。地上にあるものは、何でも」

「……何でも?」

「レストランに映画館、煙草屋に酒屋、喫茶店に本屋、美容院にネイルサロン……そんなのが、いろいろと」

「……はあ」

「……今日ご案内するのは、ホールと劇場だけですが」

 おじいさんは取り敢えず、あたしの質問には何らかの回答を打ち返してくれた。

 だから何も考えずに話してると……あたしは何かを隠されてる気も、馬鹿にされてる気もしなかった。
 現にその場ではそんな感じは受けなかったな。

 でも、よく考えてみると、おじいさんはその時、何も答えていないのと同じだった。

 あたしの知りたいのは、ここが地下であるということでもなく、ここにレストランや映画館や本屋があるということではなく、これと同じものが日本国中にいくつあるのかというのではなくて……

 この地下施設みたいなのが、「何のため」にあるのか、ということだった。
 
「あの、聞いていいですか……?」あたしは声をひそめて言った「……なんで、こんなのがあるんです?」

「……なんで、といいますと?」

 おじいさんが抑揚のない声で問い返す。

「何のために、こんなのがあるんですか?」

 言葉の最後あたりは、自分でも聞き取れないくらい小さな声だった。
 言いながら、あたしはヤバい、と感じた。
 やっぱり、聞くんじゃなかった。

「…………」

 おじいさんは、黙っていた。言葉を選びに選んでいるのだろう。
 あたしは、ますますいたたまれなくなった。

 怖いというより……そんなにおじいさんに言葉を選ばせて、申し訳ないような気分になった。

「あ、あの……」

 沈黙に耐えかねて、あたしが何か意味のないことを言いかけたときだった。

「必要だからですよ」おじいさんが静かに言った。「この場所を、必要とされているお方が大勢居るからです」

「あ、ああ……はい」

 それ以上の答えはないだろう。
 あたしは本能で悟った。

「………………」

 おじいさんは黙り込んだ。沈黙が、“もうこれ以上聞くな”と言っていた。
 
 無言で気まずい雰囲気が流れる中、カートは地下道のようなところを走り続けた。
 見えないし、会話はまったくないしで、ほんとう永遠に続くかと思ったね。

 やがて……カートの進行音の反響が少なくなったので、広い場所に出たことが判った。

 カートが停まり、おじいさんがカートを降りる。
 わたしは少し不安になったけど、それもさっきの特性カクテルが効いたせいか、たいしたことはなかった。

 クスリってすごいよね。

「メリー・クリスマス」

 また、新しい声。
 少しカンかった。

「メリークリスマス」おじいさんが返事する。「ミューズをお連れしました」

 ミューズ? ……なにそれ、あたしの事?
 わけがわからなかった。

「……皆さんお待ちかねです。どうぞお入りください」

 とカン高い声。
 
 と、もの凄い大きな音がした。
 大きなシャッターが開くような音。

 多分、これまでに見たことないくらいの大きなシャッターだったんだろうね。
 結局見られなかったけど。

「手を」

 おじいさんが戻ってきて言った。
 わたしはその手を取って、カートを降りる。

「足下に気をつけて」

 おじいさんが気遣って言う。
 目隠しをされてるので気をつけるも何もなかったけど。

「メリークリスマス」

 また背後から新しい声がした。

 多分、カートを運転してた人だろう。
 誰もそれには答えなかった。

 あたしはおじいさんに手を引かれて、さっきよりは少し暖かい、さらに広い(と思われる)部屋に入った。
 
 背後でまた大きな音がして、大きなシャッター(?)が閉まった。


「こちらでしばらくお待ちください」

 おじいさんが少し狭い(と思われる)部屋にあたしを案内した。

「さ、足下に気をつけて」

 部屋の中は、妙な匂いがした。
 嗅いだことのある匂いだと思った……そんなに悪い匂じゃない。

 そう、あれは、真新しいの匂いに似てた。
 
 不思議と、落ち着く匂いだ。

 匂いだけじゃなく、人の気配もした。

 おじいさんが案内されるままに室内を歩いた。
 下にはかなり上等の絨毯が敷いてあるみたいだった。

 ほんっと、ふかふかなの。
 なんか、あたしの安物のパンプスで踏むのが申し訳ないくらい。

 なんだかやばいな、とあたしは思った。

 身の危険を感じた訳じゃなくて、身分不相応なとこに来てしまった気がして。

「こちらにお掛けください」

 おじいさんがあたしの身体を反転させて言った。
 するり、とコートも脱がされ、手渡される。

 あたしはゆっくり、用心深く腰を下ろした……

 子どもの頃さ、座る寸前に人の椅子引いて、人が尻餅つくのを見て笑うバカが居るじゃん。

 あたし、散々子ども時代にそれやられたから、そのときはちょっと不必要なほど慎重にゆっくり腰を下ろしたね。
 
「ここでしばらくお待ちいただけますか。あなたの出番が来たらお呼びに上がります」おじいさんが言った。「お煙草は吸われますか?」

「え、ああ、はい」

 煙草は体によくないと思ってたけど、未だに止められない。
 おじいさんがあたしの手を取って、紙巻き煙草を一本手渡した。

 あたしがそれを銜えると、すかさずオイルライターの匂いがして、煙草に火が点けられた。

 不思議に、甘い味のする煙草だった。

 悪くない……あたしが普段吸ってる“メビウス”よりは強く感じたけど、なんか凄く上等の煙草って感じがしたね。

 それ、実は煙草じゃなかったんだけど。

「それではまた後ほど」

 あたしが煙草に感心してると、おじいさんはあたしに重い石でできた灰皿……あのよくサスペンスドラマで凶器になるようなやつ、だと思う……を手渡し、足音をさせずに部屋から出ていった。

 ドアを閉めるバタンという音がした後は、ほんとうに静かになった……。

 部屋の中は暖かかったので、あたしはコートを脱いだ。
 でも、なんか自分でも律儀だとは思うんだけどさ、目隠しは外さなかったね。

 ていうか、目隠しを外して見る、という考え自体が浮かばなかったな。
 自分のことつくづく暢気な性格だと思うけど、そこまで暢気なのはクスリの所為にできないよね。
 
 おじいさんからもらった煙草を吸い続けるうちに……
 あたしはなんかまたへんな気分になってきた。

 部屋の中は静まり返っていて、まさにシーンとしてるんだけど……

 いつの間にかそのシーン、がキーン、になってきた。

 はっきりと、耳鳴りみたいにキーンっていうの。
 あれ、なんだこりゃ、と思っていると、そのキーンって音になんだか強弱がつきはじめた。

 あれ、あれれれ? と思っているうちに、そのキーンって音がまるでモールス信号みたいに、一定のリズムを刻みはじめたのね。
 

 ふだんから鈍いほうだけど、その時はじめて煙草に例の草の混ぜモノがしてある事に気付いた。
 

 ああ、ホントこりゃいいわ。

 そりゃみんなハマるわけだわ、と思いながら、あたしは高揚してくる気分と躰がふわふわしてぬるいお湯につかっているような心地よさを感じていた。
 
「こんばんは」

 と、突然、女の人の声がした。

「え?」

 確かにさっき人の気配がしたけど、ほんとに居るとは思わなかった。

「あなたも、目隠しされてんの? わたしはされてるけど」

 その声が言う。

「……あ、あの、はい。そうです」

「ふうん……」

 女の人の声は上擦っていた。
 あたしと同じように、スペシャルなジュースと煙草でハイになってたんだろうか。

「ねえ、あなた、ここは初めて?」

「……はい、あの、そうです」あたしは答えた「あなたは?」

「わたし?」その人上擦った声で、さらにけだるい調子で答えた「わたしは、去年のクリスマスも来た。だから、ここは2回目で1年ぶり……名前は聞かないでね。あなたも言われたと思うけど、ここでは質問は厳禁なの」

「はあ……」そんなこと言われたっけ? とわたしは思った「あの……でも、ひとつだけ、質問いいですか?」

「うん、何? わたし自身に関することじゃない限り、答えるけど」

「……あの、これから、何をすればいいんですか?」

「……」

 その女の人は黙った。
 何せ、目隠しをされているもんで相手が怒ってるのか笑ってるのかわかんないじゃん?

 とても心細かったよ。
 なんかその人のしゃべり方、ダルダルで気分が読めないんだよね。

「……あ、あの、これも聞いちゃだめでしたっけ?」

「……すぐ判るわよ」と女の人は言った。「……でも、びっくりするわよ、あなた。絶対」

 なんだかもったいぶった女だな、とあたしはちょっとイライラしてきた。

 多分話しぶりからして、あたしよりは年上だと思うんだけどさ……それに向こうも目隠しされてるらしいけど、あたしのことを年下と決めてかかってるのか、はじめからナメた口調だし。

 ま、いいけど。

 とりあえずこの謎のバイトでは彼女の方が先輩なわけだし。

「……それにしても、ギャラいいですね、これ」

 わたしは愛想で言った

「……まあね」女がけだるく返す「……それに、わたしたちは何もせずにじっとしてればいいんだから、ラクよ」

「へえ?」あたしは驚いた。そこまで世間をナメた話があるかっての「……ホントですかあ?」

「うん、ホントよ。まあ、だいたいはやらしいことされるんだって事はわかってると思うけど……わたしたちは別に、何もしなくていいの。ずっと受け身で転がってるだけでいいんだから……こんないい話ないわよ、ほかに。それにすごく気持ちいいしね……」

 なんていうか、その女の口調はいかにも玄人っぽかったね。

 そういうコトをしてお金を貰ってることにヘンなプライドを持つ、イタい女って多いじゃん?

……なんか、いかにも
“わたしはあんたみたいな女が知らない世界を知ってんのよ”
 みたいにさ、へんに斜に構える奴、居ない?
 ……その女はまさにそういうタイプだったね。

 あたしの大嫌いな女のタイプ代表、みたいな。

「ほんとですかあ……?」あたしは半笑いでそう言った。

「うん、本当。映画観てから、根っ転がるだけ。」

「映画?」

 目隠しされてんのに?

「そう映画。」

 女が半笑いで答える。

【3/5】はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?