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無防備だったから苛めたくなった、そうです。【2/4】

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「ほずみさん……」ぐらぐらの視界の中に、心配そうな顔がぬっと入ってくる。「大丈夫ですか?」

 芝田くんだった。
 酔いは醒めなかったが、現実感はますます曖昧になっていく。

「わたしがあ……わたしが一人で帰るって言ってんでしょお……」

「いや……でもそんな調子じゃあ……」

 気づかわしげな、芝田くんの声。

「バカにしないで、ってーの……コドモじゃないんだからさあ……」

 なげやりな口調だったと思う。
 ずっとわたしを無視しといていまさら何よ、みたいな理不尽な思いが、わたしの中で渦巻いていた。
 しかし、そんなことを言葉に出すと、もっと惨めだ。

 いまさら、何も起きやしない。

 わたしがお気に入りのスーツの下にお気に入りの下着をつけて、アサハカに期待していたような進展なんて、絶対に起こりようがないことなのだから。

「……でも、ほずみさん、足フラフラじゃないですか」いかにも心配そうな声だった。「そんなんじゃ、危ないですよ。一人じゃとても帰れませんよ……」

「だいじょーぶ、だって言ってるでしょお?」

 そのときのわたしは、どんな顔をしていたんだろう。
 高校時代の同性の友達に見せるような、無邪気な顔だったのだろうか。

 本当にあのとき、わたしは芝田くんのことを、その夜のセックスの対象として見ていなかったのだろうか。

 いや、きっとそうじゃないはずだ。

 その夜わたしは、彼とセックスの面で、ほんのわずかでも接近することを求めていた。
 それはひどいお酒の酔いによって、あからさまに顔に表れていたんだろう。

 たぶん、わたしの両目には、電光掲示板のように『どっかに連れ込んで好きにして』とメッセージが表示されていたんだと思う。

 そうでないと二人っきりで夜道を歩くような状況に、自分を置かなかったはずだ。
 とはいえ……いったい、いつ二人っきりになったのかは覚えていない。 

「……ほらほら、ほずみさん……あっ、危ない!」

「きゃっ!」

 パンプスの踵が道路の段差に引っかかった。偶然だ。
 でも、偶然が運命を変えてしまう。

 通勤途中に携帯をどこかに落としてしまうようなもの。
 キャリーバックに足を轢かれるようなもの。
 道の角で自転車にぶつかるようなもの。
 スーパーで買い物したら、お釣りが六六六円と、数字が三つ揃うようなもの。
 運悪く、墜落する飛行機に乗り合わせるようなもの。
 あるいは、工事現場の脇を通り過ぎるときに頭上からスパナが降ってくるようなもの。
 突然、雷に打たれるようなもの。

 それは避けられない。
 でも、どうなんだろう。

 ほんとうにわたしは、偶然に左右されて、こうなったんだろうか。
 自分から偶然を引き寄せたんじゃないだろうか。
 
 それは今の自分にはわからない。
 いま、拘束代の上に恥ずかしい格好で戒められているわたしには。

 でも、そのときのわたしは、芝田くんの方に倒れていった。
 芝田くんに前から抱きとめられる。ほとんど、正面から。

 彼のうすい胸板の前で、わたしのおっぱいが、ふにゅっ、と潰れるのを感じた。

「あんっ……」

 そのとき、へんな声を出してしまったのは、はっきり覚えている。
 まだまだ酔っていたけど、はっとして思わず口を覆った。
 芝田くんは気づいていないふりをしているようだった。

「……ほらほら、みんな帰っちゃいましたよ。残ってるの、僕らだけですよ」

「えっ……マジ?」

 照れ隠しに大げさに言ったが、ほんとうだった。
 わたしたちは、どこかの国道沿いにいた。

 ここがどこなのかもさっぱりわからない。
 たしかにわたしたちの周りに同僚たちの姿もない。
 車が何台もわたしたちのいる歩道の脇を通り過ぎていく。

「終電もなくなっちゃいましたし……一緒にタクシーで帰りましょう」

「……え、タクシーくらい一人で……乗れるよ……」

「心配なんですよ」と柴田くん。「一人でタクシーに乗せるのが……」

「えっ……」

「……だって、ほずみさん、とってもかわいくて、きれいだから。運転手さんと二人きりにさせるのが、正直、僕、怖いんです……もし、何かあったら……運転手さんが酔って意識を失ったほずみさんを見て、よからぬ気を起こしたら……」

「な、な、な……」彼の息がかかりそうな距離だった。「何言ってんのよ……わたしなんかに、誰もそんな気、起こんないわよ……わたしなんか……んっ!んんっ?」

 キスされた。
 冷たい唇が、わたしの唇に触れた。

 わたしはあわてて芝田くんを突き放す。

「やっ!……やめてよっ!……な、何してんのよっ!」

 わたしは芝田くんを睨みつけた。

「何って……」彼が無邪気な顔で笑う。いつもの笑顔で。「……ほら、ほずみさん、こんなふうにカンタンに襲われちゃうじゃないですか……だから、危険なんですよ」

「あ、あ……」あっけにとられた。「き、危険なのはあんたでしょっ! けだものっ! スケベっ! ペッ! ペッ!」

 必死に道路につばを吐くまねをした。
 そんなふうに大げさに振る舞い、道化になることで、自分に起こったことをすべて“冗談”にしてしまおうとした。

 そうすると、時間が巻き戻るとでも思ったのだろうか。

 たぶんわたしは、耳まで真っ赤だっただろう。
 その様は、ほんとうに滑稽だったと思う。

「ほずみさん、ほんとに、無防備なんだから……そんなんじゃとても、一人では帰せません」

 そう言うと、芝田くんはわたしの頭の後ろに手を回した。

「なっ! ……んっ!」

 時間の流れがスキップされたみたいに、わたしの唇と芝田くんの唇が、またくっついていた。

 決して、“強引に奪われた”という感じではなかった。
 だいたい、二回目だったし。

 それに、わたしは自然と目を閉じていた。
 認めたくないことだけれど。

「んっ……んんっ……」

 わたしの唇を、前歯を割って、芝田くんの舌が入ってくる。
 彼の舌はむりやりわたしの舌を絡めとったりはしなかった。

 じっとわたしの舌と重なり、沈黙を続けた。

「んっ……ふっ……んんっ……」

 薄目を開けると、芝田くんも目を開けていた。
 でも彼の目は冷たくて、笑っている。

 彼の目が何かまるで子どもみたいに、無邪気に何かを期待している。

 わたしは酔いに助けられるようにて……そういうことにしておいてほしい……観念して目を閉じた。

 そして、自分から舌を動かして、彼の舌に絡めはじめる。
 それを見計らって、芝田くんも舌を動かしはじめた。

 しばらくそうしていた。

 たぶん、何人かの人が、わたしたちが抱き合っている脇を通り過ぎていっただろうけど、わたしは気にしなかった。

 ずっと目を閉じていたから。

 やがて、芝田くんはわたしと唇を離した。

 わたしが目を開けると、柴田くんはまた、わたしの顔をじっと見ていた。さも面白そうに……
 たぶん、もっとキスを求めてるわたしの顔が、楽しかったんだと思う。

 最低なやつ。卑劣なやつ。

 でも、芝田君の隣に立って、彼が手を挙げてタクシーを停めるまで、わたしはそこから動けなかった。

 タクシーではずっと無言だった。

 タクシーがわたしのマンションに向かっていないことは確かだ。
 だいたい、行き先を行ったのは芝田くんで、わたしは運転手さんには何も告げていない。

 心臓はドキドキ鳴っていたけど、すべての成り行きは、まだまだ残っている酔いに任せていた。

 芝田くんのマンションの部屋についたとき、彼はわたしを玄関のたたきに立たせたまま、ゆっくり鍵を賭け、チェーンを掛けた。

 その動作があまりにもゆっくりしていたのは、

『ほら……逃げるならこれが最後のチャンスですよ。もう鍵を掛けられちゃうと……どこにも逃げられませんよ』

 と、わたしに態度で示すためだったのだろう。

 わたしは靴さえ脱がずに、じっとそこに立ち、彼が1分ほどの時間をかけて戸締りを終えるのを見ていた。

 その頃には酔いもだいぶ醒めていた……でも、タクシーに乗っていたとき以上に心臓は高鳴って、呼吸は上がり、背中にはじっとり汗をかいている。

「ほら、ほずみさん……こんなに男の部屋に連れ込まれちゃった……ほんと、どこまで無防備なんです?」

「……だ、だって」ぎゅっ、と腰を引き寄せられる。「やっ……!」

「もう安心ですよ……この部屋なら安全です」

「あ、あ、あんたが……あんたが危険なんだっ……って……んっ!」

 またキスだ。

 でも、芝田くんはわたしの唇の表面を貪るように味わうだけで、舌を入れてこようとはしない。

 でも、それ以外は結構、激しかった。

 髪を掻き回されて、髪をまとめていたゴムが外れる。
 ジャケットが手品のようにするりと両肩から滑り落ち、二の腕までがむき出しになる。

 その頃には、わたしは自分から彼の背中に手を回し、シャツの布地を掻きむしっていた。い

 つの間にか唇をだらしなく開き、彼の舌を迎え入れ、やはりさっきと同じように……自分から舌を絡ませていた。

 薄目を開けると、芝田くんはまた、わたしの顔をじっと見ている。

 どんどん乱されて、一人で盛り上がって、エッチになっていく女の顔を楽しんでいる。
 
 かっ、と顔が熱くなった。全身がしびれた。

 でも、そこで、彼の舌が口の中から逃げていった。

 そして抱きすくめられ、たたきの上からひょいと持ち上げられる。
 芝田くんは靴のまま、わたしを抱え上げて部屋の中にずんずん入っていった。

「……ちょ、ちょっと……く、靴っ……」

 ぽとり、と左のパンプスが床に落ちる。
 芝田くんはまるでゴールを決めるサッカー選手のように、それをたたきに蹴り込んだ。
 カツーンと、パンプスが金属製の新聞受けにぶつかり、転げ落ちる。

 酔いがぶり返してきたみたいに、頭がぐらぐらする……

 抵抗すべきなのだとはわかっていたけれど、それでもまだ、わたしは成り行きに身を任せていた。

 暗い寝室に連れ込まれ、ベッドに投げ出される。
 すかさず、芝田くんがわたしに覆いかぶさってくる。

「やっ……やだっ……やっ……待ってっ……」

「それはムリです。いくら僕だって、もう待てませんよ……どこまで無防備なんですか? ……さっきはあんなにいやらしい顔をして僕を興奮させて、ろくに抵抗もせずに、こんなふうにベッドに押し倒されちゃって……どこまで僕のせいにするんです? ……僕をこんなにしたのは、ほずみさんなのに」

 そこではじめて、芝田くんに右のパンプスを脱がされた。
 芝田君はそれを床に放り出すと、続いて自分の靴も脱ぎはじめる。

 靴も脱がずにわたしを抱きかかえ、部屋に担ぎ込んで、ベッドに投げ出して、今さら靴を脱いでいる男。

 そこまでして、わたしを求めてくる男。
 そんな男に対して、わたしのほうにはもう、守るべきものなど何も思いつかなかった。

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