人を狂わす輝き(SF短編) 3

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 メッシュメタルの通路が、穴の底からコンクリート壁に沿って螺旋状に伸びている。そしてそこを、何台もの無人搬送車が、がたぴしと音を立てながら往来する。森内はこの光景を見るたびにはらはらする。こんな壁を這うつたみたいな簡易的な通路は、いつか荷重に負け、穴の底に落ちてしまうのではないか、と。
 森内の「宙に浮いた体」は、下から上昇してくるポッドの間を縫って軽やかに進んだ。離陸時ほどの暴走性はないものの、かなり急ぎ気味であることは立体映像を通してすぐにわかった。
 立坑内のコンクリート壁に目を向けると、色落ちした赤い塗料によって「14」と表示されているのが見える。およそ10メートル下がるごとに、レイヤーのカウントは一つずつ増えていくのであり、つまり―――、森内は素早く思考を巡らせた。この数分足らずで、自分たちはすでに地下140メートルに到達している。
 太陽光の名残は消え、初めは淡く見えていた壁面の白色灯も段々と鮮明になっていく。各レイヤーにあいた虫食いのような穴の前では、そこへ進入しようとする他企業のポッドがゆっくりと水平飛行している。さらに、そういった穴々の奥へ目を凝らすと、停車中の自動穿孔機や、ヘッドライトを光らせながら行き来する作業員らの姿が見えた。
 さきほどのアナウンスの通り、立坑内中盤に差しかかると、浮遊中のポッドの数が増してきた。接近距離が20センチもないであろう隙間を、ほぼ減速なしで進む比嘉の操縦はもはや名人芸であった。
「浅井とは連絡つかねえな」比嘉の声ではなかった。グループセッションに、先ほどの外崎と代わるように黒池が加わっている。
「まだ、呼び出し音は鳴りますか」比嘉が応答する。
「鳴る。だけど、出ないな。こっちでも日双鉱業にそれとなく聞いてみたんだけどよ、比嘉と浅井が直前にいた現場付近には誰もいない、って。もうこうなったらよ」黒池はまだ重力圏内に入っていないらしく、操縦室で宙に浮いた体を不安定に動かしている。二人は黙って、黒池の口から出る指示を待った。
「日双に相談した方がいいかもしれねえな」
「僕もそう思ってたところです」比嘉が言った。森内も心の中で同意する。
「日双はまだ把握してないんだろ」「はい、さっき外崎さんと話しましたけど、浅井の所在は知らないって」「そうだろ。ってことは、浅井は相当まずい状況にあるかもしれない。だから事件が大きくなる前に、日双に協力を仰いだ方がいいだろうな」
 それから二人は深刻な様子で意見を出し合い、外崎に旧坑道の航行許可を得る、というところで話を落ち着けた。黒池がセッションを出たあと、比嘉が口調を変えずに言った。
「そういうことだからよ、森内。耐熱スーツの気密が取れてるか確認しとけよ。高温の船外に出る可能性もあるからな」
「――了解です」森内は、全身をまさぐるようにして手を拭おうとした。しかし、グローブをはめた手の湿り気は当然、少しも取れなかった。
 立坑下層まで来ると、ポッドはゆるやかに停止した。再び外崎がセッションに加わると、ここでも森内は二人の会話を黙って聴いていた。下からは相変わらずオレンジ色のビームが、森内の尻目がけて真っ直ぐに伸びている。停止中のポッドはまるで紐につながれた風船だな、と呑気な想像を試みたが、高鳴る動悸は一向に鎮まらなかった。
「ご報告いただき、ありがとうございます」外崎の声はあくまで冷静だった。「早目に教えて下さって、助かりました。早速捜索チームを組んで、可能な限り多くの現場に派遣しますので」
「そうしていただけると助かります」比嘉の話しぶりには、型通りの丁重さが添えられている。「そういう事情なので、旧坑道の給電システムも使用したいんですが」
「旧坑道ですね」外崎は少し考えた後に言った。「それは構わないんですが、普段使用しているシステムと違って、十分なメンテナンスがされてる保証がないんですね。なので、こちらもトランテックさん二号機の航行を追尾しますが、給電システム切り替えの際はくれぐれも徐行を心がけてください」「了解です、ありがとうございます」
 画面から外崎が消えると、船内は静まり返った。セッションに残った比嘉の顔は、操作スクリーンの白い光を冷たく照り返している。
 突然、船体が大きく傾いた。森内の体は、座っていた椅子もろとも側壁に叩きつけられた。墜落だ。森内は咄嗟にそう確信した。今度こそ本当に、床の支えがなくなってしまった。血液が一瞬で凝固するように、全身が一気にこわばった。森内は必死に腕を伸ばし、梯子をつかもうとした。ダメだ、届かない。そう思ったとき、森内はうつ伏せで床に落下した。ヘルメットも床に激突し、首に閃光のような痛みが走る。荒い呼吸により、フェイスプレートの内側が厚く曇っている。
 やがて、極限状態は過ぎ去っていった。呆然としていると、比嘉が急(せ)いた様子で梯子を下ってくるのが見えた。そして、へたり込む森内の肩に柔らかく手を置いた。「すまん、森内。大丈夫か」
「――はい、大丈夫です」森内の声は細い気流となって、ヘルメット内部にかき消えた。怒りや恐怖の残滓(ざんし)が脳内に渦巻く中、抱きしめたいほど重要な一つの事実が、心の中で薄明のようにきらめいているのに気付いた。
 俺はまだ生きている。

「給電システムを切り替えようとして、エネルギー補給が一旦途切れちまったんだ」
 森内は元の椅子に腰かけながら、階上の比嘉の話を上の空で聴いていた。心臓はまだびくついている。左手にあたる空中の一部―――当然、実際は保管室の内壁の一角に過ぎない―――では、緑色の3Dオブジェクトが浮かんでいる。ちょうど、蟻の巣に流し込んだアルミの鋳物(いもの)そっくりで、その内部では多数の黄色い点が、粘液中に浮く微粒子のようにそれぞれランダムに動いている。比嘉が映像内に呼び出した坑内3Dマップに違いなかったが、森内がそれを認識するのにもしばらく時間がかかった。
「だけど、移行処理は済んだからさ。墜落することはもうない。落下距離はほんの数メートルだ。だから心配するな」比嘉の楽観的な口調には、確信めいた力強さも備わっていた。しかし、恐怖はいまだ心の隅でくすぶり、森内は先輩の慰めを充分に受け止められずにいた。
「それで森内、見えるか」
「はい」森内は、横方向へゆるやかに回転するそのオブジェクトを眺めた。そして、あくまで平静を装いつつ、適切な会話の方向を選んで言った。「これら黄色い点のうち、どれか一つが浅井ですよね」
「外崎さんの言ってたことが本当なら、そうなる。ただ」比嘉はすでに冷静さを取り戻していて、その話しぶりは滔々(とうとう)としている。「前にも言ったと思うけど、このマップは日双鉱業が寄越したソフトウェアだから、日双とその傘下の作業員しか表示されない。これだけ言えば、あとはわかるよな」
 森内は言われて、再度3Dマップに目をやった。無理やり意識を奮い起こすことで、脳にずきずきと痛みが走る。主立坑である最も太い円筒内に、自分たちの位置を示す点があるか、などと悠長なことは考えていられない。立坑から無数に生えた細い坑道、斜坑、そしてそれらの先にある大小様々の空間。多少のむらはあるものの、坑内全体に数千もの黄色い点が散らばっている。より詳しく観察すると、休憩中なのか固まって動かない一群、またそれとは逆に、せわしなく立ち働く点の数々を見て取れる。
 そこまで観察したが、比嘉の意図を完全には汲み取れず、森内は黙っていた。するとマップがズームアップされ、坑道の支線の一本が拡大された。
「ここ見ろ」比嘉が少々苛立ちを込めて言った。「例えばこれは旧坑道のひとつだけどな、この奥に群れから離れて、ポツンと一つ点があるだろ」
 見ると確かに、先端でただ一つじっと動かない点がある。
「はい、ありますね」森内の理解も徐々に広がっていく。
「これが浅井かどうかはわからない。単に、一人で仕事してる別の作業員かもしれない。ただ、あまり想像したくはないけどな、もし、このマップに映らない無届けの連中が大勢ここにいるとしたら」
「浅井は奥で囲まれている」森内はそう言って、息を呑んだ。
「まあ、とにかく今はわからない。そういうふうに見当をつけて一つ一つ探していくんだよ」「なるほど」
 ポッドは、周辺の側壁に空いた穴の前まで来ると、その中を滑るように進んでいった。まだ、ここいらは旧坑道ではないのだろう。森内が来たことのある鉱区ではなかったが、乾いた灰色のコンクリート壁や煌々と白く照らすライトは慣れた現場と変わらない。蛍光素材の安全服を着た外国の作業員が、森内らのポッドを目に止めた途端、つまらなそうに視線を戻す。二股に分かれたうち右の坑道を進むと、その先は奥を見通せないほどの長い下り斜坑であった。沈黙を乗せたままポッドは、奥から伸びてくるオレンジ色の糸に引かれるようにして飛行を続けた。
 人気も無人機の気配もまばらになると、ついに最奥に陥没して空いたような立坑の入り口が現れた。突き当たりの錆び切った看板には、かろうじて読める文字で"Enter at your own risk.(自己責任で航行せよ)”とある。穴の真上まで来ると、船体は空中で一旦動きを止めた。
「この先は旧坑道です」先ほどと同じ機械の女性。「航行する際は、各所属の管制課の許可を得てください。また、給電システムの保守安全点検が行き届いているか、十分に確認してください」
 アナウンスが途切れると同時に、立坑の底から射出されたビームがポッドへと届く。
「よし」比嘉の声は呼吸に混じっていて、まるで自身に言い聞かせるようであった。森内はまだ3Dマップが映っていることに気づき、自分たちの位置を見定めようと努めた。確かこのレイヤーは61、長い斜坑が伸びる坑道は―――ここだ。スロープのように続く斜坑の先に細い立坑の上端が連結し、さらにその底から蛇行するいかにも粗末な坑道が伸びている。すでに正規の作業員からは見捨てられた洞窟。その先端に確かに一つの黄色い点が、息絶えかけた蛍のように動かずじっとしている。
 ポッドの航行が先ほどと比べ、明らかに慎重なものになった。暗いオレンジ色の非常灯に照らされた剝き出しの岩盤が、湧き水に濡れて鈍い光沢を放っている。岩盤に沿って取り付けられた排水管の弁からは時折、濃い湯気が音を立てて勢いよく吹き出してくる。
 もはや、ここには空調設備などない。森内は地温勾配の記憶を頼りに、大まかな外界温度を推定した。場所にもよるが、地下600メートル付近ということは、地熱温度は100度前後。もし外に投げ出され、避難用梯子もないとなれば、スーツが焼けないよう祈りながら救助を待つしかない。
 曲がりくねった岩洞内部にはそもそも、生命のいる痕跡がない。本当にこんな炎熱地獄のようなところに人がいるのか、と訝しんでいると、いた。延先(のびさき)の手前に小ぶりなポッドが一基、そしてその隣に、薄緑の耐熱スーツを着た人物が一人、何やら計測器のような物を持って立っている。もちろんヘルメットをかぶっていて、その顔を判別することはできない。
「あれは日双の社員だ」比嘉が言った。「きっと抗廃水の点検だな。浅井じゃない」
 人物は森内らのポッドに気づくと軽く会釈し、またそれまでの業務に没頭した。
「ここは外れだ。まあ、一発目で当たるとも思ってないけどな」比嘉は大儀そうに言った。それから風景も逆方向に戻り始めた。

 何時間経過しただろう。森内はヘルメット内の時刻表示に目をやった。15時ということは、かれこれ三時間近く浅井を捜索していることになる。最初のような「空振り」は、あれから7,8回続いた。簡素な椅子に押し付けられた尻の痛みも、慢性化しつつある。比嘉の独り言さえ出なくなり、船内はすでに沈鬱な空気で満たされていた。
「浅井さんが見つかりました」これを聞いて、森内は慌てて態勢を整えた。外崎の声だった。上にいる比嘉も吃驚(きっきょう)した様子で言い放った。
「どこにいました」「レイヤー45の85番旧坑道です。今、私含めて捜索隊三人が彼のもとについています」「了解です。すぐ行きます」
 ポッドがそれまでいた穴ぐらから主立坑へ飛び出すと、横方向に強いGがはたらいた。森内は体を持っていかれないよう、座ったまま両足に力を込める。しかし、比嘉はそういった抗い難い慣性力をものともせず、一人ぼつりとつぶやいた。「結構上だな。あいつ、そんなところで何やってんだ」
 焼けつく岩窟内部では、見慣れない色の耐熱スーツを着た作業員らが、気だるい様子で徘徊している。森内らのポッドが通ると黒いヘルメットの顔を上げ、通り過ぎるまでじっとその軌跡を見送っていた。彼らと目が合っているわけではないことは森内はわかっていた。しかし、その部外者を突き殺そうとする視線の束を気にしないようとしても無理であった。
 マグマでも噴き出してきそうな旧坑道の酷熱は、映像を通してもありありと伝わった。作業員の密度も薄くなり、切羽(せっぱ)と呼ばれる坑道最奥まで来ると、四人の人影が見えてきた。三人は薄緑のスーツを着た日双鉱業の社員。そしてもう一人は、紺色のスーツに身を包み、うなだれるようにして立つ男。ひょろ長い体躯は、いつもよりも一層縮こまっているように見える。ヘルメットをかぶっているが間違いない、浅井だ。
 ポッドは四人の前でおもむろに停止した。
「おい、浅井」比嘉が怒りをこめた口調で呼びかけた。ついにセッションに浅井が加わったが、ヘルメットに収まった暗い表情は周囲の闇に溶け込んでよく見えない。
「お前、ふざけんなよ。勝手なことすんなって、いつも言ってるだろ」比嘉の叱責が続く。森内の胸にも言いたいことが山ほどあった。しかしそれは比嘉の剣幕に押しとどめられ、森内の口から出ることはついになかった。
「お前、何か持ってるな」比嘉がそう言い、森内も浅井の手元をよく見てみた。確かに浅井はレンガ大の石の塊を大事そうに両手で抱えている。
「浅井、手に持ってるものを下ろせ。お前のものじゃないんだ」
 比嘉に言われても浅井は素直に応じず、しばらく直立した姿勢を崩さずにいた。しかし、思い直したのか、それとも観念したのか、やがてその岩石をおそるおそる足元に置いた。
「森内、あいつが持ってた石の上まで行くから、何なのか詳しく確認してくれないか」「了解です」
 ポッドが再び水平に動き出し、石の数メートル真上で止まった。浅井と三人の日双社員は、ポッドのプラズマジェットを浴びないよう、揃って後ろ向きに数歩下がった。
 さて、何だ?一人の作業員の心をここまで惑わせたものは。ひとまず浅井の無事を知った今、森内にとってもまるで、待ちわびた贈り物の包みでも解く心持ちがした。思考よりも手が先に動いた。森内は床のブラインドを素早く開けると、ヘルメットをガラスに押し当てて、下を覗き込んだ。ほんのりと全体が薄黄色の光を帯びている。表面には気泡がはじけた跡のような大小様々の凹凸。半面には暗い影が落ちていて、その境界は曖昧な線をなしている。待て、周囲にあるはずの岩肌はどこへいった?まるで一切を取り除いたような暗闇に、それ自身が輝きをまといながら浮かび上がっていて。
 これは―――「月!」
 森内が言った途端、どっと笑い声があがった。グループセッションにはいつの間にか、黒池、大川らが参加している。よく見ると、外崎、そしてジャメルまでいる。
 ふいに立体映像が消え、室内は真っ暗になった。階上からはいかにも愉快そうな比嘉の両手を打ち鳴らす音、さらにスピーカーからは浅井を含めた六人の笑い続けるどよめきが響く。森内は事態を飲み込めず、しばらく床に正座したまま唖然としていた。
「そうだよ、森内。月だよ」比嘉がようやく笑いを抑えて言った。「俺たちは月に来たんだよ」

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