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胡乱の者たち(長編) 9

 2019年3月31日(日)

「飛んだ災難でしたね」
 丸多は助手席の方をちらと見た。眠りかけていた北原は丸多の声により薄く目を開けた。
 二人は夜明けまで警察の現場検証に立会い、そのまま一睡もせず高速に乗った。今度は真正面から朝日を浴びなければならない。休日の早朝で、道が空いていることだけが救いだった。
「北原さん、お疲れのところ悪いですが、今日はまだ一つ仕事が残っています」
 北原は「はい」と言い、開きかけの目をこすった。
 彼が聞いていようがいまいが、丸多にはどうでも良かった。事件の合理的な説明を導いたことで、丸多の口は自慢話でもするようによく動いた。
「私はあいつらを逃がしません。よくあんなことを思いついたな、と感心はしますがね。策士ですよ、奴らは。危うく、無実の仮面をつけたまま、のうのうと活動するのを許すところでした」
 丸多は北原を引っ張るようにして、〈東京スプレッド〉のマンションに入っていった。インターホンを押すと、珍しく〈キャプテン〉が扉を開けた。
「朝早く失礼します」丸多は開いた扉のノブに手をかけた。「どうしても、今日、皆さんとお話がしたくて」
 〈キャプテン〉は起きたばかりであるためか、やや朦朧とした印象を与えた。
「先ほど、いきなり連絡をしてすみませんでした」丸多がさらに言った。「ただ、火急の用事なんです。もしこの後予定がなければ、是非お付き合い願いたいのですが」
 〈キャプテン〉は一瞬ためらった後「どうぞ」と言い、リビングへと戻って行った。丸多は遠慮する様子もなく靴を脱ぎ、部屋に上がった。眠そうな北原も後に続いた。
 リビングで〈キャプテン〉は一人、ソファーで呆然として座っていた。朝食を取りに動き出す様子もない。奥の部屋からは〈モンブラン〉と〈ナンバー4〉の声が聞こえ、丸多はそちらを向いた。その二つの後ろ姿を確認してからすぐ、リーダーに視線を戻した。
「あいつらは今編集してるんで、手が離せないんです」〈キャプテン〉の声はぐずついていた。
「モジャさんとニックさんは」丸多が訊いた。
「あの二人は外に出てます。いつ帰ってくるかはわかりません」
「そうですか」
 〈キャプテン〉からアポイントメントを取ったのが約十分前。二人はもう逃げたか。やはり少々不躾になっても、連絡なしで押しかけた方が良かったかもしれない。丸多はそう思いながら唇を噛んだ。
 丸多らは促されないうちにまた、テーブル備え付けの椅子に座った。〈キャプテン〉はそれを見ても、特に何も言わなかった。
「キャプテンさん」丸多が声をかけた。「面倒でも椅子に座っていただけませんか。大事な話なんです」
 〈キャプテン〉は体を泥のように引きずりながらテーブルに向かった。丸多らはただ黙ってその動作を眺めた。やがて彼は北原に近い席に落ち着いた。
 若干の沈黙の後、丸多が切り出した。
「事件の謎が解けたんです」
「ほお」〈キャプテン〉は丸多の顔を見ずに言った。
「順を追って言いましょう」丸多は鞄を引き寄せた。「ついさっき、私は北原さんとまた、山梨の現場に行ってきたんです」
 家屋跡付近の林で腐乱死体を発見したことまで話した。〈キャプテン〉は何も言わず、手を股の間で組みながら聞いていた。
「それは、あの家の持ち主、奥寺健男さんの死体でほぼ間違いないということでした。まだ鑑識が調査している途中でしょうが、あの後、死体付近に落ちていた身分証を警察と一緒に発見しました。そこには奥寺さんの名前が記載されていました。また、警察がその先の集落で、応急的に身元の照会をして回りました。結果、本人である可能性が極めて高い、とのことでした。
 正確に死後どのくらい経過していたかは、現時点ではわかりません。これも警察の発表を待つばかりです。ただ腐敗の進み具合は甚だしく、素人目から見ても数年以上経っているのは明らかでした」
 丸多は鞄から、あの何度も見た「建物図面」を取り出した。また、相手が逃走しないかも横目で確認した。〈キャプテン〉の放心したような様子はまだ続いていた。
「事件の流れの頭からお話しします」丸多は淡々としている。「今から約二週間前、私は、やはり北原さんと一緒に車で現場に行きました。そこで、事件とは全く関係のない、現場付近の住人である男性に声をかけられたんです。その人は部外者である我々に生活の平穏を破られたとして、随分怒っていました。それは不当な言いがかりであって、大した問題ではなかったんですが、その人は去り際に『騒ぎが静まったと思ったらあれだ。全く嫌になる』と捨て台詞を残しました。もう一度言います、『騒ぎが静まったと思ったらあれだ。全く嫌になる』です。奇妙な言い回しだと思いませんか?この場合、『あれ』とは何でしょうか?私は最初、その男性が『シルバさん殺害事件の後、我々が来て、それらを煩わしく思った』のだと思いました。ただ、『あれ』に当たる事柄が、『シルバさんの事件』だったとしたら、どうなるでしょう。男性は『事件前にある騒ぎが起こり、そして次に、あのシルバさんの事件が起こったことでうんざりした、または煩わしく思った』と言った、と解釈できないでしょうか。そうだとしたら、事件前に『ある騒ぎ』が現場付近であった、と言えます」
 丸多は手を伸ばし、「建物図面」を〈キャプテン〉の見える位置に置いた。彼はそれに触れず、無感情な目だけを向けた。
「それは前に申し上げた通り、私が独自に法務局で取得した公的な書類です。なので間違いはないんですが、古いんです。こういった話は、冒頭から全て私の推測に過ぎません。直接的な証拠も裏付けもありません。ただ、一貫していると断言できるので、どうか聞いてください。その図面に載っている家屋は取り壊され、そこに新たな別の家が建てられたんです」
 〈キャプテン〉の眉がぴくりと動いた。北原は「そうだったんですか」と、調子はずれな声を出した。丸多は北原に反応せず、自説を述べ続けた。
「あの現場に通じる細い小道には、くっきりと轍がついていますね。ということは、家屋の位置まで車両で乗り入れることが可能だと言えます。なので、そこに載っている建物を取り壊すための重機も運び入れることができたはずです。
 あの付近住人の男性が言っていた『騒ぎ』とは、建物の取壊し及び建て替えを意味していた、のだと推測します。時期は不明ですが、きっとシルバさんが『心霊スポット探索』に行く、と言い出した頃には、元のものとは別の新しい家屋が完成していたんだと思います。
 おそらく犯人、ここで事件を企図(きと)した者、あるいは者たちを『犯人』としますが、犯人があの建物のあった土地を犯行に使おうと考え、そこを物色したとき、奥寺さんが中で亡くなった状態で発見されたんでしょう。孤独死です。山奥のさびれた家の中で、人知れずひっそりと息を引き取ったんです。
 これは、周りの林に日用品が散乱していたことから説明がつきます。さっきお話しした通り、家屋を囲む藪の中に皿などの道具が点々と落ちていました。さらに探すと、風呂桶など大型の物まで見つかりました。
 考えてみれば、映像で見た建物の内部はおかしいところだらけでしたね。直前まで人が住んでいたのであれば、台所や風呂など生活に必要な設備が一切ないのは、何故でしょうか。犯人が全て周りの林に捨てたんです。奥寺さんの遺体もろとも。
 そして犯人は、犯行を行いやすいように建物を作り替えました。具体的な工程はわかりませんが、高層マンションを建てるよりは遥かに簡単でしょうね。古ぼけた木製の小屋なんて、日本全国至るところに放置されていますから、それを壊して建材として持って来たのかもしれません。または、元の家を丁寧に解体して、建材をそのまま再利用することだって不可能ではありません。
 それで、どういった形に作り替えたか、ということですが」
 そこで丸多は、鞄から白い紙を一枚抜き、持参したシャープペンシルで線や図形を描いた。それを終えると、再び紙を彼に差し出した。
 そして、助走でもつけるように息を吸った。「この事件の根幹に当たる部分を言います。いいですか、真ん中の部屋は内部で回転するんです。きっと、建て替えられたときには、そのような回転対称の形になったはずです【図5】」

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 〈キャプテン〉は真っ赤な鼻を上に向け、長く息を吐き出した。体の芯の力が抜け切ったような表情であった。同時に北原が「まさか」と、素っ頓狂な声を上げた。やはり丸多はここでも、北原に構わなかった。
「今はもう焼け落ちてしまったんで、正確には、内部で回転する構造を持っていた、とするのが正しいでしょうね。犯人にとっては、回転対称の形にする必要があったんです」
「丸多さん」北原はようやく眠気を克服したようだった。「左の部屋は十分広かったんじゃ」
「慌てないでください」丸多は広げた手で制止した。「順番通り説明します。まず思い出して欲しいのは、キャプテンさん、中央の部屋のドアはいずれも内側に向けて開きましたよね。キャプテンさんがシルバさんの部屋へと続くドアを破ろうとしたとき、向こう側へ押すようにはせず、内側に引っ張りました。他の二枚のドアも同様に、内側に開くことが映像に記録されていたはずです」
 丸多は言いながらさらに紙片を取り出し、新たな図を作成した。そして、それも〈キャプテン〉の手元に滑らせた。リーダーは気怠(けだる)そうにして、それに目を移した。
「回転させるための構造は、はっきり言って何だっていいんですが、例えば、そのような仕組みが考えられないでしょうか【図6】。

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 回転を可能にするユニットは、今ではネット通販で手に入れることができます。耐荷重数百キログラムの物まで揃っていることを、さっき私はインターネットで確認しました。そのユニットを脚付きの台に乗せ、さらにその上に天板を乗せます。天板の下側に、取っ手のようなものがついていると良いです。そして、天板の上に、円筒形の部屋、四枚の扉を備えたあの中央の部屋ですね、あれを乗せるとひとまず完成です。当然、内部は天井に天窓がついていたあの四角い部屋でなければなりません。
 感覚的に掴めますよね。この機構の下に潜り込んで、取っ手を動かせば、部屋を自在に回転させることができます。もちろん人の力で回転させることができるように、部屋の重量やユニットの摩擦など調節する必要があります。ですが、事件以前にそういった調節をする時間を、犯人は十分とれたでしょう。
 家屋付近の林で、肝心の回転ユニットを発見することはできませんでした。私の探し方が悪く、もしかしたら今頃警察が発見しているかもしれません。ただ、代わりと言えるかわかりませんが、こんなものを見つけました」
 丸多はスマートフォンを、〈キャプテン〉に見えるようにかざした。〈キャプテン〉は興味なさそうに一瞥して、顔をそむけた。
「わかりますか、金属球です。パチンコ玉よりもやや大きい球でした。林の中を懐中電灯で照らしたとき、光を反射する物体がいくつか確認されたんです。それらが今お見せした金属球でした。私はこう考えているんですが、これらは回転ユニットの部品の一部だったのではないでしょうか。回転ユニットにボールベアリングの構造が含まれていたのだとすれば、部品として金属球が使用されるのは当然です。
 回転ユニットの他の部分は、犯人がとっくに持ち去ったのかもしれません。これから説明するように、中央の部屋が内部で回転することは、いわばあの事件の核心部分です。犯人にとっては、それをどうしても隠す必要があったでしょうからね」
 丸多は紙【図6】を取り上げ、その裏に別の図を描き加えた【図7】。それもリーダーの元に置いた。

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「簡易的な絵で申し訳ないですが見て下さい。出来上がった『回転する部屋』の両側に、それぞれそのように同型の部屋を置きます【図7①】。それぞれの部屋に扉は必要ありません。入り口の部分を切り抜いておけば、後は窓を一枚設(しつら)えるだけで十分です。このとき、中央の部屋だけ一段高い位置にあるのをカムフラージュするため、両端の部屋の各頂点に基礎ブロックを置いておきます。次に中央の部屋を囲うように壁を設置します【図7②】。これら前方後方それぞれの壁も、両側の部屋にしたように入り口の分だけ切り抜きます。続いて、廊下、洗面所、トイレとしての空間を作るため外壁、内部の扉、窓をそのように設(もう)けます【図7③】。回転対称の形状を保持するため、図のような配置とすることは言うまでもありません。もちろん、新たにできた直方体の下部の頂点にもそれぞれ基礎ブロックを置きます。最後に、あなたがたの動画の冒頭で見られた、あの天窓付きの三角屋根を取り付けます。【図7④】。これによって、中央の部屋は『内部で回転』し、かつ『自然に日光も取り入れることができる』わけです。出来上がった家屋を継ぎ目のない一つの建物に見せるため、外壁に一つながりの横長の板を、窓や入り口に重ならないよう、上から下まで張っていくと完璧です」
 〈キャプテン〉は肘をついた姿勢で、丸多の図を遠目に眺めた。表情もそれまでと変わらず、詳しい感情を読み取らせようとはしなかった。
「さて、ここからややこしいので、さらに慎重にお話しします」
 丸多は今度、二枚目に渡した紙【図5】を取り、またそこに図や線を加えた。それを〈キャプテン〉に渡そうとすると、代わりに北原が受け取り、彼の傍に置いてくれた。また、北原も〈キャプテン〉の方へ体を寄せ、興味深い様子で紙片を見つめ始めた。丸多は話を再開した。
「昨日、私たちが現場の山林に突入したのは、これまで話した通りです。私は突入した際、少し進んだところで左の方を向きました。そこから、あなた方の話に出てきた、あの『立ち入り禁止』とされた林の様子を窺えると思ったからです。結論から言います。そこには何もありませんでした。そこは自殺者の霊が集まるような、いわくつきの場所なんかではなかったんです。
 今描いた絵を見てください【図8】。

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 現場には、さっき言ったように家屋に通じる轍のついた小道があります。これも、言うまでもないことです。ただ車道の、その小道の入り口にたどり着く途中にもいくつか脇道がありました。それらのうち一番手前の脇道も実は、迂回するように家屋へと通じていたんです。私たちは昨日、その二本の道の間から、林へと入ったわけです。
 何度も言いますが、ややこしいので一つ一つゆっくりと説明します」
 丸多が手を伸ばしかけると、北原が「これですか」と紙片【図8】を取った。丸多は頷いて受け取ると、また図をいくつか加え、すぐに戻した。
「それで、その絵は完成です【図9】。

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 家屋の西側に車道がありますね。北へ行くと、おそらく我々に文句を言ってきたあの年配男性も住んでいる集落にたどり着きます。事件当日、あなた方もシルバさんと共にこの車道を通ってきた。現場へ通じる車道はこれしかありませんから。あなた方は最初、家屋に続く小道からではなく、脇道から入っていったんです。だとすると当然、『立ち入り禁止』の札や、玄関、中央の部屋の鍵かかった扉の位置関係はその図の通りにならないといけません。
 このことを説明する事実もいくつかあります。私たちが二週間前現場に向かったとき、『斜面防護用のコンクリートブロック』を右手に見ながら進んでいきました。また、左手にはガードレールがありました。そのまま直進していくと家屋へ通じる小道が現れます。もう、明らかですね。あの付近で立って北を向いたとき、東には上り斜面、西には下り斜面が見えるんです。峠ではよくある地形です。私たちが小道の入り口に立ったとき、遠くには山の稜線が見えました。東側を向いていたわけです。しかし、映像であなたたちがこの家に着いたばかりの場面を確認したとき、確か、背景に山は映っていませんでした。今確認したっていいですよ。これは、かなり確信を持って言えます。あなたたちは着いてカメラを回し始めたとき、建物の東側の前庭にいたんです。つまり到着したばかりの撮影時、カメラは西を向いていたんです」
 北原は人差し指で紙片をなぞりながら、当日の〈シルバ〉らの動きを再現していた。横で脱力したままの〈キャプテン〉は、それをつまらなそうに眺めている。
「シルバさんとあなた方は、家の中へ入りました。そして、後にシルバさんがこもる部屋に入り、そこで西向きの窓からあの『立ち入り禁止』の札を撮影したんです【図9⑧】。
 ここで、犯人が『犯人でない者』に対して隠したい物が出てきます。これも明らかですね。それぞれ二つあるうちの、一方の玄関、そしてトイレを含む空間です【図9③、⑥】。さっき立体的な図で示したように、建物が回転対称の形状なら、玄関、洗面所、トイレも対称の位置に、それぞれ計二箇所ないといけないんです。
 『犯人でない者』がもう一方の玄関、洗面所、そしてトイレを見ることはどうしても避けなければならなかったんでしょう。巧妙ですね。中央の部屋に最初から鍵のかかった扉がありましたが、あれは建物が回転対称の形状をしていることを隠すためのものだったんです」
「そんな小細工がされていたなんて」北原はやや興奮気味に言った。
「整理しましょう。非常にややこしいので、その図【図9】の向きに対して、左側の部屋を『Aの部屋』、右を『Bの部屋』とでもしましょう。この場合、単に『左の部屋』、『右の部屋』と呼ぶと、厳密に表すのが困難になりますから。
 シルバさんとあなたたちはまず、家の東側の玄関から入りました【図9⑤】。それから、今言ったようにAの部屋の窓から、皆で立ち入り禁止の札を観察しましたね。ただし、北原さんがさっき指摘したように、両端の部屋の一方は小さく、もう一方はそれより広いはずでした。我々は『建物図面』によって、あれは〈モジャ〉さんによって線を描き加えられたものでしたが、そのように勘違いしていましたね。
 さて、あなたがたが実際あの建物に入ったときも、Aの部屋は狭く、Bの部屋は広いと認識されました」
「あのダンボールか」北原が突然声をあげた。
「そうです。あの複数あったダンボールです。あの中には正直、どうでもいい物ばかり入っていましたね。かけ布団、敷布団でしたっけ?笑ってしまいますね。シルバさんや東京スプレッドのメンバーのように若い人たちであれば、真夏の山中の小屋で一晩雑魚寝したくらいで、風邪なんかひきませんよ。あのダンボールの中身でなく、ダンボールそのものに意味があったんです。例えば引っ越しをするとき、家具を一式運び出した後の部屋を見て、『広くなった』と感じますよね。あれと同じです。最初ダンボールが沢山置かれていたAの部屋は狭く、そうでないBの部屋は広く感じられた、それだけのことだったんです」
 そこまで言い、丸多は二人の姿を観察した。北原は相変わらず、丸多の図に見入っている。〈キャプテン〉は反論する気力もなくしたらしく、鼻から息を吐く以外何もしようとしなかった。丸多は流れに矛盾がないか考えてから、再び語り出した。
「そして、いよいよ殺害が起こります。シルバさんは、Aの部屋の扉が映るようにカメラを固定しました。おそらく偶然ではないでしょう。彼がこもってから発見されるまで、その扉が一度も開かれない様子を収める必要があったはずですから。
 シルバさんはあなた方に、食料や水など買って来るよう命じました。それから彼はAの部屋に入り、内側から鍵をかけました。
 殺害の手順はこうです。中央の部屋にはナンバー4さんだけが残り、他の方々は買い出しのため外に出て行きましたね。まずシルバさんは、Aの部屋の窓から外へ出ます。そして、Bの部屋で待機していた犯人に窓を開けてもらい、中に入ります。このとき、シルバさんか犯人のどちらか、あるいはどちらも協力するかして、AとBの荷物をそっくり入れ替えます。ただ闇雲に入れ替えるのではなく、すべての物が元あったところの回転対称の位置に来るよう注意が払われたはずです。それが完了し、シルバさんが再びBの部屋に入ったとき、彼は犯人によって絞殺されました。
 この次から、犯人にとって殺害の次に大事な仕事が始まります。犯人が『窓から出たか』、『扉から出たか』はまだ言いません。考えてみて下さい。後で必ず言います。まずどんな方法にせよ外に出た犯人は、順番は重要ではないですが、家屋の下に潜り込み、例の回転装置によって中央の部屋を180度回転させます。2つ目に、あの立ち入り禁止の札を東側の脇道の入り口に持って来ます。この札を移すことはそれほど難しくはないはずです。札を両側で支えている杭ごと引き抜けばいいわけですから。東側の脇道の両端に、あらかじめ杭がちょうど収まる程度の穴を二つ開けておけば、それらに二本の杭をそれぞれ差し込むだけで作業終了です。最後に、元の玄関【図9⑤】に置いてあったナンバー4さんの靴を、もう一方の玄関【図9⑥】に持ってきます」
 丸多は北原が熱心に眺めていた図を奪い、それに書いてある図のいくつかを消しゴムで消した。そこに新たな図を描き入れると、また二人の前に置いた。
「以上の仕事を行うと、家屋とその周辺の状態はそのようになります【図10】。

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 それがまさに当初、我々、いや世間が認識していた現場の状況です。実に巧妙です。シルバさんによって鍵をかけられた扉が、鍵がかかったまま『Bの部屋』に移り、そして、最初から鍵がかかっていた扉も立ち入り禁止の札がある東側に移るんですから。それに、カメラもシルバさんによって施錠された扉を撮影したまま、部屋と一緒に回ります。
 中央の部屋が回転したときもちろん、ナンバー4さんは編集作業に集中していました。日中であれば、バレたかもしれませんね。回転の最中に当然、中央の部屋の天窓から入る光の加減が変化するでしょう。ですが、これが起きたとき、陽は完全に沈んでいたので、仮に回転中、ナンバー4さんが天井を見上げたとしても、さほど違和感を覚えなかったわけです。回転は極力音が出ないよう慎重に行われたのは、想像に難くありません。ナンバー4さんは確か、事件当日の食事中、雨が降り出さないか心配してましたね。一週間前にも、事件当日の雲行きについて少し話していました。事件の日、彼はほとんど屋内で過ごしていたにもかかわらず、雨の心配をしていたのは何故でしょうか。おそらく、自身のいる部屋が回転する音を、遠雷と勘違いしたんじゃないでしょうか。部屋の回転中、遠くで雷が鳴っている、と錯覚したんです。私は、実際に映像でそのときの音を確認しませんでした。そのとき映像は四倍速で再生されていましたから。その音を、今ここで確認したっていいですよ。ボリュームを最大限にして。
 密室構築の過程はこのように実に凝っていて完全に思えますが、犯人にとって想定しなかったことも起きました。もう、言うまでもありませんね。ナンバー4さんの指輪です。ナンバー4さんは、中央の部屋が回転する前、図の左側のトイレ【図10④】に指輪を忘れて来ました。今言ったように、自分の居た部屋が知らないうちに回転すれば、指輪がなくなったと思いますよね。食事の後、指輪なんてあるはずのない方のトイレ【図10③】に行ったんですから」
「ちょっと、顔洗ってきていいですか」
 〈キャプテン〉は丸多の返事も聞かず、立ち上がり、バスルームへと歩いていった。その足どりには力が入っておらず、丸多は後を追おうとしなかった。飛び降りては困るな、と心配するうち、〈キャプテン〉は戻ってきた。腑抜けた顔に変化はなく、逆上して飛びかかってくる気配もなかった。丸多は落ち着きを取り戻し、続きの話をした。
「あなたがた四人は買い出しから戻って来ました。犯人も、そうでない者も家屋へ続く正規の小道、つまり、今まさに警察によって規制線が張られているあの小道から入りました。犯人がそのように誘導したのだと思われます。また最初に入った脇道を通れば、中央の部屋を回転させた意味がなくなりますからね。
 それから、少しの間和やかな時間が流れました。食事の時間です。今言ったように、ナンバー4さんが『指輪がなくなった』と訴えてから、その場の緊迫感が急に高まりました。覚えていますね。キャプテンさん、あなたは一旦外に出て、窓など確認してから戻って来ました。そして、ニックさんと協力してシルバさんの部屋の扉をこじ開けました。その先、つまりBの部屋にシルバさんの死体が転がっていました。
 その後、どのように建物に火をつけたのかは、ぜひ犯人に聞いてみたいところです。正直、どのような仕掛けで家が燃えたのか、私にはまだわかりません。
 次に事件は終幕を迎えます。ナンバー4さんがたいそう気味悪がっていたあの『青い火』ですが、昨夜警察が来る前に、事件現場でこんな物も見つけたんです」
 丸多はまたスマートフォンを〈キャプテン〉に向けた。
「スプレー缶とライターです。あの『青い火』は映像では、家屋の後方の『自殺者の林』あたりで確認されました。ナンバー4さんも私もそのように認識していました。しかし今では、『自殺者の林』などなかったことは火を見るより明らかです。地元の学生もそのように証言していました。まさか、あれは鬼火なんかでは決してなかったわけです。
 私はこれらスプレー缶とライターを、現場東側の斜面で発見しました。奥寺さんの日用品と思われる品々が捨てられていた場所からは若干離れていました。傾斜が意外ときつくて大変でしたが、何とかこれらが落ちているところまでたどり着きました。映像の記憶から、斜面上のどの位置かは見当がついていましたから。
 東側の斜面上であの『青い火』を放った意図も、犯人に訊いてみたいですね。私としてはこのように考えているんですが、犯人には、家を燃やし、そして遠くから不気味な炎を見せつけることで、現場に誰も近づけさせないようにする狙いがあったのではないでしょうか。そうすれば、犯人にとっては好都合なんです。なぜなら、家屋周辺の林には奥寺さんの所持品の他に、犯人が隠したかったトイレの便器【図10④】、洗面所の洗面台が捨てられていました。回転ユニットの部品らしい金属球もありましたね。犯人には、救急隊が来る前に、現場から無関係の者を遠ざけ、これらのものを大急ぎで隠す必要があったのでしょう。もちろん、あの家に特殊な仕掛けがあったことを知られないために。きっとナンバー4さんの指輪も、そのとき一緒に捨てられたんです。不要になった便器の近くで私は、その指輪まで発見しましたからね」
「さて」丸多はスマートフォンを置き、二人の顔を見た。「以上の、悪知恵に富んだ事柄を全てやってのけたあと、犯人は満を持して救急隊、警察、マスコミを現場に迎え入れたわけです。繰り返しますが、指輪も林の中に捨てるという手落ちがあったにせよ、巧妙と言わざるを得ません。犯人が全ての仕事を終えた後、マスコミは焼け跡の写真を撮りました。轍のついた小道から入り、東側にレンズを向けて。その写真の背景にも確か、青い山々が映っていました。部外者からすれば、密室で殺人が起きたこと以外、不自然な箇所はないように思えますよね。事件後に部外者は当然、正規の入り口である小道から入り、そこで入り口を正面に向けた燃えた家の残骸を見ることになるわけですから」
 丸多の喉はすっかり乾いていた。散々喋り散らしたが、まだ言いたいことが少し残っている。言葉を切っても、〈キャプテン〉は話し出そうとしなかった。
「それで犯人は誰なんですか」北原が訊いてきた。
「そろそろその話をしましょうか」
 丸多が言っても、〈キャプテン〉は暗い顔をテーブルに向けたままでいる。この男がどう出るか、まだわからない―――丸多は、まだ直接的な発言を避けた。
「シルバさんが自殺をした可能性はゼロに近いでしょうね。これだけ、密室殺人を実現する要素が揃っていて、結果シルバさんが部屋の中で自ら首を絞めただけ、なんて話はあり得ません。彼には動機もありませんしね。あれだけ動画クリエイターとして成功しようと意気込んでいた人が、ある日突然自殺するとは到底考えられません。
 しかし、さっきから触れませんでしたが、これまで私の言った通りだとすると、シルバさんの動きに不自然な点がいくつか見られましたよね」
「僕もそれを訊こうと思ってました」
 今度、丸多は北原の質問を受け入れた。論理的道筋の終点はすぐそこだった。
「はい、シルバさんがわざわざ自分のこもる部屋の扉が映るようにカメラを固定するなど、まるで彼自身が事件を誘導しているとしか考えられない行動が多々見受けられました。これも、今や犯人しか知り得ないことでしょうけど、シルバさんは犯人にそそのかされていたのだと考えられます。おそらくシルバさんは、絞殺の直前までの流れは知っていたんでしょう。そうでないと、彼の行動の説明がつきません。あり得るとすれば、こういうことです。『内部で回転する部屋にいる人はその仕掛けに気付くのか』といったテーマで、動画を撮ることを勧められたのではないでしょうか。もちろん、勧めたのは犯人です。この場合、シルバさんはAの部屋からBの部屋に移った後、そこで自分は待機すると認識していたはずです。そして、中央の部屋が回転し、メンバー全員が揃ったところで出てくる、という算段だったのではないでしょうか。あるタイミングで、素知らぬふりをしながら『どっちの入り口から入って来た?』とでも尋ねれば企画が成立します。事情を知らない者はあくまで『心霊スポット探索』だと思っていたわけで、建物の構造を知らされれば、きょとんとした見ごたえのある表情をするでしょうから。
 そもそも、ああいった建物を建てる資金を誰が出したかを考えれば、少なくともシルバさんが家屋の構造を把握していたことは予想がつきます。当日の参加者の中で、最も年長で経験もある人物はシルバさんしかいません。犯人はシルバさんに、今言った『内部で回転する部屋に―――』などの偽の企画を吹き込み、彼にあの家を建てさせたんでしょう。建物は別の企画でも再利用できるとでも言えば、シルバさんを納得させることはできたはずです」
 二人の方を見ると、結論をじっと待つ北原の顔を窺えた。〈キャプテン〉は話に打ちのめされたかのように、がっくりと肩を落としていた。
「さて」迫る結論を意識して、丸多の心臓は高鳴った。矛盾はない―――はずだ。音が出ないよう長く息を吐いた。そして、言った。「少し話を戻しますが、シルバさんが部屋にこもってから、ナンバー4さんを除く四人は外に出て行きましたね。やはり、犯人を特定する上で、そこが重要なんです。キャプテンさん、答える気がなければ答えなくてもいいですが、あのときあなた方は車を使って市街地まで行きましたね。それはいいんですが、車には誰が乗っていましたか?私は昨日、あなた方が買い出しに行った店を回り、さらに現場の家屋跡まで車で行ってみました。かかった時間は約三十分でした。弁当を六人分購入したとすれば、大体四十から四十五分かかったはずです。これはかかり過ぎですよね。あなた方が外出してから戻って来るまでの時間は、せいぜい一時間でした。往復を考えれば、一台の車で行ったとは考えられません。容易に予想できたことですが、言いたいのは、あなた方は市街地へ車二台で二組に分かれて行った、ということです」
 丸多は三度(みたび)、スマートフォンを取り上げた。〈キャプテン〉がかろうじて意識を保っているのを確認した。
「唐突に聞こえるでしょうが、これも大事なことなので聞いて下さい。あなた方〈東京スプレッド〉がシルバさんと共に出演した動画のいくつかを、時系列の順に読み上げます。まず2017年9月、〈キャプテン〉さんが単独でシルバさんの動画に出ています。シルバさんが、水晶玉に見せかけたスーパーボールを床に叩きつけ、キャプテンさんを驚かせる、という内容でした」
 以後、丸多は同じように動画の投稿時期、内容、出演者を一つ一つ読み上げた。

 ②2017年12月「シルバが箱を受け取る動画」
 出演者:〈シルバ〉、〈キャプテン〉、〈ニック〉、〈モジャ〉

 ③2018年1月「シルバがシャンパンを開ける動画」
 出演者:〈シルバ〉、〈ニック〉、〈モジャ〉

 ④2018年3月「母校訪問」
 出演者:〈シルバ〉、〈キャプテン〉、〈ニック〉、〈モジャ〉、〈モンブラン〉

 ⑤2018年3月ごろ「水風船で遊ぶ」
 出演者:〈シルバ〉、〈キャプテン〉、〈ニック〉、〈モジャ〉、〈モンブラン〉、〈ナンバー4〉

 ⑥2018年3月または4月「上野公園散策」
 出演者:〈シルバ〉、〈キャプテン〉、〈ニック〉、〈モジャ〉、〈モンブラン〉、〈ナンバー4〉

 ⑦2018年6月または7月「サッカー観戦」
 出演者:〈シルバ〉、〈キャプテン〉、〈モンブラン〉、〈ナンバー4〉

「こうやって」丸多はかすれていく喉の痛みをこらえた。「動画を投稿順に並べると、見えてくることがあります。二つ目、三つ目、六つ目そして最後の動画は、シルバさんのチャンネル以外で上げられたもので、正確な投稿日は明らかではありませんでした。ただし、内容から時期を推定することはできます。
 二つ目の動画では、キャプテンさん、あなたはシルバさんにプレゼントのような物を渡していましたね。覚えていますか?これが撮影された日は、内容からクリスマスだとして良いでしょう。また西暦ですが、キャプテンさん、あなたは2017年4月ごろに『シルバさんに弟子入りした』と言っていましたね。その時期にあなた方は、シルバさんを初めて訪ねたとします。あなた方がシルバさんの動画に初めて登場したのが、2017年8月なので、これは妥当と言っていいでしょう。一方で、2018年の8月には、説明するまでもないですが、シルバさんはこの世を去りました。つまり、12月にあなた方がシルバさんと共に過ごせた年は2017年以外にありません。
 三つ目も同様の理屈で、その年明けに撮影されたものだと言えます。
 六つ目ですが、そこではシルバさんが『遊矢が忙しい―――』という言葉を放っています。当然、遊矢とは北原さんを指しているでしょう。北原さんが忙しくなったのは、覚えているでしょうか、美礼さんが亡くなった後、専門学校入学の準備を始めた2017年8月ごろです。また、上野で桜が咲くのは今時期か来月の頭までです。よって、この動画の撮影時期は、2018年の3月または4月だと言えます。
 最後の動画は―――もう長々とした説明は要りませんね。去年行われたサッカーワールドカップの時期に決まっています。ですから、去年の6月または7月だとわかります。
 ここまで詳しく動画の投稿時期を割り出したのには、当然理由があります。あなた方の言葉遣いから言って、キャプテンさん、ニックさん、モジャさんはそれぞれ対等な関係であり、三人は『先輩』ですね。そして、モンブランさん、ナンバー4さんはあなた方の『後輩』に当たります。すると二人が加入した時期は、あなた方三人の後であるはずです。もう一回、動画の出演者を読み上げましょうか?もう十分ですよね。モンブランさんとナンバー4さんが東京スプレッドに加入した時期は、明らかに2018年1月から3月の間だと言えるんです。
 それがどうしたんだ、と思いますか?これは極めて重要です。あなた方が美礼さんのオフ会にサクラとして参加したのは、いつだったでしょうか。2017年4月ですね。当時の様子を映した画像がネットに上がっているんですが、そこにはナンバー4さんを除いた東京スプレッドのメンバー四人が映っていました。何で、当時まだ東京スプレッドのメンバーでなかったモンブランさんが、美礼さんのオフ会に参加していたんでしょうか?キャプテンさん、あなたは一週間前、美礼さんのオフ会に『オリジナルメンバーが呼ばれた』と言いました。『東京スプレッドのオリジナルメンバー』とは正確に誰々でしょうか?後から加入したであろうモンブランさんとナンバー4さんが、『オリジナルメンバー』であるはずはありません。つまり、モンブランさんは、正真正銘の美礼さんのファンだったんです。当時モンブランさんは、たまたま客として美礼さんのイベントに参加していたんです」
 言葉を切ると、圧倒されそうな沈黙が丸多に降りかかった。まるで、そのフロアにいる者全員が一斉に呼吸を止めたようだった。北原は真っ直ぐに丸多の顔を見て、彼の次の言葉を待っていた。〈キャプテン〉もようやく顔を上げた。心なしか、生気を取り戻したように感じられた。
 丸多の喉はもはや潰れそうであった。ここまで喋るつもりもなかった。そう思いながら、彼は最後の力で口を動かした。
「結論を言いましょう。昨日、現場付近のレストランで聞いたのですが、事件当日、そこの駐車場でニックさんが車を停め、中で待機していたんだそうです。そして、あなた方の話によると、キャプテンさんとモジャさんはそのとき、買い出しをせずに、揃って車の中でゲームをしていたらしいですね。さて、簡単な問題ですが、車二台に対し、メンバー4人はどのように割り振られたでしょうか。ニックさんはそのとき運転席にいて、さらに後部座席にも誰か乗っていたそうです。話を総合すると、車一台にはキャプテンさん、ニックさん、モジャさん、そしてもう一台にはモンブランさんただ一人が乗っていましたね。ニックさんは、あなたがた二人が車内で『ゲームをしていた』と断言していましたから。
 これが本当に最後ですが、私は先ほどBの部屋でシルバさんが犯人によって絞殺され、その後犯人は部屋から出た、という話をしましたが、そのとき敢えて、そこから犯人がどうやって外に出たか言いませんでした。もう、明らかですが、犯人は殺害を実行した後、部屋の窓から出たはずはありません【図10⑦】。そうだとすると、Bの部屋の窓の鍵を閉められなくなり、密室が成り立たなくなってしまいます。当然、犯人は殺害後、窓の鍵を閉め、何食わぬ顔をしてBの部屋の扉を開けました。そして、平然と編集中のナンバー4さんの横を通り、外へと出ました。
 そのときナンバー4さんは、Bの部屋にはただメンバーの荷物が置いてある、と認識していました。中央の部屋が回転する前なので、当たり前ですね。すると、思い出してみましょう。メンバーが買い出しに行く段のとき、『メンバーの荷物が置いてある部屋』に最後に入り、そして出て行ったのは誰でしょうか。最後に財布を取ってきて、足早に出て行ったのはモンブランさんでした。
 長かったですが、こういうことです。買い出しのとき最後にBの部屋に出入りした人が実行犯でなくても、その人は室内でシルバさんの死体を見たはずなんです。その人の前にBの部屋に入った誰かが、シルバさんを殺したわけですから。つまり、モンブランさんだけは実行犯であっても、そうでなくとも、確実に事件に関与していた、と言えるんです。
 きっと共犯はいるでしょうね。三人は何でレストランの駐車場で待機していたんですか?おそらく、コンビニに行く前に一仕事行わないといけないモンブランさんを待っていたんじゃないですか?それに、家が燃えた後に、斜面上で青い火を放つことで、モンブランさんに合図を送る人もいたはずです。それは死体発見後、現場を離れたキャプテンさん、ニックさん、モジャさんの中にいます」
 丸多はここで勢いよく立ち上がった。二人はまだ黙っていた。
「モンブランさんを呼んで来ようじゃないですか。彼がメンバー内でただ一人美礼さんのファンだったとすれば、動機を持っているのも彼しかいません」
 丸多が奥の部屋に向かおうとすると、〈キャプテン〉がこの日、初めてまともに口を開いた。
「最後のところだけおかしくないですか?」
 丸多は立ち止まり、動く〈キャプテン〉の口を見つめた。
「モンブランの加入時期は、今丸多さんが言った通りです。確か、あいつは2018年3月にうちに入りました。ナンバー4も同時期です。ですけど、シルバさんが美礼さんを殴らなかったのは、前にお話ししましたよね。その話をシルバさんから初めて聞いたのは、モンブランの加入前です。ただ、モンブランが入った後も、その話を内輪で何回かしました。当然、事件前にもしました。だから、モンブランだって、シルバさんが無実であることを知ってるんです。仮にモンブランが、シルバさんが美礼さんを死に至らしめたと勘違いしたとしましょう。そして、シルバさんを殺す機会を得るためにうちに入ったんだとしても、モンブランはどのみち彼が無実であることを知ることになるんです。そうすると、モンブランにも動機はない、ということになりませんか」
 丸多は言い返せなかった。全くその通りだ。建物のからくりに注意がいってしまい、そこまで頭が回らなかった。
「それも含めて、彼に訊いてみましょう」
 丸多は走り出し、〈ナンバー4〉らがいる部屋の中へと入った。彼らの方へ手を伸ばそうとすると、壁の影に隠れていた〈ニック〉が丸多の腕を掴んだ。そこには〈モジャ〉もいた。〈ニック〉が引き戻そうとする寸前、丸多の手が黒いキャップ帽に触れた。
 〈モンブラン〉の衣服をまとった人体模型が、椅子から崩れ落ちた。丸多は何が起きたのかわからず、身を後ろに引いた。〈ニック〉の手に力が入り、丸多の手首に太い指が食い込んだ。
「こっちだな」丸多は、危機に直面した生き物のあの恐るべき力で、絡みつく手を振り払った。その勢いでリビングに戻り、隅に置いてあったスーツケースを乱暴に引き倒した。
 血の気の失せた〈モンブラン〉の死体が床に転がった。両目を閉じて体を丸める様子は胎児のようだった。
 追いついた〈ニック〉が丸多の背中に覆いかぶさった。座ったままの〈キャプテン〉が冷徹に言った。
「ニック、やめろ。もういい」
「丸多さん、落ち着いて下さい」〈ナンバー4〉がノートPCを手に持ち、リビングに入ってきた。「キャプテンたち三人は事件に関与していません。モンブランもシルバさんを殺していません」

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