人を狂わす輝き(SF短編) 5

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 上空で突然、遠い銅鑼(どら)のような音が響き、森内は首を上へ振り向けた。多面体ドームのサファイアガラスに、微小隕石でもぶつかったのだろう。周囲の照明は強く、観察できる星の密度はポッドから見たときよりも随分減った。その中でドームの骨組みに隠れるようにして浮かぶ地球の姿は、やはり一際目を引く。アフリカではもう夕方だろう。薄い雲に覆われた砂の大陸は、徐々に暗い面へと移ろうとしている。
 月面の研磨技術開発拠点、ジオ・ルナ。その人口庭園の中央で森内は今、月の女神ルナの小ぶりな像と対峙している。
「いいもの持ってきたぜ」月の砂を踏む足音とともに声がした。振り返らずとも浅井であることはすぐにわかった。―――足音が不規則なのは、まだこいつも月の重力に慣れていないからだろう。すでに作業服は脱いで、ジーンズにTシャツというラフな格好でいる。ラテン系のくっきりとした顔立ちとさまになる長い手足は、ぎこちない動作とはおよそ不釣り合いに見えた。
「手出してみ」浅井に言われ、森内は相手の腹の辺りで手を広げた。浅井はその上に小石のようなものを一つ、無造作に転がした。指でつまんで見ると、それは研磨済みのダイヤモンドであった。
「黒池さんが森内にも渡せって」と浅井。「エシカル(倫理的)ダイヤモンド、だとさ」
「何これ、高いの?」森内はダイヤと浅井の顔を交互に見比べた。
「いや、それは参考品だから値打ちはほとんどないらしい。『紛争ダイヤモンド』の話、比嘉さんから聞いただろ。エシカルダイヤモンドは、それとは対極にある、って」「というと?」
 森内が訊くと、話を仕入れてきたばかりのためか、浅井は突然冗舌になった。「紛争とは無関係であることを証明できるダイヤをエシカルダイヤモンドって言うんだ。いや、紛争だけじゃない。他にも人権や環境問題にも配慮されて、エシカルダイヤモンドは生産されてる。見えるか?多分見えないだろうな。エシカルダイヤモンドの一つ一つにはシリアルナンバーが刻印されていて、生産地や採掘会社、さらにはそれらに関わった従業員全てを追跡できるんだよ」
 一時間ほど前、まだ頭の整理がつかないまま、施設の隅におまけのようにして建つビジネスホテルに通された。ツインルームのベッドの一つに腰かけると、黒池らがそれまでと同じ賑わいを見せながらやってきた。その日の着替え、日用品の購入場所など取るに足らない話題から始まり、そのうちあのジャメルの爺さんについても触れられた。
 黒池が言うには、ジャメルは確かに別会社の所属だが、奴隷などではなく、自分たちと同程度の月給を得ているのだとか。たまに手伝いがてら、冗談で金を渡すよう言ってくることもあるが、これまで重大な問題など起こしたことはない、極めて模範的な人物なのだそうだ。
 だけどな―――。そこまで聞いても、森内の頭に澱(おり)のような懸念が残ったままでいた。
「これってハッピーエンドって言い切れるのかな」
「どういうこと」それまで自信に満ちていた浅井の顔が、わずかに曇る。
「いや」森内はそれ以上言葉を継ごうとせず、振り返り、また像の方を向いた。
 俺たちのあの現場が人権に配慮しているのはよくわかった。だけど、紛争はまだ地球上のどこかにあるだろう。月はそういった人々の諍(いさか)いを、ここから何度となく見てきたんだろうな。
 ふと思いついたことがあり、森内は受け取ったダイヤを目の前にかざした。そして、それに透かして像を眺めてみた。
 なあ、月の女神ルナよ。できるものなら、このエシカルな輝きも狂わせてみてくれないか?
 ダイヤを透過した月の光が地球までほんの少しでも届けばいい、ってのはちょっと気取りすぎているかな。

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