僕が感じたフリーランスの2つの危機
※執筆・編集の仕事は継続しています。同時に新しいことも始める、そういったニュアンスで捉えていただけると幸いです。
僕は今、転換期にいる。2020年までの流れがフェードアウトしていて、2021年からの流れがフェードインしているような状況だ。
2020年1月から活動を始めたWEBライターの仕事は好調で、一時はそのまま「法人成り」も検討したくらいだった。でもそうはならなかった。
「タイミングを見誤った」「そもそもの仕事の仕方に問題があった」思い返せば色々なことが反省点として思い浮かぶ。
数ヶ月前までは2020年の影が濃く感じられて、正直どうすれば良いのか分からない月もあった。
高速道路で120キロ近い速度を出していた車がいきなりアクセルを踏むのを止めた時の、エンジンブレーキが徐々にかかる感じに似ている。
完全に止まってしまって路肩でレッカーを待つ自分を想像したこともあったけど、僕は今1つのインターチェンジにいる。
錯覚との競争
そもそもフリーランスになること自体、ある意味「危機的」かもしれない。特定の状況下でないと、失敗には多くの代償がともなう。
とはいえ、「上手くいかないこと」それ自体がフリーランスとしての危機的な状況かと問われると、それは違うと僕は思う。
フリーランスとして危機的な状況というのは、本質的に「自分が見えなくなること」だと思う。
高速道路を走っていて、濃い霧に包まれてしまった時、瞬間的に僕らは方向感覚を失ってしまう。
はじめは前後の地点の情報があるから、「ある程度どこに進んでいるのか」が分かる。
でも、その濃い霧が長いこと晴れなかったら?
高速道路を走っていて何時間も霧が晴れなかったら、目的地にたどり着けるのか不安になってくる。
そしてそのうち、前に見えている車の後を追っていくだけの物体と化す。
路肩で止まるわけにもいかず、インターチェンジの出口も見つけられない、ただひたすら走るしかない...
でも本当にその選択肢しかないのだろうか。
それはただの錯覚で、他の選択肢があるのではないだろうか。
何かのきっかけで「Googleマップを開く」ことを思いついたり、いつの間にか消えていた「ラジオの音声を聞いて」おおよその目的地を知ったりすることもできたはず。
あるいは減速して、冷静に今の状況を考える時間が持てたはず。
「いつどんな時だって自分はある錯覚や幻覚の中にいる」と、常に忘れないことが大切なのかもしれない。
在りもしない何かと競争しているのなら、それは在りもしない結果を招くかもしれない。
「飽きている私」に嘘をつくこと
錯覚との競争に気付いた後、僕らは高速道路を降りなくてはいけない。
あるいはインターチェンジで異なる流れに合流しなければ、いつまでも濃い霧の中を走ることになる。
でも僕はこう思った。
「もう少し走れば何か分かるかもしれない」
走り続けていれば、いつか何らかの答えが見つかるかもしれないと思った。
でも、しばらく霧は晴れなかった。
そしてやっと、高速道路を降りる決心がついた。
高速道路は基本的に長いし、早く走るために作られている。
でも当然ながら「ずっと走り続けなさい」とは言っていない。
本質的に「目的地までの手段の1つとして」ドライバーは利用する。
高速道路の走行に飽きていたけど、目的地にたどり着いていないから、僕はおそらく降りなかった。
でもその目的地があったのかを今問われると、本当は無かったような気がする。
というよりも、その目的地はあったけど、僕はそこに居なかったと思う。
霧に包まれる前に
僕が感じたフリーランスの危機は「錯覚と競争すること」「飽きている自分に嘘をつくこと」の2つだった。
そのことを自分なりに解釈して、僕は高速道路を降りる決心をして、今1つのインターチェンジにいる。
正直この先どんな道を走っていくのか、明確なイメージはない。
それでも確実に、まわりを覆っていた厚い霧は晴れてきている。
きっとインターチェンジを通り過ぎて、自分がどれだけ走ってきたのか、目的地からどの位置にいるのか、徐々に分かるようになると思う。
また霧に包まれるようなことがあれば、頭の中の自分だけでなく、現実の自分もしっかりインターチェンジに向かわせようと思う。
今後もwebライター/発注者としてのリアルを綴った話題、未来予測を投稿していきます。応援よろしくお願いします。