お母さんの魔法
美也は学校から帰るとすぐに2階の自分の部屋に走っていって、ランドセルを机に投げつけ、ベッドに潜り込んだ。
もうイヤ!もう絶対学校なんか行かない!
***
敏子は困り果てていた。
小学5年生になる娘の美也が学校に行かなくなってから、今日で3日目になる。
今まではこんなことなかった。
娘は神経質なタイプではない。というより、自分に似てかなり大雑把でお調子者な性格だと思う。
学校を嫌がるようなことも無かったし、友達とも仲良くやっているようだった。
実際日曜日も、クラスの子と遊びに行くと言って出掛けていた。
それが月曜日になって、学校から帰るなり部屋に閉じこもって、それきり出てこなくなってしまった。
学校には行かないの一点張りで、理由を聞いても何も答えてくれない。
一晩寝れば落ち着くかと思ったが、次の日も、その次の日も、美也が部屋から出てくることはなかった。
どうしてこんな事になったんだろう。
私が悪かったのかな。
美也はもしかしたらいじめられていたのかもしれない。
でも我慢して、明るく振る舞っていたのかも。
私も大雑把だから、そんな美也に気付いてあげられなかったのかな。
このまま学校に行けないままだったらどうしよう。
楽天家の敏子も、この時ばかりは悪い考えがあふれだして止まらなくなり、心が押しつぶされそうだった。
敏子を救ったのは、担任の先生からの電話だった。
「美也ちゃんが学校に行かなくなった理由が分かりました。放課後そちらに伺わせて頂いてもよろしいでしょうか?」
***
16時過ぎ、家に先生がやってきた。
隣には男の子がいた。確か美也と同じクラスの子だ。
敏子は2人をリビングに通してお茶を出す。
一体何が起こったんだろう。
平静を装っていたが、どんな話をされるのか、内心は気が気ではなかった。
「実はですね……」
先生が説明を始めた。
「こちらの渡辺聡君と美也ちゃんとで、喧嘩をしたみたいで……」
「喧嘩というか言い合いという感じなんですが、その時に、美也ちゃんの容姿を傷付けることを言ってしまって……」
「聡、なんて言ったんだ?」
聡君はしばらく黙っていたが、先生に促されてようやく、か細い声で言った。
「…………まゆげ星人……」
先生が言いにくそうに付け加える。
「何というかですね、美也ちゃんのまゆげがですね、その、右と左がつながっているというのをですね、からかったようで……」
「美也ちゃんがですね、それがすごいショックだったようで、こういうことになったみたいなんです……」
……何じゃそりゃ。
敏子は拍子抜けした。
どんなヘビーな話がくるのかと覚悟していた。
それがフタを開けてみると、まゆげがつながってるのをクラスの男子にからかわれた?それだけで学校行かなくなったの?
くだらねー。
この3日間悩んでたのは何だったんだ。
敏子は笑い飛ばそうとした。
だけどその直前、
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
聡君がぽろぽろと泣き出した。
「ごめんなさい……」
泣きながら何度も謝る聡君を見て、敏子ははっとした。
いや、違う。
くだらなくなんかないんだ。
この子たちにとっては。
いじめとか、誰かが死んだとか、そんなんじゃなくても。
些細な、大人からしたらくだらないと思うようなことでも。
子供たちにとってはそれが全てで、だから、真剣に悩んで、泣いて、もがいて……
ごめん。
大人がすることは、笑い飛ばすことじゃない。
こっちも真剣に、向き合わなくちゃ。
敏子は、まず自分で話したいからと、美也と会いたいという先生の申し出を断り、ようやく泣き止んだ聡君に向かって言った。
「聡君、話してくれてありがとう。美也のことは大丈夫。明日絶対学校に連れていくから。おばちゃん約束する。
だから、聡君も約束してくれる?美也が学校に来たら、仲直りしてくれるって」
「はい」
聡君は、小さいけどしっかりした声で返事をしてくれた。
さてと。
次は、美也と向き合う番だ。
***
「美也」
お母さんが入ってきた。
「山本先生、来てたわよ。
聡君も。ごめんなさいって」
知ってる。声が聞こえてたから。
「イヤよ。学校は行かないから」
謝ってるんだからいい加減学校行きなさいと言いにきたんだろうけど、そういう問題じゃないの。
「そう。まあその話は後でいいわ」
え?
どうしたんだろう?
てっきりいい加減にしなさいと怒り出すかと思ったけど、意外にも、お母さんはあっさり引き下がった。
「いいから、下におりてらっしゃい。
お母さんが、魔法かけたげる」
お母さんはそう言うと、さっさと階段を下りていった。
魔法?何それ?
わけが分からない。
聞き返そうにも、お母さんはもういない。
ちょっと待ってよ。
美也は、お母さんの後を追った。
下におりると、お母さんはリビングにいた。
「ねえ……」
「来たわね。そっち座って」
美也が話す間も無く、有無を言わさず椅子に座らされる。
「目つむって」
言われるままに目をつむると、顔に濡れたタオルを押し当てられた。その後も何か色々されたけど、美也は何をされているか分からず、ひたすらじっとしていた。
「はい、おしまい」
そう言うと、お母さんはテーブルの上の鏡を取って、美也の顔に向けた。
「ほら、鏡見てごらん」
何がなんだか分からず、しばらくきょとんとしていたが、
「あっ」
美也は声をあげた。
まゆげが、右と左でくっきりと分かれていた。
さっきまではつながっていたのに。
そのせいで、今まで悩んでいたのに。
「どう?魔法はかかった?」
お母さんが聞いてくる。
「……うん」
本当に、魔法みたいだ。
「お母さんもまゆげつながっててね、それがすごい嫌だった。だからこうしていつも剃ってるのよ」
え?そうなんだ。
美也はお母さんの顔を見たけど、まゆげはきれいに分かれていて、つながってるなんか分からなかった。
「嫌だったら剃ったらいいし、切っちゃってもいいし。自分が気に入るようにお手入れするの。髪の毛と一緒よ」
それからお母さんは、はさみとかくしとかを持ってきて、お手入れの仕方を教えてくれた。
教えてもらいながら美也は、お母さんとたくさんおしゃべりをした。
学校のこと、聡のこと、お母さんが子供だった時のこと……
気付いたら18時を過ぎていた。
「お腹空いたわね。一緒にお買い物行こうか?」
「うん」
美也は外に出た。
風が気持ちいい。
3日ぶりの外だ。
たった3日だけど、すごい久しぶりな気がする。
いつの間にか、これまでのモヤモヤした気持ちは、すっかりなくなっていた。
なんだか、走りたい気分だ。
「ねえ、お母さん!先行っとくね!」
美也は、スーパーに向かって駆け出した。
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