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競馬の話

皆さんは競馬はもともと野生の馬を走らせていたことを知っていますか?
野生の馬さえ捕まえられれば、誰でも参加でき、その敷居も非常に低かったのです。

また、日本の競馬は、世界最古で主流であるイギリス競馬にルーツを持たず、山里の子供の遊びに端を発して独自に進化を遂げてきたと言われます。

今回はそんな競馬にまつわる話をしたいと思います。


①野生の馬を捕まえる

日本の競馬の原点は、子どもの遊びにルーツを持つとされています。1940年ころまで、日本には野生の馬が身近に生息していました。山里に住む人々は、山に馬を捕まえに行くとこは日常でした。
捕まえた馬のうち、体格の大きな丈夫ものは農耕用に、小柄なものは育てて馬肉に、細身で流線型の馬は競争に用いたとされています。どんな用途にも使われることから、捕まえてきた馬は「おうまさん」として、家族で大切に育てられたと言われています。

特に山里の残る地域の子どもたちにとって、野生の馬は大人しく身近な存在で、山に入っては野生の馬を捕まえ、捕まえた馬に乗って競争していたのです。

基本的には校舎や空き地など、小さなコミュニティの中で近隣の子どもたちで集まって馬を走らせることが主流でしたが、交通・通信手段の発達に伴い、馬とともに移動できる範囲が広まり、馬の競争も大規模化しています。

当初はせいぜい2、3頭で行っていた競争も、この頃には10頭・20頭と大規模化していき、有志で募った賞金も課せられるようになります。

通常は馬を山里に捕まえにいくことが主流でしたが、資本力のある豪農を中心に、優秀な馬をかけ合わせて競争に勝とうと再生産していく動きも見られます。

また、競争での賞金の他、着順を予想することに対しても賞金等が配布されるようになります。

②ルールの統一と国営化

競争が大規模化していくと、次第に既存の空き地や校舎などではスペースが足りなくなり、行政や資本家による競争の場が作られます。 

馬に乗って速さを競うこの競技は「競馬」と名付けられ、「競馬場」で行うものとされルールも統一化されていきます。「競馬」の運営は、地方の資本家から行政の手へ渡されます。
馬の品種、職業騎手、厩舎制度、重賞競争、競馬法など細かな部分まで制度が設計され、「競馬」は山里の子供の手を離れ、資本家による大人の遊びへと変容したのです。

現代競馬とほとんど同じ設備・ルールとなったのは1970年代ころで、日本中央競馬会の設立、勝馬投票券による配当が始まったのもこの頃です。

賞金も高額化していき、産業として競馬が成り立つようになります。競馬で食べていくことが現実的になったのです。
馬は飼育・訓練に広いスペースを必要とし、都市部における資本家は飼育のノウハウ・馬を育てる土地がなかったため、馬主として馬を所有する一方で、飼育・訓練などを一括して牧場に一任するようになります

こうして馬の生産・飼育・訓練・出走にかかるフローは細分化されていき、専門的な牧場が誕生します。

③管理された馬

高額なレース賞金を得るため、牧場では栄養学やスポーツ科学、生物学的な視点から速い馬を育てるようになると、次第に捕まえた野生の馬の活躍の機会は少なくなります。
捕らえた野生の馬は品種や体格などもまばらで、厳密に定められた規格に適合することも容易ではなく、次第に競争の場から姿を消していくのです。
また、国内の多くの馬は戦時下に騎兵として中国で用いられたこともあり、野生種は鹿児島などごく僅かな地域に一部残るのみとなっていました。

飼育環境で生産された馬はサラブレッド(純血種)として定義され、細く流線型で加速に適した馬が掛け合わされ、再生産されていきます。

また、中国やモンゴルなどから速い馬を育てる目的で野生の馬を輸入し、サラブレッドと掛け合わせるなど品種の強化が行われていきます。

馬の生産に専門的な機関が設けられると、経験則的に「白毛は体が弱い」「胴が短い馬は短距離向き」「首が長い馬は野生種の親を持つ」など現代にも通ずる知見が蓄積されていきます。

④野生化したサラブレッドの登場

競走馬を所有する馬主の多くは、都心部に住む資本家で、預けている牧場に管理料や預託金を支払い、一連のプロセスを委託していました。

2008年に端を発したリーマンショック、金融危機では馬主の多くが資金繰りに危機を抱え、そうした預託金を支払うことも出来なくなったのです。

預託を受けている牧場では、支払いを受けられない馬を育てる訳にもいかず、資本家へ馬の返却か放逐を迫ることになります。
困窮する資本家は都心部で馬の飼育スペースがなかったことから、牧場へ放逐を依頼しました。

特に大規模な牧場や厩舎を有していた、北海道・日高地方、茨城・美浦、滋賀・栗東などでは多数の馬が放逐に出され、馬が群れをなして野生化していきます。

特に茨城などでは野生化した馬による被害が多く発生し、水田へ侵入して稲を食べる・踏み倒す、道路を横切る、糞害による異臭騒動など多くの問題を引き起こしています。
茨城で野生化した馬は群馬、福島、千葉など版図を広げており、馬と人間の共存が求められています。

⑤原点回帰

戦争による野生馬の減少から一転して、2008年のリーマンショック以降は野生馬の数が増加していると言われています。
また、これまで多様に生息していた原産の馬ではなく、野生化したサラブレッドが多くを占めるようになります。

1970年代以降、管理下で生産された馬にしか勝機がなかったものの、自然の中でたくましく育った馬にも陽の目を浴びるようになります。
2015年頃からは捕獲された野生馬も出走するようになり、本来の競馬の原点を取り戻しつつあります。

すなわち、大規模な資本家にしか参加出来なかった競馬も、野生の馬を捕まえて自分で乗ることができれば誰でも参加が出来るような環境になったのです。

また、都会で一攫千金を狙う層では、特に速い馬が生息するとされる長野や山形などへ野生の馬を捕まえに行き、自前の訓練などを重ねて競争へ出走するなど、参加の垣根は低くなっています。
2018年には専業主婦の方が野生の馬を捕まえ、なおかつ騎手として参加し話題を集めました。

馬は大人しい動物とされており、人参を見せながら誘導すると勝手についてくるほど人懐っこく、警戒心が薄いとされています。
また、茨城県などでは野生の馬を捕まえ、飼育することを推奨しています。野生の馬を捕まえるツアー旅行などの商品も一般化してきました。

皆さんも馬券を買うだけではなく、馬を捕まえて競争に出走してみませんか?


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