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【自己紹介】

キミにまだこんな話をするのは早いかもしれないけど、これから少しずつボクの日々のことを語って行くことにする。

長文のうえに絵もないし、キミの好きなヒーローもかわいい動物も出てこない。

それでもキミが楽しめるように、文章も絵も練習するから、ちょっとだけでも興味を持ってもらえると嬉しい。

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今朝のこと。
昨日の深酒がたたって、ベッドと洗面台をゾンビみたいにノソノソと何往復もしながら、ついには洗面台の前から動けない状態になってしまっていた。

前回いつ洗濯したかも定かじゃない、すえた臭いのする足吹きマットを枕代わりにしながら、脱衣所に散らばる詰め替え用洗剤やシャンプーの空き袋なんかと一緒に、ボクが至らなかった故の今の困難な状況について、過去のどのイベント分岐で選択を誤ってしまったのか反省会をする内に、過去のこんな一幕を思い出した。


あれはボクがキミくらいの年の頃、キミのお祖母ちゃんの家(昔はボクもそこに住んでいた)がある町内会の夏祭りの時のこと。

その祭の出店の中にクジ引き屋があって、クジの一等は直径10センチくらいの青く透き通ったスーパーボールだった。ボクはどうしてもそれが欲しくなって、そしてなぜかその日は絶対に一等が当たるという予感があって、なけなしのお小遣いから50円を投入する決意をしたんだ。

クジのボックスに手を突っ込んで、とても集中した事を覚えている。もちろん一等だろうがハズレだろうが、クジ自体の大きさも質感も変わるモノじゃないのに、ボクはそこにある一等のクジを慎重に探して行った。そしてしばらくボックス内をさ迷っていると、指先にピリッとした感触があって、これだ!て確信とともにそれを引き出したんだ。

ボクは今の不思議な出来事を反芻して、導かれた答えは、これが偶然や奇跡ではなく自分の超能力が招いた事象であること、そしてこれは他人にばれてはいけない秘密の能力なのだと確信し、手に入れた新しい宝物を自慢したい気持ちを抑えて一人で祭りを後にする。

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そんな思い出に浸っているうちに目は完全に覚めてしまい、まだひどい頭痛と倦怠感は続いていたが、空になった胃袋がキリキリ痛みだしてきたので、仕方なくリビングに移りゴミの散らばる部屋を食べ物を求めて探索することにする。

仕事でも家事でも一流の処理能力を持っていたキミのママのおかげで、この家には今やボクの私物以外の物はほとんどなくなっているのだが、冷蔵庫には唯一キミのいた痕跡として、キミの大好きだった〈朝食リンゴヨーグルト〉が残っていた。

遥かに賞味期限の切れたそれは、以前のボクなら即効ゴミ箱へ投げ捨てている類のものだが、その時は一切躊躇もせず封を開け一気にかっ込んでしまうと、なぜかその後ちょっと悲しい気持ちになってしまった。



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人生には、これまでの自分をどうにかしてしまうくらいのビッグなイベントがたまに起こって、それがボクらが向かうべき未来へのレールを作り出していくんだ。

一般的にはそんなライフイベントをファイナンシャルな見地からプラン立てする場合、就職、恋や結婚、出産と育児、別離、死。そんなものが上がるんじゃないかな。

そして多くの人が、そんなライフイベントを正確にトレースする事こそが幸せであるのだと信じて、その定められたレールから逸れないように充分配慮しながら、ギリギリのところで個性的な生き方をしようと頑張っているんだ。

つまりボクらはいろいろ自由に選択を繰り返して生きているように見えて。大枠では実はちっとも選択の機会なんてないのかもしれないね。


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これは真面目だったママには秘密なんだけど。ボクたちの仲間は、学生時代、ここで言うのも憚られるような、若さゆえのバカ騒ぎをよく起こしていて、何度か留置所で目覚めたこともある程だった。

そんな非常識な仲間達も、その数年後には立派な会社に勤めて、ボクのヨレヨレの一張羅の何倍も値段のするカッコいいスーツを着こなして、マネタイズとかバジェットとか難しい横文字を口にするような仕事をしてたりするんだ。

そして更に数年後に街でばったり会った時には、上品なマタニティドレスを着た淑女と並んで歩いていて、自身は全身ヨレヨレのスウェットを身にまとって、照れ臭そうな笑みを浮かべながら、ポコンと出た腹をさすったりしているんだよ。

こんな言い方をすると、人生のビッグイベントがまるで平凡へ向けて突っ走るツマラナイきっかけのように聞こえるかもしれないけれど。実際はキミのママとの出会いは落雷にでもあったかのような衝撃だったし。キミがポーンとこの世に誕生してきた時には、ボクは産院の待合室から分娩室へ急ぐあまり、階段上から踊り場まで飛び降りて骨折するくらいの喜びようだったんだ。

そしてキミとキミのママの幸せのために全てを捧げようと心からそう思った瞬間、ボクはこのレールに乗った幸せをしっかりと感じていたんだ。

それが叶わなくなった今でも、その時の最高の気持ちは良く覚えている。



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ただ人生に起こるイベントにはそんな生き方にレールを敷くようなモノばかりじゃなくて、そこを走るボクら自身の個性を形作る無数のイベントがあったりもする。

そしてそのいくつかのイベントで誤った選択を繰り返すうちに、せっかくレールに乗ったのに、石炭をボロボロこぼしながら走る機関車のようにいつしか燃料が尽きてしまい、もうこれ以上前に進むことができなくなってしまったうえに、あろうことかそこから逸脱せざるをえない状態にまでなってしまったのが。今のボクだ。


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先日、たまたまボクの気分が良くて、京浜東北線でお婆さんに座席を譲ってあげたんだけど、彼女はお礼としてボクに黒飴を差し出してくれたんだ。

そしてここで問題が発生する。今この話を語っているボクと、座席を譲らなかったボクは、結果として今日何か違うところがあるだろうか。黒飴をもらったボクと、それを謝絶したボクには何か変わりがあるだろうか、ということだ。

これは右足から歩き出すか左足から歩き出すか程度の誰も気にかけないような問題かもしれないが、そんな日常どこにでも起こりうるイベントの選択が、その後の人生に大きな影響を与えないなんて、誰が言い切れるんだろう。


あの町内会の夏祭りでの出来事は、語ってしまえば単なる子供の頃の思い出話に過ぎない。だがボクにとって、それがその後の思考や行動の根幹を成す要素の一つとなる重要なイベントだったなんて、いつ判断できたのだろう。


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実際その後のボクの人生に起こったイベントはこうだ。

ボクの所属した少年野球チームのそのシーズン最後の消化試合。万年控えで最終学年を終えようとしていたボクは、監督のお情けで最終打席に代打起用されたわけなのだが。結果それは逆転サヨナラホームランで終わって、ボクの野球人生も唯一の自慢話を残してそこで終了となった。

この間だって仲間にバーに呼び出されて、ボクが到着した頃には皆ダーツに興じていて、ボクもやれと皆がせっつくものだから、じゃあ一投だけと投げてみると思った通り矢は見事に20のトリプルに着弾した。そして二投目は上手く行かない確信があったから逃げるようにこれを固辞し。ボクは皆にダーツが上手いイメージだけを残すことに成功した。


いつもこんな感じなのだ。元々才能も努力もしないのに、何かという時にふと成功が訪れて気紛れに去って行く。

だからボクはその一回の成功を周りに印象づけることで「なんでもできる器用な人」と思われるんだけど、実際のボクはこの気紛れな能力のせいで、「いざとなればできるんだ」という思いを抱えただけの、ちょっと器用だけど何もできない、平均点そこそこの大人に成長してしまったんだ。

そんな何かにのめり込んだり、真剣に打ち込んだりしないまま過ごしてきたボクは、ある時キミのママからこんな事を指摘されて、最悪なことにそれをボクが自覚することになってしまった。


「あなたは家族に対してすらそこそこの愛情しか持てないのね」



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実はボクはキミに懺悔しなければならないことがある。

それは今の困難な状況になってすら、恥ずかしながら、ボクの本当の人生はまだこれからやってくるんだ、という子供じみた考えを拭いきれないでいる、ということだ。

そしてボクをこの最悪な状況から無条件で引き上げてくれる、そんな天の啓示のようなイベントの訪れを待ち望んでしまっている。

ボクはこれから少しずつ日々の気付いたことや思ったことを書き留めて、いつ訪れるかわからない天啓を注意深く見逃さないように、そして選択を誤らないように、来たるべき時のために準備をして行こうと思う。

最後に。
キミがこの文章を理解できる年頃になった時、ボクがまだ何かを綴り続けていたら、それはボクがまだ元気に生存している証でもある。そしてもしそれを確認した時にキミがボクを赦せるなら。

たまにボクのことを思い出して欲しい。

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