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映画「シン・仮面ライダー」を観ました

※大変申し訳ありません、ただのかんそうぶんではあるのですが、あまり肯定的な内容にはなっておりません…。ご承知おきください。

 映画「シン・仮面ライダー」を観ました。
 監督・庵野秀明。撮影・市川修、鈴木啓造。
 出演・池松壮亮/浜辺美波/柄本佑/西野七瀬/塚本晋也/手塚とおる/松尾スズキ/森山未來ほか。
 
 IMAXシアター映画館で鑑賞しました。安定の高画質・好音響でした。IMAXシアターの音響で子門真人の歌を聞くことができたことは素晴らしかったです…。

あらすじ

 謎の秘密結社・ショッカーの手により肉体を「改造」された男・本郷猛は、ショッカーを脱出し、「仮面ライダー」としてショッカーと戦う…という基本骨子は変わりありませんが、「改造」や「ショッカー」の中身については、この作品ならではの味付けがされています。
(メカと強化生体の組合せが格好いい…)
 後述しますが、物語としての骨子は、本当に原作漫画版の「仮面ライダー」であったのだなと、観終えて感じました。

何故比べるのか

 シン・仮面ライダーは独立した作品であり、比較するのは違うとは思うのですが、本当に正直な感想を書くと、シン・ゴジラやシン・ウルトラマンほどではなかった、と自分は感じました…。

 ところどころ、唐突感が拭えないところと感じてしまったところは、どうしてもありました。それは橋田壽賀子ドラマ的説明セリフなのでは、とも…。 
(冒頭はもうある意味仕方ないかとは思うのですが…
 その他に例えば、劇中で、本郷猛の優しさは本当に伝わってくるのですが…みんな優しい優しい口にしなくても…いやでも言わないとわからないか…)

 二時間ちょっとで仮面ライダーの物語を網羅するのは難しいのかもしれませんが…。
 シン・ウルトラマンを観たときにも、「ウルトラマン全編の話を二時間は、結構キツいというか勿体ないのかもしれない…ドラマとか数話で描いたほうが…」と思ったりもしたのですが、今振り返ると、シン・ウルトラマンはよくあれだけの登場人物たちを受け手にもきちんと認識させつつ描いていたな、と思います。

 どうして比べてしまうのだろう…。

迫力のゴア描写アクション

 仮面ライダーBlackSunもそうでしたが、シン・仮面ライダーもゴア描写がありました。スピード感溢れるゴア描写、頭パーンアクションは、改造人間のパワーと圧倒的暴力度が感じられて、良かったです。作品の主題のひとつと思われる「力、暴力」を掘り下げていく意味でも、印象強かったと感じました。優しい人間でも頭パーン。その苦悩。
 …そりゃ改造人間のパワーで殴られたら頭パーンしますよね…。
 
 感覚的な話になってしまうのですが、アクション描写、カット割り、画作りは、良くも悪くもあまり他の等身大アクション作品では観ないようなものになっていたと思いました。実写でこういう描き方はあまり観たことがないと…。
 
 ただ、オリジナル版へのオマージュと今描く描写のせめぎあい、ギャップ…が少し気になりました。改造人間の力溢れるスピーディな頭パーン攻撃と、オリジナル旧作版をオマージュした戦闘員たちのマスゲームっぽい動きはちょっとアンバランスな感じがしたと言えばしました…。そんなことやってたらすぐ頭パーンだよ、と…。

 また、アクション場面ではありませんが、カメラ目線の一人称視点のカット割りが、他の作品と比較すると多かったように感じられました。例えばヱヴァではどうだったでしょうか…。実写とアニメでは同じカット割りをしても受ける印象は異なるのだろうか、そんなことも思いました。

 でもあの線路の場面は本当に庵野作品だ…!と感じてとちょっと感動しました…。

緑川さん

 物語のもう一人の主人公は緑川さん…ということで、シン・仮面ライダー独自の設定も加えられ、とても存在感のあるヒロインだなと感じました。
 浜辺美波が演じているからなのか、そのような演出意図だったのか、今作の緑川さんもいきなりエキセントリックというかおもしろセリフを口にしたりするのですが、「屍人荘の住人(変わり者の天才探偵)」とか「ドクターホワイト(記憶と感情を失っている天才医師)」で演じていた人物と重なるような部分があると、少し感じました…。
 一文字隼人に対しての役割…は、形は少し異なりますが、某SPIRITSでもあったなあと…。

新仮面ライダーSPIRITS第1巻より

本郷猛

 本郷猛というと、藤岡弘、のイメージが強すぎてというか=藤岡弘、なのですが、今作シン・仮面ライダーの本郷猛は(演じているから当たり前といえば当たり前なのですが)池松壮亮がピッタリだったなと思いました…。

本郷猛と一文字隼人

 本編を観終えて、物語の骨子の一つ、本郷と一文字の関係は、原作漫画版の仮面ライダーに準じるものだったのか、と思いました。
 本郷と一文字の出会い(ショッカーにコントロールされており、本郷と戦う)。
 そしてライダーを引き継いだ一文字と本郷の描き方(一文字は本郷の跡を継ぎ「仮面ライダー」となり、本郷は形を変えて一文字とともに戦い続けることになる)。
 二人の姿は、原作をなぞるかのようなものだったのかと…。ある意味、漫画版の実写化でもあったのかなと思いました。

政府側の二人

 出演常連?となった竹野内豊と斎藤工も良かったです…外星人が現れたかと思いました。

リリンも分かってるんだろ?A.T.フィールドは誰もが持っている心の壁だという事を

 ラスボス(厳密にはラスボスではありませんが)の目的が人類全ての心の壁を取り払い一つの世界(ハビタット)へと連れて行くこと…と知った時には、(皆様もそうだと思うのですが…)思わず「お前もか!」と心の中で突っ込んでしまいました…。
「家族や大切な人を失う→納得行かないしむっちゃキツイ→人類補完!」はもうやめろ!諦めて両手を上げて表に出てこい!←お前が黙れ

 そして…ラスボスとの殴り合い(最初はエフェクトかかった攻撃バンバン出してたのに、お互いに力を使い果たしてしまったのか、もみ合って倒れてボコボコ殴り合っている姿は「泥仕合」という言葉が頭の中に浮かんでしまって…)の中で、全ては無駄無駄言ってるラスボスに対して、本郷が
「人生に無駄なことなんて一つもない!」
と叫ぶシーンも印象的でした…。

 本当に、自分もそう思うのですが、このセリフはこの作品の本郷の優しさを示しているとは思うのですが…それは…ラスボスと殴り合いをしながら…いうことなのだろうか…とも…。

でもまあこういう人たちもいたか…(逆襲のシャアより)
無駄などない(仮面ライダーSPIRITS 10巻より)

ロボット刑事

 詳しいわけではないのですが、初めて映像に出てきた時に「アレっ?後ろに今何か写ってなかった?何か変なのいるよね!?」と思ってしまいました。…個人的に結構ツボったのですが、何故そんな描き方を…。
 
 その後の場面でしっかりと描写が始まりましたが…「な、なんでロボット刑事…?」と思っていました…まさかのスーパー石ノ森大戦!?かと。
 すぐに、そうではなく、〇〇という目的で作られた存在、と説明がありましたが…。

これを思い出してしまって…

 …かんそうというか、思ったことを垂れ流してきましたが…今思い起こすとかなり楽しめていたのかもしれません。
 また、やりたいことを本当にやっているのでは、ということは、観ていて感じられました。
 

 自分は小説「仮面ライダー1971-1973」がとても好きなのですが、あの作品はある意味原作は仮面ライダーだけれどもオリジナルに近い物語になっているという面もあります。
 シン・ゴジラからシン・仮面ライダーまでの3作品について考えてみると、作中の展開としては庵野監督独自の部分が当然ありますが、物語の本筋・骨子は、原作から逸脱したものにはしていない、そんな作り方をしているのかもしれない、と思いました。

 自分でも意識していませんでしたが、自分は全く未知の物語をこの映画に期待していたのかもしれません。
 しかしそんな物語を描くのであれば、「仮面ライダー」である必要はなかったのかもしれません。

 シン・「仮面ライダー」であるということを考えると、この映画はまさにシン・仮面ライダーだったなと、今思いました。トートロジー。(終わり)


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