空白は満たせるのか(映画「空白」を観て」
映画「空白」を観ました。
監督・脚本 吉田恵輔、撮影 志田貴之。出演 古田新太、松坂桃李、寺島しのぶ、田畑智子ほか。
あらすじ
とある港町。
添田充(古田新太)は腕のいい漁師だが、ザ・昭和オッサン我が道を征く頑固親父でクレーマー気質があり、妻(田畑智子)とは離婚し、一緒に暮らしている中学生の娘・花音(伊東蒼)に対しても、いわゆる毒親と思われるような、一方通行な接し方しかしていなかった。
ある日、花音は地元のスーパーで化粧品を万引きしているところを、店長の青柳直人(松坂桃李)に見つかってしまう。逃げ出した花音を青柳は追いかけ、動揺した花音は道路に飛び出し、事故が起こってしまう…。
娘の死と、その原因が「万引きして逃げ出したからだった」ということにどうしても納得できない充は、青柳を執拗に問い詰める。
マスコミの報道は加熱し、感情のやり場を見つけられない充の行動は次第に常軌を逸していく…。
「空白」について
タイトルバックで浮かび上がってくる「空白」という言葉は、まさにその場面そのままのようだ、と感じました。頭の中が空白になる。観ている自分も、唖然とさせられました…。
物語で触れられている空白にはどのようなものがあるでしょうか。
突然の、理不尽で受け入れがたい出来事に直面してしまった時の精神の空白
失ってしまったものに対している時の空白「あのときは何も考えられなかった」
失ってしまうこと、いなくなってしまうという空白。なくしてしまった後の人生の空白。
そういった空白に、人はどう向き合っていくのか…。そんな物語なのかと感じました。
空白を埋めようとする人々
序盤から中盤にかけては、とにかく観ていて居た堪れなかったり、キツい描写が続きます。
花音の担任教師の説教、高圧的な父親としての充の振る舞い、事故の場面(自分も車を運転していますが、起こりうることでもある…)、直接的な加害者の姿、葬儀の場面、面白半分に殺到するマスコミ、あることないこと飛び交うネット、周囲の白い目、やり場のない感情を延々とぶつける充とそれを受け止めざるを得ない直人…。
充は常軌を逸したような振る舞いから次第に孤立していき、直人も世間からのバッシングを受け、親から引き継いだスーパーの経営が更に厳しいものとなり、精神的に追い詰められていきます。
「これ大丈夫か…変に暴発したりしないよな…そういう映画じゃないよな…」という不安感を覚えながら、観ていました。
グラデーション、揺らぎ
頑固親父をとっくに通り越してモンスタークレーマーのようなオッサンである充ですが、そんな充の側にいようとする若者・野木(藤原季節)がいます。
物語の冒頭から、野木は充に散々邪険にされ、野木自身も「クソジジイが…」と怒りの様子を見せ、一時は充の元を離れるのですが、充の孤立が深まると、それを心配して、充の側にいようとするのです。
また、こういった話の展開でよくある描写として、報道が加熱してくると職場などで「悪いけど、辞めてくれないかな」と言われてしまうような場面があるかと思うのですが、この物語では、充に対してはそれがありませんでした。
加えて、周囲の漁師たちは、マスコミの、充の普段の様子を尋ねるインタビューに対しても「いやー全然わかんないですねー」の一点張りで、周囲が充を排除しようとしていないのです。
どうやら、充は完全に嫌われているわけではなかったということが推察できます。劇中でははっきり描写されてはいませんが、むしろ、その腕で一目置かれるところもあったのではないでしょうか(冒頭で「充ちゃんは仕事できるけど厳しいからなぁ」といった主旨のことを述べている漁師がいたかと思います)。
野木も、勿論彼自身の優しさもあるとは思いますが、充を認め慕う部分があったのではないでしょうか。
物語が終盤へと向かうにつれ、それまで描かれていなかった充の人間性がわかる描写が増えていきます。
誤りを認め、謝る。素直に自分の心の内を話せる。他者を知ろうとする。そんな面があることがわかってきます。直人に対しては鬼詰めする充ですが、事故の際、車を運転していた直接的な加害者を責めるような場面もありませんでした(ただ、それ故に、また悲しい出来事が起こってしまいますが…)。
表裏がある。長所が短所に、その逆もある。嫌悪すべき面ばかりではない。完全に四六時中おかしいわけではない。表裏という極端なことではないかもしれない。グラデーションのように、一貫性がないところだってある。
(青柳直人も、穏やかな男でありますが、反面、優柔不断でいい加減な面もあるように見受けられました)
状況、環境、巡り合せによって、悪い面ばかりが吹き出してしまうことがある…。
ただ、充のそんな面があることがわかったとしても、充がどんな振る舞いをしようとも、知ろうとしても、悔やんでも、悲しんでも、向き合おうとしても、何をしてももう絶対に戻ってこない。
もう遅い。
それが悲しかったです。
スーパーの女
寺島しのぶが演じる草加部麻子も、印象深かったです。
充を支えるような立場にいた野木と似たような立場として、青柳を支えようとしていた草加部さんでしたが、野木とは違い、明け透けに書けば「自分の空白を埋めるために、周囲に善意を強要する」ような人でした。
根底にあるのは、他者のための親切心や善意のはずだったと思うのですが…。
立ち位置的には、野木との対比…と感じましたが、草加部さんのあくまで自分を押し通し続ける姿については、性別や手段の違いはありますが、充との対比のような部分もあったのかな、と思いました。
空白は満たせるのか
どんな人でも恐らく、この映画のような形とは限りませんが、「空白」に対峙しなければならない時が来ると思います。
結局はそれぞれがそれぞれのやり方で、時間を掛けて向き合っていくしかないのでしょうが…。
「みんな、どう折り合いをつけているんだろうな…」
「なんか、疲れたな…」
劇中のその2つの台詞に尽きてしまうのかもしれませんが。
それでも、ラストの直人や充の場面のようなことがあるのかもしれません。
見ごたえのある映画でした。
あとワイドショーマスコミは○ソだと思いました(おわり)
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