世の中はFi:内向的感情を理解するようになったのか?


 自分の整理のためにも最低でも2週間に1回は更新しようと思っているのですが忙しくて文章を書く時間がありませんでした。
 さて、実質的に前エントリーの続きです。

2024年日本におけるFiの隆盛

 日本人は(とは言っても他の国をよく知るわけではありませんが)伝統的に空気を重視する国民性で有名です。重視するというか、従ってしまうと言った方がいいかもしれません。山本七平の「空気の研究」でも有名ですね。
 これが、最近は猛烈なスピードで崩壊していると感じます。これまでも氷河期世代から我らがゆとり世代にかけて徐々に社会や共同体から距離を置いた生き方がクローズアップされることもありましたが、今思えば当時はまだまだ社会を変えるほどクリティカルなものではなく、ここ数年で急激に現実的に進展してきているように思います。

 いわゆる「Z世代的価値観」とレッテルを貼られているものがよくテレビなどでも話題になっています。例えば「退職代行を使って入社日に辞める」「自分基準でタイパ・コスパを考える」「世間体を気にせず自分の好きなものに囲まれて生きる」など、これまでの日本社会では到底考えられなかったような価値観が急激に認められてきているように感じます。MBTIで言えばまさにFi的な価値観だと言えるでしょう。SNS上でも「嫌なら逃げていい」という投稿が万バズをかっさらっているのをよく見ます。
 社会的な上昇志向を持たない代わりに自分の(特に)精神的な安全をしっかり確保するその行動様式は、これまでの「24時間戦えますか」という常軌を逸したキャッチコピーが流行するような戦後日本的思考と比べてかなり特異であるように思います。ニュースなどではセンセーショナルに扱われることも多いのでその分は割り引いて考えるべきでしょうが、少なくとも賛否両論の議論を巻き起こしていることは事実です。
 氷河期やゆとり世代がバカにされながら、否定されながら、社会の目を恐れながら細々とアピールしていたことを、Z世代と呼ばれる方々が大手を振って実行に移しつつあります。そして、それが社会で「正しい」価値観として認められようとしているのです。
 テレビやネットニュースは「Z世代が選ぶ~」「Z世代に人気の~」という記事にあふれており、「Z世代」という言葉は新しいというだけでなく、"正しい"という価値観まで内包した言葉としてブランド化している感すらあります。
 これは客観的なデータは出せませんが、Z世代の価値観に懐疑的な記事ですら、「新しい価値観vsそれについていけない自分たち」という筆者の負け芸的な視点から書かれていることが多いように思います。毎分叩かれていたゆとり世代としてはその扱いに大きな違いを感じます笑
 ※我々ゆとり世代は「平成生まれ世代」というくくりにも入っていて、その文脈においてはポジティブなニュアンスを与えてもらうこともありました。ただ、「ゆとり世代」というくくりで社会に認めてもらったことは一度たりともなかったように思います

 もちろん「Z世代は俺らと違って世間から認められてていいよなー」ということが言いたいわけではありません。
 僕が興味深いと思うのは、氷河期世代やゆとり世代が結局抗いきれなかった日本社会の「空気」を、Z世代的な行動様式がいとも簡単に解体しつつあるという点です。これは一体いかなるものなのでしょうか。

ゆとり世代が「空気」に負けた理由

 僕が20代前半であった2010-2015年ごろにおいては、今と比べると就活市場はまだまだ買い手市場でした。正直なところ、ゆとり世代がZ世代のように社会で影響力を持てなかった理由はこれに尽きるかもしれません。
 「Z世代はゆとり世代と比べて信念が強い」のでなく、ゆとり世代もZ世代と同じくらい強い個人主義的な志向を持ちながら、単に状況が許さなかったのです。
 2013年の就活に関する調査を見つけたのですが、まさにZ世代的な価値観の萌芽と呼べるような記載にあふれています。201310shukatsu.pdf (lifelink.or.jp)
 特に自由記載欄に注目です。元々このアンケートは比較的苦しい立場にいる学生が受けることが多いのでしょうが、それにしてもFi的な価値観が目立ちます。

(つらいこと)
・ 正解が無いのが難しく、つらい。
・ 学内の説明会などで周りの雰囲気にのまれ、気持ち悪くなってしまった。
・ ツイッターでやたら就活のことをつぶやく学生がいて不快。
・ 部活の仲間と就活の話をしているとき、「自己分析が足りない」とからかわれた
・友達が起こってグラスとコップを投げつけ、先に帰ってしまった。それ以来、就活の話はタブーになり、就活が終わるまでは会うのをやめようと思った。
・ セミナー・合説に行き過ぎて、体を壊してしまったこと。
・ 「そんな中小企業まで見ているの?」と言われたこと。世の中和思っていたよりも“就職偏差値”なるものを重視しているんだなと感じた。
・ 選考があまり通らないとき、本当に内定(正社員)をとる必要があるのか悩んだ。
・正直生き方はいろいろ。アルバイトで人生過ごしてもいいと思う。でも友人たちにそれを言うと、「ありえない」と言われるの社員の価値を求めるならそれからはずれたくはない。
・ 面接試験で不合格通知がきたときに「人間否定」されているように感じた。
・ 某企業から圧迫面接を受けたことがトラウマになった。

201310shukatsu.pdf (lifelink.or.jp)

 ここで面白いのは、「希望する企業に落とされて辛い」「面接でのアピール方法が見つからない」「ESを書くのが大変」といった、より結果主義的な意見があまり見られないということです。それよりも、自分の感情や気持ちにフォーカスした記述が多く見られます。Fiを重視する機運はゆとり世代から生まれ始めていたのです。まあ教育課程がこれまでに比べて個人の内面に寄ったものになっていたので当然ですね。

 ただ、この時代はまだまだ過渡期なので、こういった考えからあえて距離を取る人間も多く存在しました。
 ゆとり世代の中でも、運よく上澄みへのチケットを手にした人間は、自己を肯定するために逆に旧来的な価値観へ激しく迎合するようになります。MBTI的に言えば、結果主義であるTe:外向思考の対になるFi:内向感情的な行動様式を「負け組の遠吠え」として蔑むことが多かったように思います。
 学生の「意識高い系」という言葉が生まれたのもこのころです。facebookの流行も合いまって、意識の高い若者が「意識が高そうな行動」をこぞって取っていました。そういう傾向は今もあるでしょうが、肌感覚的には当時の方がかなり極端に振れてしまう事が多かったように思います。
 これは世代的にFi的な価値観を重視してきたことから生まれる反作用だと言えます。自分たちの価値観に自信がない(そういった価値観では社会を生き抜けない現実がある)ものだから、逆に旧来的な価値観にすがり、自らの本来的な価値観を病的に否定するのです。
 大学生の頃、意識高い系の人間に「そんなにいろいろ動き回って投稿もして大変じゃないのか」とよく聞いていました。そして、「俺も好きでやっているんじゃない」とよく言われました。「SNS疲れ」という言葉が流行ったのもこの時期です。素直に「疲れた」と言えず、失踪する人間も続出しました。僕の知り合いではないですが、自らが作り上げた虚像を維持できずに自らの命を絶ったりしてニュースになる人間もいました。
 このように、ゆとり世代では新たな価値観が広まりつつあった一方で、その反作用として厳しい社会情勢が世代を分断していくこととなったのです。そうして、日本的な「空気」は価値観の多様化から守られることとなります。
 しかし、こうして守られた「空気」の命脈は少子化に伴う社会情勢の変化により断ち切られつつあります。

「空気」がZ世代に負けた理由

 ここまでくると理由は簡単です。売り手市場になったことが原因です。ゆとり世代は「働かせてくれる場所がない」という現実的な事情のために価値観と現実とのはざまで苦しみましたが、今度は「働いてくれる人がいない」という現実的な事情のために社会の方が折れる立場になったのです。
 もちろんパワハラ・セクハラは許されませんが、ある程度環境に我慢してみることは大切であるかのようにも思えます。僕自身「まずは3年働いてみること」とよく言われました。僕は結局会社に適合できませんでしたが、若手時代を耐え抜いた人で「あの時我慢してよかった」と思う人は少なくないのではないかと思います。確かに組織の中で苦労することは多いでしょうが、その報酬として安定した生活とステータスと身の丈に合った「幸せ」を手にすることができるのです。実際、そういう価値観は2010年代前半までしぶとく生き残っていました。(僕は最初からあまり興味なかったですが)
 それが、なぜZ世代の登場とともに堰を切ったようにそういった「幸せ」が否定されることになったのでしょうか。世間のZ世代に対する考え方はこれまで延々と繰り返されてきた「最近の若い者は」とはちょっと性質が違うような気がします。これは、前述の「空気の研究」における考察を借りてみるとよくわかると思います。

別に本当に旧世代が「アップデート」した訳ではない

 「空気の研究」において、日本人は世界における価値判断を「臨在的に把握する」と言われます。つまり、まさに存在するモノやコトを絶対的なものとして捉え、それに符合しない考えや概念を根こそぎ否定してしまうのです。
 この考えを2024年の現状に当てはめてみると、まず「若い労働力の不足」という問題が揺るがぬまさに「臨在的な」事実として浮かび上がるでしょう。
 この問題には解釈の余地がありません。旧世代がどれだけ自分の正しさや有能さを主張しようが、少子化問題が解決されることはないからです。そのため、考えること(=自己正当化)を諦めた旧世代は若者に対して圧倒され、「若者は正しく、自らは正しくない」という考えありきで向き合う事になるのです。こういう思考回路ですから、そこには深い考察や信念はありません。
 よく「俺らの時の考えとは全然違うんだけど、まあ時代なのかなあ」とぼやいているおじさんを見るでしょう。あれは別に心底時代の違いにしみじみ感じ入っているわけではないのです。自己正当化できない「臨在的な事実」を前に何の反論できないからそうやって自分を慰めているだけです。
 ゆとり世代の頃、価値観の変動は起こり始めていたものの社会はまだまだ「日本は世界屈指の先進国」という自尊心を保っていました。社会が彼らに迎合するニーズも存在しなかったのです。バブル崩壊後にはすでに「数十年もたてば日本社会は崩壊する」とよく言われていましたが、その問題はまだ「臨在的」でなかったので誰もフォーカスしようとしませんでした。より厳しい環境にいた氷河期世代などは、こういう社会の無関心の犠牲になった存在だと言えます。そして、彼らは現在40代後半-50代前半で「若い」とは言えない存在となっています。そのため人手不足という日本社会の問題においてまたしても臨在的な問題の当事者と認められていません。つくづく損な世代だと思います。
 日本社会はバブル崩壊以降氷河期世代、ゆとり世代、Z世代と、大まかに分けて3世代ほど目の当たりにしているわけですが、こういう訳でここ最近の個人の内面を重視する傾向は別に日本の価値観自体がアップデートされた結果生まれたムーブメントとは言えないでしょう。社会で「若い人が少ないから」「日本が先進国から脱落しそうだから」Z世代の意見を聞くようになっている、ただそれだけの事なのです。繰り返しますが、特に何か社会が反省したから、考えを改めたから、心底アップデートしたからこうなっている訳ではありません。ただ、「若い人が少ないから」「日本のために必要そうだから」という理由にすぎません。

 でもなんかピンとこないとか言われても知らんけどな

 個人の感情や気持ちを重視するようになったのは良い事ですが、前述の通り社会が心の底からその大切さを感じ入って起こったムーブメントでもない訳で、僕としては別にその流れに身を任せてもいい事だとも思っていません。

 例えば、退職代行なんか最近よく取り上げられています。いや、使うのは良いんですよ、普通に考えたら辞めるなんて言いづらいわけで、こういうサービスを使って余計なストレスを感じないに越したことはありません。
 しかし、ここで入社日に退職代行を利用したという方の言動には疑問を感じてしまいます。
 このインタビューでは「(1日で退社したが)死なないだけよかったと思っている」という極端に強い言葉を使いながら、「あの会社にいたらよくない方向にいっていたような気がする」と続いています。
 別に1日でやめるのがダメだと言っているのではありません。僕も入社前からギャップに苦しみ、結局そのギャップが埋まることなく退職してしまったわけで、その直感が結果として正しいことも少なくないのでしょう。
 しかし、この人については人前で他人をぎょっとさせるような言葉を使っておきながらその真意を問われると「多分~な気がする」はおかしいだろうとは思ってしまいます。もっと言えば、それだけの確度でよくテレビなんかに出れたなと思います。
 これは塾講師をしていても感じます。「ピンとこない」「しっくりこない」という理由で自分の進路を簡単に変更してしまうのです。それで塾を辞めるような人間もいますし、相談せず重要な判断をしてしまうような人間もいます。聞いてみると「今の感じではピンとこない」と言うのです。話の矛盾を問い詰めたとしても、大抵「~な気がする」というだけで何も考えていません。で、大抵最後までピンと来ることはありません。これが10代特有の向こう見ずなのか、時代なのかはわかりませんがね。僕が心底尊敬されていないから相手が考えを教えてくれないという面も否定できないのですが笑……少なくとも、そういう考えが無条件に肯定されるのはそれはそれで違うように思うという事です。
 確かにFi的な等身大の意見は大切です。その人の人生はその人にしか生きることができないからです。そういった意見を尊重するような世間も結構だと思います。しかし、どうもその「出口戦略」には誰も目を向けていないように思います。このテレビ局の人は「じゃあこの人は今後どうしようと考えているんだろう」とかVTRを編集していて思わないのでしょうか。
 いずれにせよ、甘い事を言う世間の大人はあなたの意見に心底共感しているわけではないということは頭に入れておかなければなりません。個人主義的な価値観に寄り添う大人もだいぶ増えましたが、大抵万バズが欲しいだけです。あなたが個人主義をむき出しにすることを誰も否定しないように、周りも見返りを期待するからあなたに共感しているだけです。別にあなたが本当に共感されていたり、気にかけられているわけではありません。だってそこには信念も思慮深さも何もないのですから。個人主義の行きつく先はそういう未来です。くだらない根性論を垂れ流される方が嫌なので僕はそういう未来を歓迎していますが。
 ともかく少なくとも空前の売り手市場かつ若者が尊重される時代であることは間違いないわけで、こんな恵まれた時代にバカを見ないように、自分の進路には当事者意識をもって自分なりの「出口戦略」をしっかりと持っておくことが何よりも大切でしょう。


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