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【個人的思考】勉強の本当の意味に、中年になって気付いたこと

最近、よく勉強をするようになりました。自分でいうのも変ですけども、毎日よくやっています。子供の時の親に見せたいくらいです。誰でもそうですけど、子供頃って勉強嫌いですよね。(子供の頃から勉強していた方もいるかと思いますけど、一般的にと思ってください。)
そんなわけで、勉強について思い返してみることにしました。

◎今、自分がやっていること

改めて自分のやっていることを振り返ってみました。
<毎朝のルーチン>
 ・15分ほどの筋トレ(月~金)
 ・前日の振り返りと反省店
 ・当日のやることリスト作成
 ・英語学習
 ・週に3回の朝ミーティング(有志で集まっている仲間)
<毎晩のルーチン>
 ・簡単な日記
 ・一日のうち、印象に残ったことの英文作成
<その他やっていること>
 ・金融関係のオンライン講座受講
 ・オンライン英会話
 ・YouTubeやインターネットなどで情報収集とまとめ
 ・週に一度のNOTEへの投稿
 ・学生団体のお手伝い
<今までやってみたこと>
 ・プログラミング基礎
 ・ビジネススキル関係のオンライン講座
並べてみると大きなことはやってないですね。けど、細かいことをコツコツやっています。なので、時間が足りないな。と思うくらいには忙しいです。
一つの要因は、コロナ禍による自宅待機時間の増加にあります。世の中の皆様が、どんなことをどれくらいしているのか気になります。宜しければ、是非教えてください。

◎ある上司との再会

この2、3年で、上記のような勉強をするようになったわけですが、思い返すと、何でやるようになったのでしょう。記憶を辿りましたら、ある上司との再会に思い至りました。

確か、新型コロナウィルス感染症が蔓延し始めた頃、ある方と一緒に働くことになりました。15年ほど前に一緒に働いたことがあり、とても厳しい人であると同時に、部下思いの方でした。ある日、その方に「以前働いていた時と比べて、成長してない!」と言われてしまいました。最初はショックが大きく、少し腹もたちました。しかし、よく考えてみたら上司の指摘に納得しました。確かに、この15年を思い返してみると、何をしていたのだろう??と思ったわけです。

◎自分の成長がないという恐怖

改めて15年を遡ると、(色々な意味で)勉強していないなという事実を痛感しました。ダイビングやスキー等、様々なことを経験したとは思いますし、決して無駄な時間を過ごしたわけでもないです。しかし、そこに自身が成長するような自己研鑽をしてきたかというと疑問がわきました。正直言って、それに気が付いた時の恐怖と後悔は文章では言い表せない程でした。

◎そして成長するために

恐怖感もあり、何かをやらねばと思い、今に至ります。最初に20万ほど課金して、プログラミング基礎を学んだのが良かったと自壊しています。やっぱり、お金をかけたという行為がモチベーションの維持につながります。最初は課金の力も借りていた勉強の習慣でしたが、続けていくうちに楽しくなってきました。知識を増やすのという行為を、純粋に楽しめるようになったわけです。同時に誰かに伝えることも好きになり、ビジネス書からの知識や世の中の色々な事を、勉強して部下にフィードバックしています。更に映画を鑑賞したら記事を投稿するなんてこともしています。適度に遊ぶことも大事にしているので、とにかく時間が足りません。

◎勉強するということ

勉強は何のためにやるか。というと人生を豊かにするためでしょう。その答えが自分には一番しっくりきます。自分は何かの試験に合格しようとか、転職しようとかは考えていません。勉強は自分の人生を豊かにし、より楽しく生きるための武器として考えています。例えば京都に観光に行ったとします。清水寺、二条城、伏見稲荷。有名な史跡が山ほどあります。単純に見て回っても楽しめますけども、その史跡ある歴史的背景を知っていたら、何倍も楽しめると思います。これは揺るぎようのない事実と確信しています。専門的に知らなかったとしても、0より1の知識を持っているだけで、その旅は何倍にも楽しくなるのです。だって0は何をしても0なのですから。

◎締めの挨拶的な何か

自分自身の大切な人生を少しでも楽しくするため、人間は死ぬまで勉強をし続けないといけません。自ら勉強を始めて強く思ったことです。ここで発信を続けている皆様と一緒に、これからも勉強を続けていきます。今後とも、よろしくお願いいたします。

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