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瞑想遍歴【その4】なぜ瞑想に興味を持ったのか? 
そしてなぜ20年以上も瞑想を継続しているのか ?

前回は日本で旅費を稼いでから、アメリカカリフォルニア州サンディエゴにあるSelf-Realization-Fellowship セルフ・リアライゼーション・フェローシップ(以下SRF)の滞在体験記を中心に書きました。今回の記事ではそのSRFを出てからの話を書いていければと思います。

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カリフォルニア州のオーシャンサイドでホームステイ

カリフォルニアサンディエゴにあるSRFのアシュラムを出てからは、アシュラムに滞在しているときに友人になったショーン君の家に数ヶ月ホームステイさせてもらうことになりました。

よく見ず知らずの日本人を無料で宿泊を許可してくれたなと今振り返ってみて思います。これもショーン君も彼のご両親もヨガナンダとSRFと深い関わりがあったからこそ、どこの馬の骨とも分からない人間を実家に居候(いそうろう)させてくれたのだと思います。

ショーン君は絵を描いたり、瞑想をするのがとても好きな同い年くらいの友人でした。外交的でおしゃべりなジョーク好きの典型的なアメリカ人とは真逆な感じの性格で内向的で無駄なことは決して話さない繊細な芸術家タイプの性格でした。

(15年以上コンタクトをまったく取っていなかったけど、先程インターネットで調べたところ彼のFacebookプロフィールが出てきた。フルタイムプロとして漫画家、絵描きをやっているらしい。友達申請をして、久しぶりにメッセージのやりとりをしてみたら、直ぐに返信が来て元気そうでした!)


ショーン君とは一緒に瞑想したり、ハーモニアムを演奏して一緒に歌ったり、サンディエゴの街を散歩したり、近所の大学や本屋、図書館など色んな所に連れて行ってもらったのを覚えています。ショーン君のお兄さんとお姉さんにも一緒に車でサンディエゴ動物園やビーチにも連れて行ってもらったりしました。確かアメリカから日本へ帰るときは、ショーン君のお父さんが車で空港まで送ってくれたのを覚えています。今でもとてもいい思い出になっています。

そんなこんなで約1年程アメリカのカリフォルニアに滞在して、日本に帰国しました。

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日本帰国後・・・

日本に帰国してからは、SRFのアシュラムにいる時から気になっていたOSHOのカセットテープの英語の講話を聞いたり、世間で普通にアルバイトを始めたりしました。

「be in the world, but be not of it(世間の中にありながら、その世間から超然としていなさい)」というOSHOが言っていることを普通の世の中で実践していく必要があると感じていました。

しかし最初のうちは日本のいわゆる新興住宅地の生活環境と普通のアルバイトの職場環境は、アメリカのアシュラムの環境とは全く別世界だったので慣れるまである程度時間が掛かりました。

自分の中で
「聖なる世界」や「瞑想の世界」と

「俗なる世界」や「非瞑想の世界」を別のものと
二元的に捉えてしまっていることに
薄々違和感を感じていました。

しかしそういった信念体系や思い込みを一つずつ外していく作業は
口で言ったり、頭だけで理解するのは簡単だけど、
それを実行したり、肚で本当の意味で理解するのは別次元の話です。

「聖なる世界」と「俗なる世界」という
二元性を統合していく作業を世間の中で
始めようとしていたんだなと今振り返ってみると思います。

二元性を統合という少し難しい言葉を使いましたが、
簡単に言うと要は瞑想しているときだけ「しあわせ」でもしょうがない。
瞑想の世界の外に出て、働いているときも「しあわせ」な状態であること。だと感じます。

これ本当に口で言ったり、頭で理解したつもりになるのは簡単なのですが、実際にその状態をある程度だけでも体現できるようになるにはそれなりの時間が掛かります。


もしかしたら二元性の統合のワーク・作業をせずに「聖なる世界(内側の世界、瞑想の世界)」と「俗なる世界(外側の世界、非瞑想の世界 など)」というふうに世界観が一生涯分かれたまま今生を終えていく人が殆どかもしれません。


本気で瞑想をしている人でさえ少なからずの人がこの二元性の罠に嵌ってしまうと思いますし、わたしも今でもその統合のワークに取り組んでいる所です。

少なくてもその当時のわたしはヴィパッサナー瞑想やクリヤ・ヨガなどいわゆる静かに座る伝統的な瞑想法だけをアメリカの瞑想・ヨガアシュラムという整えられた静かな環境だけで取り組んでいたので、いわゆる日本の世間の中で瞑想的な状態を保つのはけっこう大変だったような気がします。
日本に帰国してすぐアルバイトをしていた頃は自分でもバランスが一方に傾いているような感覚ありました。

OSHOのアクティブ・メディテーション

そんな頃OSHOが現代人のためにデザインしたアクティブ・メディテーションを鎌倉の大仏坂体育館という所でやっているという話を聞いて、その瞑想法を体験するために鎌倉に行きました。

その瞑想会を主催していた人は鎌倉小町通りでマジカルアーマという
タロット占いをやっている瀬川さん(OSHOのサニヤース名はバシール)と言って、寺山修司の弟子で演劇をやっている方でした。

ちなみに先程インターネットでお店を調べてみたら、マジカルアーマは平成元年 1989年に開業して、今年で31年経つようです。 
http://ama.la.coocan.jp/index.htm    

瀬川さんは30代前半のときに、OSHOがまだ生きているときに当時OSHOが実際に住んでいて、講話をしていたインドのプーナに滞在したことがあって、その時の事をイロイロと初めてお店で逢ったときに話してくれたのを憶えています。

はじめてのダイナミック瞑想

初めて鎌倉の大仏坂体育館で体験したのはダイナミック瞑想というOSHOのアクティブ・メディテーションの中で代表的で一番パワフルな瞑想法でした。

ダイナミック瞑想は第1ステージで「深く」「早く」「混沌とした」呼吸を
トータルに10分間行ない、そのあと第2ステージで日常生活の中ではなかなか表現することが出来ない抑圧された怒り、悲しみ、憎しみ、絶望、不安、苦しみ、笑い、狂気などの深い感情を外側に表現します。

今までの人生の中で赤ちゃんの頃や幼少の頃を除いて
ここまで腹の底から叫んで、感情の表現を自由に許される機会が
これまでほぼなかったので、とっても開放感と自由を自分の内側で
感じている新しい自分を発見します。

そして第2ステージ10分間の感情の浄化(カタルシス)が終わると、
第3ステージは両腕を高く上げたまま、
マントラ「フー」あるいは「フウッ」と
大きな声で発しながらジャンプをするステージです。

このようなムーブメント(動き)自体も普段の日常生活では
まず行うことがないものだったので、とても新鮮な感じと
実際にやってみれば分かるのですが、
10分間 両腕を高く上げたまま、
フー !フー! フー!とマントラを大声で
丹田の下の部分に深く打ちつけ続け、ジャンプをし続けるのは
体力的に命懸けなほど大変で、カラダを限界まで動かすことによって
ヘトヘトになり、長時間ジョギングをしたりすると生じる
ランニングハイのような状態になりました。

体力の限界を超えると、自分以上のsomething great(サムシング・グレート)
何か大きな源からエネルギーがやってきて、
自分のこの小さなカラダを動かし続けてくれているような感覚でした。

第1ステージの呼吸
第2ステージの感情の浄化(カタルシス)
そして第3ステージのジャンプと
カラダを最大限に動かすことによって、
自分の意識が呼吸とカラダ全体へと自然に広がっていく気がしました。

そしてジャンプを続けていると、
「ストップ」の声!
突然の完全な静止と沈黙の第4ステージに入ります。

動と静のコントラスト。

いままで第1ステージから第3ステージまで
可能な限りアクティブ、動的な状態から突然のストップ!
完全な静止と静寂(サイレンス)のスペースに強制的に放り込まれ、
投げ込まれた感じです。

その動と静のコントラストが
圧倒的に際立っていくのを感じます。

動き (Movement)と静止 (Stillness)
音 (Sound)と静けさ・無音 (Silence)

ぜぇーぜぇーと苦しそうな呼吸
カラダから滴る滝のような汗。

普段日常生活では
なかなか意識をすることが出来ない
身体感覚に意識が自然と研ぎ澄まされていきます。

ただあるがままに観ている
という観照のスペース・状態にほんの一瞬でも
アクセス、近づけた気がしました。

これまでやってきた
座って静かにおこなうクリヤ・ヨガなど瞑想法とは
明らかに異なる瞑想テクニックでしたが、

さすがストレス多き現代人のためにデザインされた
深い感情の浄化・カタルシスをともなった代表的な瞑想法と
言われるだけあって、第1ステージから第3ステージを行うことにより
自然にあるがまま瞑想、観照のスペースへと入っていくことができるのだなぁと正直感じました。

なにより第1ステージの早く、深く、混沌とした呼吸と
第2ステージの感情の爆発、浄化、カタルシスということを
人為的にしろ、いままでの人生の中でおそらく初めて体験したので、
その体験がとっても新鮮でパワフルだったことを憶えています。

15分間の完全な静止とサイレンスの
第4ステージはあっという間に終わり、

どこからともなくとっても綺麗な笛の音が鳴りはじめ、
最後の第5ステージ
15分間の祝祭のダンスのステージに入りました。

音楽がこの世のものとは思えない
天上界から鳴り響く音楽のように美しく聞こえたのが印象的でした。

祝祭のダンスのステージ

「踊る」ということも
これまでの日常生活でほぼやったことがなかったことなので、
最初はカラダがあんまり動きませんでしたが、
美しく、エネルギッシュで、ダイナミックな音楽に乗せられて
自然とカラダが動き、踊ることができました。

音楽とともに踊ることが
ここまで喜びに満ち、気持ちのよい
ものだとは知りませんでした。

ダイナミック瞑想が終わる頃には
細胞ひとつひとつが目を覚ましたかのような、
五感がより開き、研ぎ澄まされ、
周りの世界の見えかた、聴こえかた、感じかたが
明らかに変わった気がしました。

大仏坂体育館から駅までの帰り道で
吹いてくる風、眼に入ってくる風景が
あたかも赤ちゃんが初めて外に出て、
その風、その風景を感じているような
とても懐かしく、でもとっても新鮮な感覚でした。

実際は言葉では表現できない妙なるものが
瞑想というものには存在しており、言葉ですべてをお伝えするのには限界があります。

ただこれが初めてダイナミック瞑想やってみて感じたことを言葉を用いて表現してみた感想になります。


「動」と「静」の二元性を統合していくワークがはじまる


このダイナミック瞑想という瞑想法が
ワタシにとって、
「聖なる世界」や「瞑想の世界」と

「俗なる世界」や「非瞑想の世界」
「動」と「静」を別のものとして
二元的に捉えてしまって固まっていた
それまでの信念や思い込みを溶かす
最初のキッカケになってくれたのだといま振り返ってみると感じます。

いままで取り組んでいたヴィパッサナー瞑想やクリヤヨガなどの伝統的な静かな瞑想法では意志の力をつかって、自分を律して瞑想をしようしようという努力をしていたことが少なからずあったという事に気がつきました。

そしてそのように自分の意志の力を使って、瞑想をしようしようと努力することそれ自体が瞑想状態に自然に入っていくことを妨げているのだなという事が漠然ながら感じました。

ダイナミック瞑想の醍醐味:
緊張と弛緩のプロセスを通じて瞑想を自然と起こす


ダイナミック瞑想というある意味カラダを存分に極限まで動かし、抑圧された感情を解放してから自然と静けさの中に入っていくプロセスを実際に体験することを通じて、いままで自分が行っていた瞑想のやり方やアプローチに無理や不自然さがあったのかもしれないと率直に感じました。


まだ感情の浄化やカラダの準備ができていないときに
伝統的な静かな瞑想法を自分で律して努力して瞑想したつもりになっても
それは本当に瞑想の状態が自然と起こっていくことではないし、
その強引とも言える努力そのものが自分の中で違和感や不自然さを
作り出していたのではないかと少しずつ理解していきました。

それでこのダイナミック瞑想のような感情の浄化が含まれた
あたかもこぶしをギュッと力いっぱい握った後に、ぱっと離すと自然とリラクゼーション・弛緩が起こってくるような瞑想法がこれまで努力して瞑想をしようしようとしていた自分にはちょうど必要だったのだと体感しました。

ワタシの瞑想遍歴のグレート・ターニング(大転回)


それから自分の内側の
「静けさ」と「動き」
「陰」と「陽」
「地」と「天」
「聖なる世界」と「俗なる世界」
「女性性」と「男性性」
「感性」と「知性」

という二元性を統合していくワークがこのアクティブ・メディテーションが最初のひとつのキッカケとなって始まったのだといま振り返ってみるとそう思います。

この瞑想法に取り組むことで、いままで「静かな」伝統的な瞑想法だけが瞑想だと思い込んでいた自分にダンスなどの「動き ムーブメント」を通じて、瞑想に入っていくこともできる事を知りました。実際にスーフィーと呼ばれるいわゆるイスラム神秘主義者たちは旋回舞踏を通じて、神・宇宙と一体化、瞑想の境地に入っていきます。

その「動」と「静」や「地」と「天」や「女性性」と「男性性」といういわゆる二元性を越えた不変、不動の点に瞑想を通じてハッキリと目覚めること、気がつくこと、そしてその目覚めと気づきと共に寛いで在ることが真の意味での「瞑想」だと体感するにはもう少し紆余曲折と試行錯誤の瞑想の遍歴をする必要がありました。

しかしこの現代人のために作られたアクティブ・メディテーションという瞑想法の素晴らしさや醍醐味を味わうことができた初めてのダイナミック瞑想の体験は今から振り返って見るとグレート・ターニング(大転回)だったと言えるのは確かです。




               - - - ✂︎ - - -


瞑想遍歴【その5】に続く


瞑想遍歴【その3】は👇です。



現在は信州聖山の4千坪の森の中で以下のようなキーワードで
持続可能な“懐かしい未来”に向けて生きる人々のためのスペースを準備しています。


Co-Creation 共同創造
Co-Creation with NATURE 自然との共同創造
Co-Creation with Every Creature 生きとし生けるすべてのものと
Co-Creation with Brotherhood and Sisterhood 想いを共にする友人たちと

Meditation 瞑想
Deep-Connection with oneself 自分自身との深い繋がり
Deep-Connection with mother nature 母なる地球との深い繋がり
Deep-Connection with Brotherhood and Sisterhood 
想いを共にする友人たちとの深い繋がり


PermaCulture パーマカルチャー

Care for the earth 地球への配慮
Care for the people 人への配慮
Fair share 分かち合い

イロイロなワークショップやイベントが開催できる滞在型のメディテーションホールを軸として、人が森に還り、自然の一部として在る暮らしを創造し共有していけるスペースをご縁のある仲間たちとつくっていけたらと想っています。

もし興味があれば、コメントやDMいただければ
大変嬉しく思います。

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また仕事としてウェブサイト制作、ECサイトの制作・構築や翻訳・ローカライゼーションをやっています。こちらも何でもお気軽にご相談いただければありがたいです。

信州聖山のCo-Creation 共同創造スペースの活動資金にさせていただきます。ご紹介でもありがたいです。もちろんご紹介料もちゃんとお渡しします。

https://nirvana-lab.com/portfolio/




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