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六月の雨

いずれ歳を重ねれば『雨もたまには良いね』
なんて思うのだろうと思っていた。
私の予測だと、既に私は雨好きの人に
なっている筈だった。
何処で道を間違えたのだ?とか、そんな大袈裟なものでは無いが、
一向に風流風雅とも思えぬ『雨』に心乱され、
特にこの梅雨入りの時期ともなれば一層のこと梅雨明けの夏の空を、
今か今かと待ち侘びる煩悩の人と成り果てる。

高校1年の梅雨入り。
私は箱根にある美術館で人生初のアルバイトを経験した。
観光地ゆえに時給が高かったのが選択の理由であったが、
通勤には低速でジワジワと時間をかけ山を登って行く
箱根登山電車に乗らなければならなかった。
そしてそれは、かなりの疲労度を要した。
この時期の箱根登山電車は通称『紫陽花電車』と呼ばれ、
車内にいながら紫陽花咲き誇るポイントを鑑賞出来るという
スタンダードな観光列車へと変貌する。

通勤時間帯は常に老人達で満員。
低気圧による湿気と酸欠気味な車内。
期待に湧く乗客の喧騒、それによって曇る車窓とオヤジのポマードの香り。

いつ止むのかも判らぬ雨と光を閉ざし続ける雨雲の下、
私は頭痛と吐き気に耐えながら若干15歳の私は職場に向かうのであった。
そしてそれが恐らく、私が人生で初めて嫌悪した梅雨の始まりである。

『雨の日が好きだ』という友人がいて
私はその理由を聞いたことがある。
『休日に部屋でボーっと雨を眺めながら本を読んだりコーヒーを飲んだり出来るからね』と彼女は言った。なるほど。

つまり通勤や仕事といった、ある種の義務から解放されない限り、
この呪縛からは逃れられないのである。
そして夏を待ち侘びる。
まったく長い旅路だ。

私が雨を愛する日。
それが訪れるのは、老人と化した私が死ぬ2、3年前に見る、
西伊豆の旅館の窓に広がる梅雨空と濡れて重く沈んだ
港街であって欲しいと願う。
そこにはお茶を啜りながら、女中さんに

『雨もたまには良いね』

なんて言ってみる私がいるのだろう。

文:エンスケドリックス
写真:原田ミカメラ


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