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優しさって何だろう…?

今日、整体に行って家族のこと(多少複雑な家庭状況)を色々話していたら、「優しいですね」と言われた。褒められた時の受け身の取り方が分からなかったので、困惑はしたが嬉しかった。ただ、自分のことを優しいと思うことに抵抗があったので、肯定はあまりしたくなかった。ただ褒めてもらったことはありがたかった。

自分は小学校の頃に、気の強い人にいじめられたことがあります。「~してよ」と高圧的に言われた時に断れなかったのです。逆に、自分より気の弱い人をいじめてしまったこともあります。気の弱そうな人の上履きを取り上げて逃げ回っていたら泣かせてしまいました。その時、人を泣かせるようなことは初めてだったので、とてもショックを受けました。「なんてひどいことをしてしまったんだ」と思いました。

このように、小学校の頃にいじめた経験といじめられた経験がどちらもあったからこそ、「自分がされて嫌なことは人にもしない」ということを意識するようになりました。これは、自分にとっては誇らしい信念です。

一方、いじめられた経験から人に嫌われることを過度に恐れるようになりました。人から嫌われないことばかりを考えて、人付き合いで気疲れするようになりました。「嫌われる勇気」という本がありますが、確かに人に嫌われるには中々勇気が要りますね。この勇気がないと、自分の信念を曲げてまで人に嫌われまいとしてしまうので困りものです。

さて、タイトルにある「優しさ」についてですが、この自分の信念を曲げてまで人に嫌われまいとする行動が、他者からは「優しさ」として認識されることがあります。ただ、自分はこれは「優しさ」の本質ではないと思います。「優しさ」というものは関わる人達全体が本当の意味で(見せかけではなく)幸せになることだと思います。自分を押し殺して相手に優しさを与えるというのは、自分にとっては優しくありません。「優しさ」のある行動は、誰にとっても良いものであって欲しい。「優しさ」とはそういう言葉であって欲しいと思います。

とめどなく書いているので、最初に整体の人に「優しいですね」と言われて、何で自分で自分のことを優しいと思うことが嫌だったのかに話は変わります。

「優しさ」というのは損得を考えない純粋なものだと思っています。自分は人に嫌われないようにした行動が、他人から「優しさ」のある行動として受け取られることがあるので、自分としては何かしっくり来ない感じです。ある意味、保身目的の利己的な行動とも言える位です。「優しさ」とは損得や優劣もないし自然で無意識的なものだと思っています。それは、自分は優しいのだと意識したり、自負するものでは無いなという感覚があります。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それではまた!

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