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判断の余地を与えない優しさ

インスタ運用日誌として、ストーリーズで交流を重ねていると人間関係のトラブルなんかが赤裸々に書かれていることがあって面白い。

「こんなことがあったんだ」と誰かに言いたくなったり、共感してもらいたかったりするのかもしれない。私にも以前に「即ブロック兄さん」の話があって、例に漏れず記事として書いている。

強制するなら縁を切る!

相互フォローしている方のストーリーズをまんま引用すると問題ありそうなので、お話の概要だけ拝借すると↓こんなやり取りがあったらしい。

Aさん:トラブル時に備えてサブ垢からもフォローさせていただいてよろしいでしょうか。フォローバックの必要はありませんので、ご検討ください。
Bさん:面倒に巻き込まれたくないので、強制されるならフォロー外します。

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これまた沸点低い話ながら、インスタあるあるだろう。補足すると、ブロックやアカウント停止を喰らうとインスタが使えなくなって、せっかく蓄積した人間関係が無に帰すのが勿体ないので、Aさんはサブアカウントで辿れるようにしておきたかった意図だと思う。

私もAさんと繋がった時に似たようなことを依頼されて、一瞬は身構えたけれど、問題の無い依頼だと判断できた。冷静に読み解くと依頼文の体裁を取りつつも、実情は確認を求めているだけだし何も強制していない。

強制NG兄さんの気持ちになって考える

Bさんの立場で考えるに、おそらく日本語を読み解くのが苦手だと捉えれば、拒絶する気持ちに寄り添えるのかなと思う。

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Yes/Noの判断を求められると、内容について判断するよりも前に「正しく解釈して責任を持って答えないと、後々になってあの時Yesと言ったことを持ち出されたら面倒だな」と身構えるのかもしれない。

丁寧さからAさんがメッセージしていても、「サブ垢からのフォローが嫌なら削除操作もできるから言うまでもないのに、あえてメッセージしてくるのは、そこに強調する意図があるんじゃないか」と身構えるのかもしれない。

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わざわざメッセージをしてくれる特別感や丁寧さは嬉しい反面、それを逆手に取ったスパム(海外アカウントが友達になろうと近付いてきてリンク踏ませる)なんかもあって、どうしてもメッセージが来ると身構えてしまう。

教訓:判断の余地を与えない優しさ

「どちらが悪い」と言うつもりはないのだけれど、この世界で円滑なやり取りをするための教訓として、判断の余地を与えない優しさはあるだろう。

日本語「~してよろしいでしょうか?」表現に似たようなものは、英語「Would you mind if I ~」表現にもあって、相手に断る余地を残すことで丁寧さを出している。でも、情報過多な世界においては、相手に判断を委ねること自体が負担になるんじゃないだろうか。

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この事例から得た教訓として、Yesを期待しながら「~してよろしいでしょうか?」と聞くのはやめようと決心した。相手にYes/Noの判断を委ねているくせに、Noと言われて腹を立てるのは滑稽だから。

信念を持って行動するプロシュート兄貴は「その時スデに行動は終わっているんだッ!」と言っていた。事後報告で「~しました」でいいし、それすらなくて「プロフに書いてましたよ?」でもいい。もし嫌に感じたならば、波風立てずブロックするなり削除するなり好きにしてくれればいい。

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