見出し画像

常識を疑うクセが大事(diary80)

こんばんは!グッド・クルー採用担当の丹路です(@niroshu9526)

今日も遅い投稿です。日中はゴルフに行ってました!ショートコースを一人で回ったのですが、同じく一人で来ていた船橋在住のお父さんと一緒に回りました。大学3年生の息子がいるそうで、就活に色々と悩んでいるそうでした。
自然と仕事の話になり、僕の仕事内容を伝えたのですが、紹介事業の存在を知らず"そういったのがあるのかぁ"とびっくりされていました。
やはり地方の方ではまだまだ根付いていないなと感じ、Learning含めもっと広めないといけないと思いましたね。


最近は携帯でnoteを更新しています。
パソコンとどう違うのかなぁと比べながらやってるのですが、やはりパソコンの方が脳が整理されて言葉が浮かんでくる気がします。気がするだけで本当かどうかは分かりませんw



さて、本日は‘‘常識を疑うクセが大事‘‘です。

日々暮らしていくと、自分の周りで起こっていることが全て正しいのでは?と、無意識に陥ることがあります。厄介なことにそこに気づかず進んでしまう場合も多々あります。

それが事実かどうか疑うことをせずに、事実として認識してしまうことがあるのです。目の前に起こっていることが当たり前では無い、このクセを身につけることが社会人として大事だったりします。そこを自分なりに解像度を上げていきたいなと。今日も良いnoteになりそうです。

情報が事実かどうか



自分たちが常識だと思わされていることって、実は全然事実ではなかったりします。

最近は、世に流れているネットニュースや情報で「こうである」というものに対し、後々になって「全然違う」と釈明されることとかも良くありますよね。

全く別の視点でいと、幕末の偉人で有名な勝海舟も、坂本竜馬も、この二人の血の繋がった先祖(といっても二代前の祖父ですが)は武士では無かったとかいわれてますし、新撰組の親分だった近藤勇だって、本人は百姓の出身で侍じゃ無いといわれていますから。
僕たちが学校で学んだ社会でさえ、後々になって違うというのが多々あります。

この手のことってまだまだたくさんあるから、常識だという言葉で思考停止しないようにしようね、ということです。

なぜ大事なのか、、、常識を疑って調べるということが、知識を分厚くするために必要なプロセスだと思っているからです。


常識を疑うクセを付けることで、世論に付和雷同しなくなるんですよ。
付和雷同しなくなると何が良いか、、、
自分の意見を持てるようになるんですよね。そしてこっちの方が効果というか効能が高いんです。

今までは疑わなくても良かったんです。同調性を求めがちな日本で、共感を得ていれば良かったのです。「みんなと同じ」はかつての日本人のモットーでしたから。
しかし、これがワークしたのはバブル経済までです。今の時代、「みんなと同じ」は「等しく貧しくなる」ということですから。


世界が変わっている今、日本人も変わらなければいけません。
上記で書いたように、「みんなと同じは等しく貧しくなる」ということなんです。

今の組織では、当たり前では無い非常識なことが重宝されています。
そんなことある?あり得ないよね、、、そういった概念から創造性が生み出されています。


創造とは一度破壊されたものからでしか生まれません。


だからこそ、身の回りから疑うことを癖つけることで「あり得ないだろう」という思考までたどり着くのです。

その思考が自分や組織をたすけてくれる「知識」になるはずです。

日々インプットしかアウトプットする、この流れを止めず、その情報や常識は正しいのか、ここを問いていきたいですね。

また来週!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?