酒列磯前神社と大洗磯前神社
by noriko
参道の並木を作っているのは、やぶ椿かしら。うねりながら、空に向かって伸びている。花をつける季節ではない。長い間、多くの人々に寄り添ってくれている、ここは酒列磯前神社。
お参りを済ませると、海を見下ろすように立つ、小さな鳥居。こんな夏の暑い日なのに、涼し気に鮮やかな青い紫陽花が花をつけて、海の色と競っていた。
この由緒ある神社に連れてきてくださったのは、もしかしたら、ここに祀られている少彦名命(すくなひこなのみこと)だろうか。大黒様を手伝って、国づくりをしたとか。
少彦名命は、ガガイモの舟に乗って、鳥の羽根の服を着て、常世の国からやって来たそう。想像するだけで、かわいらしくて笑みがこぼれてしまう。
次に、大黒様=大己貴命(おおあなむちのみこと)が祀られている大洗磯前神社に向かっていこう。
大きな鳥居をくぐり、急な階段をを登る。振り向くと、岩の上に立つ、言わずと知れた鳥居が現れた。
本殿のお参りを済ますと、海の中の鳥居を眺めながらの食事。
待ち時間も忘れて、窓から海を見ていた。
海に映える鳥居もさることながら、その上に止まった海鳥がいつまでも飛び立っていかずに、まるで「ここは私の居場所です」と主張しているかのように、ずっとそこにいる。まさに『鳥居』だ。
他の鳥がやってくることもなく、「おひとり様」を満喫している。とうとう食事が済み、席を立っても、まだその海鳥は鳥居の上だった。
外に出て空を見上げると、白い雲。そういえば、詩人・山村暮鳥はこの辺で暮らしていたとも聞いたことがある。「おうい、雲よ……」なんて、流れる雲を眺めながら詩を詠んでいたのだろうか。そう想うと、さらに旅は味わい深いものになった。
by reiko
ドライブがてら海辺の町・大洗に行くことになった。
最初の到着地は酒列磯前神社。主祭神は少彦名命(すくなひこなのみこと)。国造りを行なったとされる神様である。
正面の鳥居から本堂へとのびる参道は、木々がトンネルを作っている。グネグネと曲がった木の枝は、アマゾンに生息する樹木を見た時のような、逞しいようにも、恐ろしいようにも感じる力強さがあった。
参道の途中には左側に小道があり、そこで立ち止まると、鳥居とその向こうに海が見える。心がスッと晴れ渡る景色。清々しくて、爽やかなエネルギーに包まれるような神社だ。
出かける前にこちらの神社のホームページをチェックしていた私には、楽しみにしているものがあった。本堂のお参りを終え、お守りなどを売っている建物へとウキウキ向かう。
「7月の御朱印をください」
「はい。7月の限定は2種類ありますが、どちらになさいますか?」
「えーっと、七夕の方で!」
この神社では月替限定・季節限定・奇数月限定・偶数月限定など、様々な御朱印が得られる。御朱印帳を渡して直接書いてもらうのではなく、すでに書き置いてある一枚紙をもらう形式だが、どれもこれも、家が近かったら毎月お参りしてすべてを収集したい!と思わせてくれる、私好みのデザインだ。
頂いた御朱印は手帳にはさんで、ときどき眺めている。
うふふ、やっぱり愛らしくて素敵。
さて。つぎに向かったのは、大洗磯前神社。主祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。──大己貴命は大国主命(おおくにぬしのみこと)の別名である。
今回訪れた二つの神社は、約10キロほど距離が離れているのだが、『二社で一つの信仰を形成している』ということを調べている時に知った。なぜなら、それぞれの主祭神である大国主命と少彦名命が協力して国造りを行なったとされているから、らしい。各々ではなく、二つで一つというのが、なんだがグッとくる。
大洗磯前神社は正面の大きな鳥居をくぐると、それなりに長くて急な階段をのぼる。運動不足の体にはきついが、上までのぼりきって振り返ると、真正面に空と海の境界線が見える。
この神社の高さから空と海の広がりを眺めていると、自分が足をつけて立っている陸の存在もふしぎと強く意識されるのだった。
神様たちはこれを作ったんだ、とリアルな実感を伴いながら思いを馳せるのは、なんだか心地よかった。