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偕楽園 秋

by noriko

 夏もそろそろ終わりに近づき、秋の気配を感じ始めることのひとつに、萩がある。以前は夏山を歩いた折に見つけると、暑さがスーッと引いていく感覚がなんとも心地よかった記憶として覚えている。小さな紫色の花をつけた茎が垂れ下がり、風に揺れる様が、ほっとひと息つくのにふさわしい涼しさを与えてくれた。

 さて、偕楽園の萩は、よく手入れされていて美しく形作られ、それはまさに大きな「おはぎ」のようだ。
 庭園に点在するおはぎとおはぎの間をすり抜けながら妖精たちが笑い、踊っている姿が目に浮かぶ。次から次へと赤や白の大きな萩とその周りに蝶が飛び交うのを見ていると、ついファンタジーの世界にいざなわれてしまう。
 しばし、空想の中で遊んだら、下に降り、小川沿いに歩いて池に向かう。

 池の蓮は、こげ茶色の実をつけて、その色と共に秋の訪れを告げていた。夏を迎える頃は、ピンクの花で池を埋め尽くし、華やかであったことを物語っている。
 そして池の近くには、最後の力を振り絞って咲くサルスベリが、水車小屋に彩りを添えていた。「力を振り絞る」という言葉は適切ではないかもしれないと思うくらい、可憐な花を枝につけ、今年の厳しい夏を乗り切った誇らしささえ感じられた。

 水車小屋の横の径を上がって行くと、歴史館の庭が現われる。
 ここでも着実に秋はやってきていて、桜やいちょうの葉は、もう色づき始めていた。まだ真夏のように暑い日もある中で、朝晩少しだけ和らぐわずかな寒暖の差を、植物たちは見事に感じ取っているのだろう。
 銀杏も落ち始めていて、いちょう並木が金屏風のようになるのもそう遠くはないよ、と言っているようで、待ち遠しさと、時の流れの早さへの驚きとを抱きながら、また来るね、と手を振った。



by reiko

 夏の暑さがやわらいだので、偕楽園あたりを散策しようか、と出かけることにした。
 もう外に出ても、熱された空気と強烈な直射日光によって道の途中でぶっ倒れるのではなかろうか……という心配が胸をよぎることもない。日差しはいくらか熱を持っているが、風は涼しい。夏が終わりつつある。ありがたいことだ。
 バス停を降りて、偕楽園までは10分ほどだろうか。てくてくと歩き慣れた小道を歩く。

 偕楽園は日本三名園のひとつ。今から182年前、1842年に徳川斉昭によって造園されたという。
 敷地内には約3000本の梅の木が植えられていて、早春には梅まつりが開かれる。その頃であれば園内は大勢の人で賑わうが、今の季節は、幹と枝がうねった木々たちがただ静かに佇んでいた。

 時期的にはギリギリ萩まつりの期間だったのだが、花ざかりは終わっているようだった。それでもいくらかは白と赤の花が残っていて、広い庭を歩きながらそれを眺めた。今年もずいぶんと暑かったから、植物も大変だったのではなかろうか。労をねぎらう気持ちがわいてくる。
 園の端までくると千波湖が見えた。視界の中で湖を縁取る木々が、黄色や橙色に色づき始めている。夏から秋への切り替えがずいぶんと早い。自然の順応性に驚く。

 偕楽園の西門を抜けて、歴史館の敷地に足を踏み入れた。
 池一面に蓮の葉が大きく育っていて、勢いに圧倒された。百日紅のピンクの花は愛らしい。
 酷暑中は、あまりの熱気にウンザリする私の気分を反映してか、自然の景色もどこか元気がないように見えていたが、気候が良くなってくると、紅葉の前に枯れ落ちてしまった葉っぱですら、同じ季節を耐え過ごした同志のいじらしい姿に見えて、粋に感じた。その有り様を自然の営みの一つとして受け入れられる。快適な気温というのは、心に余裕と豊かさをつくるのだなぁと思った。

 歴史館の見どころであるイチョウ並木も、うっすらと黄色く色づき始めていた。足元にはぎんなんが落ちていて、その匂いで存在を主張している。
 また季節が変わっていく。
 その気配を感じることが何より楽しいと思うのだった。




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