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心象日記0201 性善説と踊る

カッコつけられないのは、プライドの高さにも起因しているように思う。

私は、カッコつけた言動ができない。なんか、ちゃんとした文章を書こうにもふざけてしまうし、みんなの前で話すとしても、何らかのボケを入れないとやっていけない。とりあえずポンコツであることを示して、親近感を誘っちゃう。自虐ネタもお手のもの。

ヘラヘラしているから、プライドが低いかと思いきや、私のプライドは相当高いようだ。自分がこだわっている部分について指摘されると顔を真っ赤にして反論してしまう癖がある。この前の発表会でも、教員の指摘に対して普通に言い返してしまった。その時、ほかの教員がわずかに顔を顰めたのを思い出した。

カッコつけた、という言葉は私の価値観が表れているだろう。ちゃんと生きる。そうしたことへの反抗心が「カッコつける」という形容詞に繋がっているのだろう。もっと、よい形容詞はあるのに。

ちゃんとできないのは、ちゃんとしたときに出る錆が怖いから。本気出してない体をとって、とりあえず誤魔化す。ヘラヘラした文章を書くことで、どうにか私の自尊心を保ってきた。でも、少しふざけた生き方って、可能性に富んでいて、泣くしかないところに笑いをもたらしてくれる。

大泣きをしているとき、鏡に映った間抜けな顔に笑ってしまうことがあった。こんな時に笑うなんて、おかしい。

ジェットコースターに喩えられる感情だけど、そもそも感情って電話の機械音みたいに、揺れ動かないものだと思ってるの?そもそも前提がジェットコースターみたいな感じなんだから、トートロジーじゃん!って思う。

私はそうした起伏を受け入れた方が楽に生きていけるかもしれない。わからないけれど。

簡単なことで嬉しくなってしまうし、悲しくなってもしまう。本を何冊も抱えて図書館のエレベーターに乗ったら、同乗した学生が開くボタンを押してくれたこと、友人が「〇〇ちゃんと遊ぶのが楽しみで、今日は早起きしちゃった」とLINEを送ってくれたこと。たまたま居合わせた人のAirPodsを探すのに奔走する人たちを目撃したこと。案外、悪くないじゃん、この世界、なーんて思わせてくれる光景が広がるだけで、私は救われる。

でも、権力者が性善説キャンペーンをしたらダメだ。
帰宅途中、ディストピアの物語を思いつく。政府が「性善説週間」を儲ける世界線の話。「人を信じましょう」とのポスターが貼られ、「悪い人なんていない」と復唱させられる世界。オーウェルを煎じて煎じて腐らせたディストピア小説だが、もし実現したら本当に嫌だ。信じることは自発的な心の動きであって、権力によって強制させるものでは…と思うが、どこまで自発的な信望といえるのか、なかなか迷わしい。

信仰とは言えないまでも、思い込みのようなものは確実に外的世界との繋がりと断絶することはできない。私が就活に対して、それなりにプレッシャーを感じているのは、ある種の信仰によるものかもしれない…といえば、あまりにも比喩的すぎるか。

もう2月か。就活解禁の足跡が聞こえる。そんなものに踊らされてたまるかよ、と思いつつ、私はしっかり新卒一括採用のステージに乗っているので、私は踊る。踊り明かそう。

正直、私はノウハウというかメソッドを意識しすぎて文章を書くと、失敗する。一応、型みたいなものはあるので、それに適合させてエントリーシートを書いているが、果たしてそれが良いのかわからない。少なくとも、私のアクの強さはちょっと残しつつ、エントリーシートを書く。

就職活動では、あなたの思う幸せとは?みたいな大きな問いを突きつけられているみたいだけど、仕事とプライベートの二項対立では語り尽くせない事象があるのでは?と疑っちゃうかもしれない。マナー講師云々の話ではないけれど、成文化されていない暗黙のルールが就職活動には多すぎる。言葉の定義をしっかりしないまま、話を進めてしまう場面も多く見受けられる(グループディスカッションにおいてはしっかり定義づけが行われるが、往々にして自己分析そのものの定義づけはあやふやのままだ)

自己の一貫性を信用しすぎる態度は慎みたい。
人生は一本の糸でつながってなんかない。
どちらかといえば、穴だらけのビーズアートかもしれない。むかし、よく作ったアイロンで固めるタイプのビーズアート。あれ、楽しかったな。無心になれたので。

就職活動では、人生をひとつひとつ振り返らなくて良いと思うし、辛かった出来事を分析する必要はないと思う。たとえば、いじめとか。そうした類の出来事は、就活における自己分析には出さなくて良いように思う。モチベーション、みたいな言葉には収斂されないから。

…とか2年前はよくキレてたな。今は、わりとその辺は割り切れているけど。かつて携わった業績を洗い出し、組織・個人の働きを振り返る。そんなんで十分な気がする。

私は、うまく踊らされているようだ。というか、進んで思っているのかもしれない。案外、エントリーシートを書くのは楽しい。面接で熱心に語るのも楽しい。まぁ、楽しめたら何事もうまくいくでしょう。

久々に、ちゃんとした日記みたいなものを書いた。
今日は心象ではないのかもしれない。もっと具象化された世界…わたしはそうしたものから一旦距離を置きたいのだが、それはできない。就職活動で忙しくしているうちは、どっぷりこの世界に浸っても良いかもしれない。それもわたしの心象風景なのだから。濃淡があっても、強弱があってもいいんだよ。
そんな一定でいられるわけがないんだから。

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