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心象日記0203 板チョコにカミツキガメ

板チョコレートに齧り付く。あの軽快な音が心地よい。最近の板チョコレートのサイズ感は、ひとりで食べるのにちょうどいい。ファミリーパックのチョコレートを独り占めするのは、ちょっも長期戦だし、罪悪感が大きい。いっそのこと、噛み付くのがいい。バキバキ割っていく感じが堪らない。数ヶ月前から、輸入チョコレートを探索していたが、最近は日本製のチョコレートに回帰しつつある。安いし、小さいし、胸焼けがしない。なんか、不景気を凝縮した感じのコメントになり、ビターな気持ちになった。

自ら不自由にすることで、生きがいを感じているのは倒錯的かもしれない。最近は暇がちょっと減ったいるので、他人の気持ちを推し量ったりする必要がない。これはいい傾向だ。他人がどう思っているのか、そんなことを考えている時間が一番報われない気がする。永遠に、他人になれるはずがない。どうしても、推測しなければならないのだ。それはあくまでも推測であって、完全に理解することはできない。それを念頭におけば、報われない苦労をしなくてもいい気がする。…そのためには、暇を減らすのが良い…自ら、没頭する環境を作るのは案外むずかしい。そこで予定を入れて不自由にするのだが…自由への逃避とはそういうことなのか。

そんなことを議論できるほど、体力は残っていない。疲れた後の板チョコレートは堪らない。たまの贅沢を100円弱でできる。最高。下手にデパートでチョコを買うより、板チョコを買った方がいい。加工しない方がおいしい。特に、溶かしたチョコレートを型に流し込むタイプのチョコレート菓子は、板チョコのパリパリが損なわれるの。バレンタインみたなナラティブに抵抗し、板チョコを贈る日にしたらどうか。

疲れていてもわかる。自分が変なことを言っていることを。もちろん、私は容易に踊らされる人間なので、デパートでチョコレートを買った。楽しかった。よくわからない説明がたくさん書いてあって、でもそこには幸せがあって。何の幸せかわからないけど、自分か自分の愛するひとへのチョコを買う雰囲気が好き。でも踊らされている。巨大な消費主義のナラティブに踊らされることに対して、そろそろ真剣に議論した方がいいかもしれない。クリスマスも然り。クリスマスに用事を済ませようにも、どこも混んでいる。別にクリスマスがクリスマスである必要はない。特別なデートをする必要性も薄い。君たちがクリスマスだと思えば、クリスマスなんだよ!!!!!だから、私にとっては毎日がクリスマス!だからご褒美に、板チョコレートを食べるんだ!(もちろん毎日食べるわけないです)。

スマホってそれほど本質情報があるわけでないのに、なぜか追ってしまう。大して面白くないショート動画、リール動画を追っているうちに、夜が明け、朝が来る。踊らされてばかりじゃないか。自分が踊っている舞台がどんなところか、もう少し見つめた方がいい。いったん、仮想山籠りでもしてみるか♪♪♪

CAPSULE25周年、すごい年月だなと思いつつ、自分と生きている年数と大して変わりがないことに大して驚いた。まだ全然若いとされる年代なのに、20年以上人生が続いてますよ!と言われると驚かされる。一貫して私が私の人生を歩んでいる自覚はなく、かなり人格は変化してきた。高校生の時まで自己主張ができなかったが、大学入学後は面の皮が厚くなり、図々しくなって生きやすくなった。別人格になった気がするので、一貫性の就活ナラティブに対しては懐疑的。まぁ、変わらないことといえば中田ヤスタカの音楽を聴いていることかな。

人とゆるく繋がっている状態っていいね。
組織でガチガチに仕事を共有するのではなく、同じ空間で別のことをやれるのって、共同体として理想的かもしれない。研究室のことですが。
人文学系の研究は一人でもできるが、インタラクティブに議論できる場がないと、やる気も出ない。コロナの時期は、本当に本当に辛かった。研究自体は楽しかったけど、それを誰かに話すこともなく、一人で回収していく。寂しかった。院試の面接で詰められた時も、すぐに誰かに言えたわけではなかった。今は、そうではない。発表会でキツい指摘があったとしても、誰かが話を受け止めてくれる。研究について話そうとか、おすすめの本を語ろうとか、そんな場があることが幸せだ。

学生団体にいるときは、どうしても人を有能/無能に二分されているきらいがあり、息が詰まりそうだった時もある。たくさんの学びをくれた組織ではあったが、友だちが友たちでいられないのが辛かった。友だちを仕事仲間として割り切るのは難しい。組織の幹部になっていくにつれ、友人関係が変わっていくのを感じた。

組織、ね。そうしたものに所属するときのわたしと、ゆるっとした共同体にいるときのわたしは全然違う。就職活動は前者を念頭に置いて検討した方がいいだろう。いまみたいに生き生きとしていないし、気を遣いすきで疲れている。

ほどほどの制約のもと、暮らしを楽しむ。
これが私の就職活動の目標である。

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