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文章の骨

長い文章を書いていて気がついた。文章は、長ければ長いほど制御が難しい。文章の中にしっかりとした筋が通ってなくてはいけない。ただ、思いつくままに書いていくのではなく、骨組みから作っていくように文章を書く。

今まで自分は軟体動物のような文章を書いてきた。行き当たりばったりに触手を伸ばす、書きながら考えるという文章である。すぐに書き始めることができ、迷いも少ない。いいことはたくさんある。

しかし、文字数が多くなるととても大変な目に遭う。そう簡単には書けないようなテーマに踏み入ってしまった時である。書いても書いても終わらない、という状況に陥る。なんとか書き上げるても、筋が通っていない。思いつくままに書いてしまっているから、話がそれたり、わかりにくい繋がり方をしていたりする。当然、読みにくい。書いている方は、書くのも大変だし、書き終わった後に修正するのも難しい。

運よく書き上げることができた長文というのは、無意識にも文章全体に流れがつくってあるのがわかる。文章全体の流れとは、テーマと言ってもいい。書きながらテーマを作っていった例もあるし、書く前からはっきり決まっていて書きだすこともある。

テーマがはっきりしていると、文章は自立することができる。骨を持った動物のようにしっかりした体格になる。逆にテーマもなく書き続けてしまうと、ふにゃふにゃとして読みにくい。それでも書き続けようとすると、いつしか自重で崩れてしまう。

文章世界の重力とは、「可読性」だと思われる。読むことができるかどうか。難しいテーマや膨大な情報量に耐えうる文章を作る時は、この可読性という重力との戦いになる。読者は、自分が書いた文章を読むことができるか。自分は、わかりやすくしっかり議論を高く組み上げていけるか。書けば書くほど、可読性は上がるとは限らない。むしろ、書いた文章が可読性を妨げることもある。将棋やゴルフと同じで、自分の選択がゴールから遠ざかる「悪手」になる時もある。

書いていると、どうしても文字数が必要だと感じる時がある。そのような時は、そのまま書き進めてもいいだろう。文章の量を増やす正当な理由があるからだ。自分の書きたいテーマが文章の量を求めている時のだから従う方が良い。無理に圧縮したり、切り上げたりすると逆に言葉足らずになってしまう。

悪いケースは、なんとなく書き始めて、テーマを構成しきれずに文章がだらけてしまったケースである。文章を書くために文章を書いてしまっているのだから、なかなか本題やテーマが見えてこない。それゆえ、文章は重みで耐えられなくなり、あえなく崩壊する。

骨を一本文章に通してみる。書きたいこと、と言われてもよくわからないが、文章の骨と言い換えてみるとしっくりきた。必ずしも、自分が書きたいことでなくても良い。文章を書き進めるために必要な論理構成であったり、言葉の選び方だったり、何を支点にしても良い。骨を支点にして、文章の筋肉が稼働する。書き進める力をどう生み出すか、「ただ書く」で終わりにせずいろいろと試行錯誤していきたい。


最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!