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ハロー・ハロー
ぼくの住んでいる村は、空が見える。
人の数は少ないけれど、もっとたくさんの人と会いたいとは思ったことはない。父と、母と、学校の友達。そして先生。それだけが、ぼくが会うことができる人だ。
晴れた日には、早起きをする。なぜか、次の日「晴れる」とわかるとぼくは、朝早くに目が覚める。
明日の天気はなんとなくわかる。母は、明日が晴れると洗濯物をたくさん洗うし、明日が雨だとわかると夜のうちに乾燥機をかける。しかし、そういった頭でわかっている情報とは別に、ぼくの体が直接、空の状態に呼応する感じがする。晴れた日の空気や温度がぼくの目を覚ます。
自転車もいいけれど、歩くのも好きだ。一歩一歩進む感じが。ゆっくりであるけど、進んでいれば必ずどこかに行ける感覚が、好きだ。自分が歩いている足の感覚に集中すると、ゆっくりであることは関係なくなる。急がなければならないのは、退屈な時だ。歩いているときは、急がなくてもいい。だから、どれだけゆっくり歩いても気分がいい。
散歩していると、おばあさんやおじいさんとすれ違う。いろいろな人がぼくを追い越していくけど、ぼくは目をうすく目を閉じて、風が背中を押すぐらいの力で前に進む。
冬は寒い。けれど、空気が澄んでいる。日向ぼっこができる季節だ。ぼくは海の道をずっとすすんで、小さな公園にたどり着く。この村の一番端っこだけど、ここが世界の果てのように感じる。
原っぱがあって、小さな噴水があって、ベンチが二つある。海が見える。
ぼくは、公園に着くと、伸びをした。黒いコートを着て、太陽の光を集める。父が仕事で使っていたものだ。薄い炭素の繊維でできていて、軽いのに暖かい。海の上の仕事では、風も防ぐ。それを着て散歩をすると、いくらでも歩けるような気がする。
昨日の雨が空に登っていくからか、太陽の周りには霧のように薄い雲がかかっていた。光の輪が、太陽を中心として広がっている。青空に光が広がっていく瞬間を、薄く白いベールが受け止めて虹色に輝いている。
『ハロー、ハロー、聞こえますか』
手がわずかに振動する気がした。ぼくは耳をふさぐ。しかし、声はなぜか続いている。
『こちらも晴れています。それと、私の体調は良好です。心も元気。今日も仕事を頑張ろうと思います。』
明るい女性の声だった。ぼくは周りを見回すが、そばには誰もいない。手を下ろすと聞こえなくなった。もう一度手をあげる。指先に集中して、わずかな熱い感覚を探ろうとする。心臓が激しく鳴る音が聞こえる。目を細めて指先に集中するけど、声は聞こえない。
ため息を吐いて、ベンチに座ろうと振り返ると、白い自転車に乗った少女が立っていた。
「あ」
ぼくは白々しく驚いてみたけれど、少女は黙って自転車を降りてこちらに向かってきた。
「やっぱりここにいた。」
怒っているのか、呆れているのか、ぼくの手を乱暴に掴むと自転車の所まで引っ張って、
「のれ!」
と言った。
ぼくは黙って、サドルの後ろにある小さな平たい板にまたがった。少女はちゃんとハンドルを握って、サドルに腰掛ける。何かにつかまりたかったけど、つかまれる場所を探しているうちに、急に加速度がかかる。とっさ座っている板をつかむ。
「はやい!」
「急がないと、遅刻。」
白い自転車は、これ以上速くならないというところまで加速して学校に続く道を迷いなく進み始める。時間が早回しになった気分だ。
授業中も、ぼくはあの空と声のことを考えて、先生の話を聞いていなかった気がする。その日の記憶は自転車に乗せられて無理矢理学校に連れて行かれたこと、散歩をしていたら不思議な声を聞いたこと、それだけだった。でも、その日のことを何度もぼくは思い出す。
晴れている日には、空に向かって手を伸ばす。同じ場所で。時間は決めていない。気分次第で、散歩に出かける。公園に着くまでの、考えていることでたどり着く時間は違う。わくわくして走り出したい気分になることもある。けれど、急いでも結果に変わりがない。だから、ぼくはいつも海の道を自分の足が進みたい速さで、歩くことにした。どこまでも、どこまでも丁寧に舗装された地面を踏む。そうしていると、目を閉じても歩けるような気がする。いろいろなことを思い出す。
雲ひとつない空は、切なくて手を伸ばしても、ただ静かなだけだ。雨が降って、止んで、うすい雲が太陽にかかるとき、声は聞こえる。
…………ハロー、ハロー、今日は晴れです。
指先から、首筋を通って熱いものが体を駆け巡る。ぼくは動けないままにその声を聞く。
『今日はわりと、ハッピーな気分。体の方も調子がいいです。今日も仕事を頑張りましょう』
気がつくと声が聞こえなくなって、伸ばした手の感覚が薄くなる。立っている足が痺れて、ベンチに腰掛けると安堵とうれしさと、体の緊張がとけた開放感が満ち溢れてくる。
その日は必ず、学校に遅れそうになる。頭でわかっているのだけれども、心はずっと空の下にいたいと思う。
「あのさ、いつもここで何やってるの」
早回しになる景色の中で、ぼくは応える。
「声が聞こえるんだ。」
「は?」
自転車の速度が緩まる。ぼくは手に力を込めて体が傾くのに耐える。
「声?」
「うん」
力をこめた体からは強いうなずきが出た。
「意味わからない」
けれど、あっさりと否定されて、ぼくは自転車にしがみつく力をゆるめてしまう。
それでも、また自転車は限界速度まで加速して、淡々と学校に向かう。
「人々は、小さな世界で暮らすようになりました。」
先生が黒板を指さすと、ぼくたちの村の外観が現れる。学校の至る所に表示されている画像だ。海のそばにある四角い村。家々と、生活に必要なものを売るお店と、病院とか命に関わる大事なものが集まっている白い役所の高いビル。
「今までは、多くの人が集まってたくさんの物があつまって暮らしていました。けれど、その暮らしには無理があったので、やめたのです。」
「その、たくさんの人たちはどこに行ったのですか?」
誰かが質問する。
「別々の村にいます。」
先生がもう一度黒板を指さすと、ぼくたちの村が小さくなって、海が大きくなった。規則正しく並べられた島のようなものがたくさん海に浮かんでいていて、一つの島にいくつもの似たような形の「四角」がある。
「別の村で、わたしたちと同じような暮らしをしています。こうやって小さな村をたくさん作って生活することで、わたしたちの暮らしは豊かになりました。」
「その人たちと会えますか。」
ぼくは思わず立ち上がって、そう言っていた。クラスのみんなは、ぼくを見て、それから、先生の方を見た。
「会うことは難しいですが、こんどはその人たちとお話をする練習をします。」
先生はそれだけ言って、授業を終えた。次の授業が楽しみに思えた。
ぼくたちは、この村のことを勉強して、テストを受けた。テストの結果に、なんの意味があるかはわからない。村のことはよく知っているつもりだった。毎日散歩をして、いろいろな場所に行っていたから。でも、勉強したことは、ぼくの知らないことばかりで、別の村について話している感じがした。
テストの後、ぼくたちは教室から抜け出して、白い大きな建物に向かった。教室で先生は「役所」といっていたから、多分そうなのだろう。地図の真ん中にある、高い建物だ。歩いて近寄ってみると、地図で見たものとは全然違う。白く見えたのに、近寄ってみると上の方は透明に透き通っていた。その向こうには銀色の塔のような柱が見える。
大きな入り口に入ると、天井まで吹き抜けになっていて銀色の塔が高くそびえているのを感じた。太陽の光がたっぷり入ってきて、建物の中と思えなかった。クラスのみんなは、はしゃいでいて話すことは変わらないが声が賑やかだった。
先生は先頭を歩いて、ぼくたちを銀色の塔の近くに案内した。白い服を着た男の人が立っていた。ぼくたちはあいさつをすると、男の人もおじぎを返してくれたした。メガネをかけていて、父と同じぐらいの歳だ。
男の人は何かを話し始めていたのだが、ぼくは銀色の塔の表面の模様が気になって、ずっとそれを見ていた。大きな木の幹のように、細く白い線がうねうねと描かれているのに気がついた。光っていて見えにくいが、確かに線が浮かび上がっている。その模様に夢中になって、気がついたら先生に声をかけられた。
「やってみなさい」
ぼくは、ぼーっとしたまま先生に近づいた。先生は「これです」と言って、腰のあたりまでの高さの銀色の箱を指さした。男の人は、「画面に手を当ててみて」と言った。
画面は水色のモヤモヤがうごめいているだけの不思議なものだった。モヤモヤの動き方も柱と同じく気になった。煙が渦を巻くようなものであったし、青空の雲のようにも見えた。
ぼくは男の人の方を見た。わからない。男の人は両手の掌を前に押し出すような動きをした。それを真似して、ぼくも画面に両手の掌を押し付けた。冷たいと思ったが、温かかった。その瞬間、画面の白いモヤモヤがぼくの手の周りで渦を巻き始めた。ちいさな生き物のようにゆらめきながら集まってくる。ぼくは手を離すことができずにそれをみる。
「つながりました、さそり座の村役所の放送塔ですね。」
男の人は画面を覗き込む。
ぼくは手をついたまま、振り返って様子を伺う。
「きみ、何か言ってみて」
「はい。あいうえお」
そういうと、銀色の塔の白い模様が素早く動いて、また止まった。
『あれ、声がする。』
女の子の声がした。
「えっ。」
ぼくは予想外の出来事に、戸惑う。
「このように、別の村にいる人たちとお話しできるのです。別々に暮らしていても、どんなに遠くにいても通じ合えるのですよ。」
先生が脇からそう言った。
『もしもーし、どなたですか。さそり座地区の中学生です。』
「あ、こんにちは、えーっと、海の見える村の中学生です。」
「おひつじ座地区。」
先生が教えてくれる。
「おひつじ座地区の村です。」
『えー……そんなに遠くから?』
女の子の声は頭に直接響くように感じる。他のみんなもそうだろうか。よくわからない。機械のスピーカーから音が流れているから、みんなに聴こえているだけで、ぼくにとっては直接、頭の中に話しかけられている気がするのだ。
「さそり座地区は、月にあります。」
先生は空を指さす。
「この機械があれば、どんなに遠くにいても人と繋がれます。太陽系の星々に、その中にある村にこの放送が立っています。」
先生はそう締めくくった。
「何か他に言いたいことはありますが、なければ次の人に代わってください。」
「あ、じゃあ、月には海がありますか?」
『ないよ。おっきいプールはあるけど。』
まるで目の前にいるように返事が返ってくる。
「そうなんだ……」
ぼくが言葉に詰まると、先生が「次の人?」と声をかけた。もっとそこにいたいと思ったけど、別の生徒が手をあげてぼくの隣に立った。ぼくは画面から手を外して、その人に譲った。温かい感触がなくなった。
「どういう仕組みなんですか」
ぼくは男の人に聞いた。
「人の体じたいが、考えていることを受け取る受信機になるんだ。」
「どういうこと?」
「君の体は、原子でできている。だから、この宇宙で起こっていることに共鳴できるんだよ。」
「どんなに遠くでも?」
「うん。月から木星もすぐに伝わる。」
「でも、木星はものすごく遠いんじゃ。」
「いい質問だね。でも、これをみてごらん。」
男の人は、白い服のポケットから玉のようなものを取り出した。変な色。とぼくは思った。右半分が青く塗られていて、左半分が赤く塗られている。
「半分ずつ色が違う球があったとしよう、名前はリョウシです。」
「リョウシ?」
「うん。」
「これが二つに分かれて……」
男の人は玉の両端を指で引っ張ると、玉は二つに割れて赤と青に分かれた。
「隠す」
背中に手をやって、男の人は握り拳をぼくに差し出した。
「どっちが赤で、どっちが青かわかる?」
「わかりません。」
「じゃあ、これならどう?」
男の人は右の手を開いた。
赤い半球が、入っていた。
「ということは、片方の手は?」
「青です。」
「うん、みた瞬間にわかるだろ?」
「はい。」
「この仕組みで、遠くの人と繋がっている。どれだけ離れていても、遠くの人が赤と思ったら、こっちが青とわかる。それをずっと複雑にすると、この大きな銀色の塔と、あの機械が必要になる。」
「へえ……。」
男の人はにこりと笑って、ぼくを納得させようとした。よくわからなかったけど、ぼくはそれに合わせてにこりと笑おうとした。そうすると、なぜかわかるような気がしたのだ。
空に手を伸ばす。
空の向こうには、いろいろなものがある。らしい。たくさんの村があるらしい。たくさんの星も。その星々に人が住んでいて、ぼくと同じような生活をしている。
朝起きて、学校に行って、あそんで、ご飯を食べて、寝る。
そう思うと、ぼくは散歩に行きたくなる。誰も行けと言わなくても。一人で散歩に行きたくなる。
海は静かに波打っていた。細かい曲線が網の目のように組み合わさって遠くに、近くに進んでいく。
海風はぼくの背中を押す。ぼくは、ゆっくりゆっくりと歩く。少しゆらめくぐらいそっと、地面を踏む。日差しがあたたかい。何も考える気がなくなる。
静かな朝の村。並木道。堤防の近くのコンクリートと、海の青と空の青。波の光と、鳥の群れ。それらと一緒になってぼくは歩いた。
そして着く。村の果ての公園に。ベンチの脇に立って、ぼくは手をあげる。太陽は強く光って、光の輪を纏っていた。
『ハロー、ハロー、聞こえますか。今日も晴れ! 体調はとても……』
思い切り晴れていたのに、声は突然途切れた。
その日から、声は不安定になって小さくなって、なかなか聞こえなくなった。
「おい!」
振り返ると、少女がいた。白い自転車にまたがったまま、ぼくを呼ぶ。
空に手を伸ばしても、声が聞こえなくなった理由をぼくは勝手に理解しようとした。それは、誰かに説明することはできない。けれど、長い時間がぼくを納得させたのだと思う。
大人になって勉強していくうちに、ぼくは星間通信を理解し始めた。
人が散り散りになって生きるこの世界の歴史も、都合も理解し始めた。言葉で、数学で。誰にでもわかるように語られる語りを、その通りにぼくは理解した。
リョウシの回転で、ぼくたちは離れていても通じ合える。光より速いスピードだそうだ。
ぼくが感じたあの声はたぶん、放送局から漏れ出たリョウシとぼくの体が反応したのだと思う。
各々の村にある通信塔の他に、火星の高い火山に放送局というものがあるそうだ。大量のリョウシを太陽系の惑星にめがけて放射している。その時には、あの男の人がやったように二つに分けて発射する。たまたま受け取った片割れ同士が通信できる。
誰と通信するかは偶然で、また、定期的に波長を変えたりリョウシを打ち出す方向を変えたりするそうだ。
ぼくが小さかったころに、受け取ったあの声は、どこかの通信塔をとおりすぎて、あの公園のあたりに辿り着いたリョウシの片割れだろう。一度、放射されたリョウシは消えずにこの宇宙をどこまでも飛んでいく。
通信塔がなくても、ぼくのからだが受信できたのはきっと、物理的なぼくの体の原子と、波長が共鳴したから。
そして、背が高くなっていく途中の体だったから、ぼくの体は共鳴周波数を変えてしまって、そのリョウシを受け取れなくなった。あるいは、単に放送局が波長を変えただけかもしれない。
ぼくは、それでも時々散歩に出掛けて、空に手を伸ばす。晴れていると特に、届きそうな気がする。あのころの自分の体が感じていた僅かな気配が、ぼくを少し救ってくれたのだと思う。この村だけが世界だと思っていたぼくに、もっと広い世界があることを、自分以外の誰かがいることを教えてくれたのだと思う。
……ハロー、ハロー
ぼくは、心の中でつぶやいてみる。
つぶやいているうちに、声になる。
……ハロー、ハロー、聞こえますか。
こちらは晴れています。
体調は、良いです。
空が晴れていて気持ちがいいです。
今日も勉強を頑張ります。
いつか、火星に行って、誰かに声を送りたいです。
遠くにいる誰かと会いたいです。
最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!