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サボっていたこと
一週間おきにプロフィール記事を変えることを習慣にしていた。「自分」が凝り固まってしまうと書くものが不自由になりそうだったからだ。自分はこういう文章を書いて、こういう人に読まれたいと決めてしまうといけない。はじめに目的が決まってしまうと逆にそれができなくなってしまうタイプなのだ。
だから、書きながら考えている。今日はなんの文章が書けるのか。唯一決めているのは毎日書く、ということだけである。
今採用している書き方は、自動書記的な書き方と言える。書いた文章は消さずに、その場で思いついたものを残す。もちろん打ち間違えは消すけれども、書いた後にあれこれ考えることはない。これが、今のところ「書きながら考える」やり方に一番あっている。時間もかからないし、書くためのハードルも低いので毎日ネタもなく書き始めている。
これから書き方が変わっていくかも知れないと、書き留めておく。しかし、しばらくの間は変わらないだろう。
三週間ほど、プロフィールを変えていなかった間はずっとこの書き方で書いていた。
今までは、書いた後に考える時間がとても長かった。書く前には考えない分、書いた後には考えないといけないと思っていた。しかし、書かれた文章を何度も直していくうちに、書いている間に感じていたライブ感のようなものが失われているのではないかと思い始めた。
書きながら考えられている文章には、書き手の熱っぽさだったり適度な隙があったりする。そうした文章は、その瞬間にしか書けないし、後でいくら編集しようとしても無理だ。だから、今はとにかく書き始めたら冷静な目線を捨てて文章を書き上げることだけに集中している。結局書きっぱなしで、書いた後にはそのまま投稿している。
三週間の間、忙しかったこともあってプロフィールを書く時間がなかった。文章を書く時間はあったけれども。文章にすると矛盾を感じるが、「自分」について自分で考えてしまうことに限界とめんどくささが見えてきたのだ。「自分」なんて、結局書いている文章が代弁してくれているので、わざわざプロフィールを書く必要はないと思った。(まあ、こうして今書いてしまっているのだが)
ご多分にもれず、私も「自分」について考えるのは大好きだが、考えているうちに自分で見ている「自分」のあやふやさや都合の良さから抜け出るのは難しいだろうとわかった。だとしたら、自分で自分を解き明かそうとするのを少し諦める。
その代わりに、自分を忘れて自分を追求できるようにならないかと考えた。それが、書きながら考えることであり、思いつくままに書くことだ。適当にやっているように見えるが、「適当がいけない」とか、「いい文章を書かなくては」という無意識のうちに考えてしまっている自分の見せ方から抜け出るための方法である。
だから、この三週間のうちに書いていた文章は自分では納得してなくても投稿していた。
納得していなくても、そのうち納得できるだろうという確信みたいなものはあった。文章や、書いていくものをより長い目でみることができるようになったのだと思う。一つ一つの記事は言って仕舞えばどうでも良い。書き続けることが自分にとってどんな意味があるのか、その最終的な形が知りたい。
書きながら考える、というスタイルでは一つの記事の中で考え切れないのだろう。「自分」もそのうちの一つで、プロフィール記事一つで説明できるようなものではない。書き続けながら考えていきたい。
最後までお読みくださりありがとうございます。書くことについて書くこと、とても楽しいので毎日続けていきたいと思います!