見出し画像

30代。会社勤めに、制作もして、の気づき。

今のように、仕事以外で制作がある生活が定着する前、
作ることと一緒に生きていきたいという思いを、もう一度取り戻すという通過点があった。
才能や実力、制作を続けるための日ごとの糧を、すべて神様の意志にゆだねることにした。

平日の仕事と、仕事の時間の前後で制作をして、すきま時間で、運動したり、ご飯を食べたり、家事をしている。私が至らない部分は家族が支えてくれている。

それまでは、考え事をぐるぐる逡巡するうちに、興奮しすぎてエネルギーのやり場に困っていたが、
人や自分を傷つけかねない(たびたび傷つけてきた)情熱や知力のはみ出した部分は、ぜーんぶ制作の回路に横流ししているので、見た目穏やかなる生活である。

「静かに行くものは健やかに行く。健やかに行くものは遠くまで行く」戦法をとっている。(城山三郎が引用したイタリアの経済学者パレートの言葉らしい)

制作の区切りごとに、休日の半日何もしないとか、雑然とした考え事をまとめたりしている。
生活は、社会生活の裏番組であるはずの制作中心に動いている。

在宅勤務で、通勤より時間が確保しやすいとはいえ、
制作の中の資料集め以外でもインプットを続けたい。

制作することを実際の仕事にできたら、今制作に使っている朝とか夜の時間で、映画を見たりドラマを見たりするんだ!と夢見ている。

今は仕事の余暇で好きなことをしているけど
好きなことを仕事にするメリットは、
仕事としての「好きなこと」の余暇も、好きなことを深めるために使えるところにあるのかもしれない
とか、妄想中。

とはいえ、今の、生活が回っている感じの心地よさも、決して苦労せずに手に入れたものではない。やっぱりこれしきの安定感にも下積み時代がある。
会社にいて、関わった人たちが次の人生を切り開く背中を見ていられるのも、人生の豊かさの一つでなくて何であろう。

夢に賭けて昼の仕事を辞めて制作に没頭してみるとか、そういう時はまだ来てないとおもってるし、その刻を読み間違えないよう心を見張るのもいい緊張感がある。追い込まれた先に生み出すとかは自分のキャラではないと思うし、もうあえて苦しいことはしない。

「こういう苦しみがあるよね。」っていうのを分かりやすく説明するために何かを作りたいっていうより
作ることで元気になりたいし、願わくば人を元気にしたい。

私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください
Give us this day our daily bread.
マタイの福音書6:11


日ごとの糧とは、
生存を維持できる最低限のものっていう意味じゃなくて、私たちが、与えられた人生を喜んで、神様をたたえて生きるのに、それぞれにとって本当にちょうどいい量の恵みのことである。食べ物、衣服、住居、娯楽、知識、人、労働、感情、出来事、の全部のこと。

当然、神様は当人以上に、その人に必要なものを細部に渡ってご存知なのだけど、私達が日ごとに神様に祈りを捧げることを望まれるほどに、神様はわたしたちの顔を毎日でも見たいと思っておられる。

この記事が参加している募集

#最近の学び

181,718件

お読みいただきありがとうございました。サポートをいただけますと大変嬉しいです。でも、スキ・フォローいただけるだけで300メートル駆け抜けられるほど嬉しいです。これからもよろしくお願いします。