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15年描かないで、また描き始めるということ

制作の世界には「一日一作品」のカルチャーがある。メインで時間をかけて作っている作品の他に、一日30分前後の時間で一作品完成させるのである。かける時間や、作品媒体は人によって変化するだろう。

もちろん、「一日一作品」をしない作家だっているだろうが、この行為に一定の支持があることは明らかである。わたしなどは、工業デザインの高等専門学校1年生の現代芸術の授業で、そのような制作生活との向き合い方があることを、先生から教わった。完成した作品を、SNSで発信するという発想なんて、まだ受胎してもいない、世紀をまたいでまもなくの時代のことだった。

ともあれ、そのような価値観と、習慣が、人をクリエイティブにするのかもしれない。

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今年の9月のはじめから、私も改めて毎日1作品をイラストとして描くことにしている。

「あっち側の人になりたい」と思った日のこと

去年(2020年)の秋のことであった。旧友の作品発表を見る機会があって、作品自体も素晴らしく、その勢いに押し出されるように、自分の心が、「私もあっち側の人になりたいな。」とつぶやいた。ちっちゃいつぶやきだったけど、タイムラインに埋もれることはなかった。すでに30代半ばが見えていたのに、自分に対して手遅れと思うこともなかった。まもなく制作する生活を取り戻した。

最後に作ったのはいつか

「本気で心を注ぎ込んでやったぜ」と言える作品を作ったのは、15年前になるだろう。手を伸ばさなくても、「デッサン」の生活があったのも。

それ以降も、デザイナーしたり、タイポグラフィの勉強をしたり、衣装を造ったり、革のバッグの学校に入学して、2年くらい、バッグをデザインしてはミシンを踏んで…をしていたはずなのに、その時はその時で、未来のことを考えていたし、楽しいと感じていたのに、「これを造ったら評価されるかな?」「仕事になるかな?成功できるかな?」という気持ちのほうが強くて、「認めてくれるんだったら作り続けてもいいけど?」みたいな気持ちに、自家中毒をおこして続けることができなかった。

その間、15年かけて、かつて私を「作る人」にしていた画材の何やかやは、整理のたびに徐々に手放してもいた。線とか色で「心にうかぶよしなしことを描き表す」という行為こそが一番面倒くさくて、自分にはもうできないこと、他の人のものだと思っていた。

15年描かないとどうなるか

本題。美術教育を受けた人間が、15年、特に作り続けたいものもなく、デッサンから逃げ続け、しかしふたたび筆をとったときのこと。

⭐自分が手を動かすことについての知識がごっそり抜け落ちていた。
⭐知識と道連れに、嫌いだった自分の線の癖が全部抜けていた。
⭐癖の中に埋もれていた、これが自分の個性だ、とプライドを持っていたものも、消えるか、純化される一方ギュッと小さくなって、心のどこかで迷子になっている。まずはそれを見つけに行かないといけなかった。
⭐「なにか作ろう」と思い、色々試し始め、「これを作り続けよう」と思うものが見つかるまではほぼ半年かかった。その間、アナログの水彩や消しゴムはんこ、色鉛筆画、好きな絵の模写など、以前していたことで思いつくものにこつこつ手を出していた。最終的にマンガに落ち着いた。
⭐30代半ばになったせいかどうかはわからないが、「才能」「天才(鬼才とか・・・笑)」など、かつて心をかき乱した地雷ワードについて本当にどうでも良くなっていた。
⭐世の中には本当にいろんなタイプ・遍歴のアーティストがいる。「上手」になるか「下手」でいるかも、もはや自分で決められることを知った。
⭐「ライバル」に対する視点が変わった。学生のときにしていることはだいたい同じでも、30歳過ぎて周りをみると、それぞれ結ぶ実が全然違う。方向性が似ている人から上手にインスピレーションを受けられるようになった。
⭐年齢的に社会人歴が積み重なっており、人としての承認欲求と、作家としての道筋を分けて考えられるようになった。
⭐人生経験で引き出しが増えているので、かつて教わったことを別の角度から見つめることができ、知識が立体的になることで学び直す面白さが再燃した
⭐「絵を描くことが好き」かどうか、実は未だにわからない。この調子だと一生わからないと思う。絵自体よりも、絵を描くことで広がる世界(知識とか、交友関係とか)は大好きだと言える。そして、その世界で私が何を見て、感じたのかは、やはり自分の描く絵を通して理解していると思う。

「作り続けろ」と言われてきたことの、意味を知った

描くことはやめていたけど、友人・知人にはものづくりを生業としている人も多くて、たまに私が手遊びで造った作品・描いた絵を見てくれた年長者からは、

「描き続けたらいい。」と言われてきた。それは、ちょっとした会話の中の相槌くらいの短いコメントでありつつ、「あっち側の人になりたい人」に対しての、無責任さを超越した、それ以外言いようがない、具体的かつ究極のアドバイスだと思う。

「描き続けたらいい。描き続けるうちに、作品に飛躍があるから。それを楽しいと思える心を君は持っているんでしょ?作り続けていれば、いずれは世界が気がつく声を、君は確かに持っているから。でも、そこには作り続けることでしか行くことはできないからね。」

私の作家以外の才能を開花させてくれた(作家に回帰したいと思えるだけの安定と、経験をくれた)、今の職場と引き合わされた経験(普段は絶対出ない電話に、たまたま出たらオファーだった、みたいな話)からだけど、「偶然が生み出すチャンスと、それまでの長い…長過ぎる準備期間」みたいな話は、ウソじゃないと思う。

自分がどんな人で、どんなものを作っていても、ただただ好きで、やむにやまれぬ心で、制作に打ち込んでいるかぎりは、(コンテストとか出すには出すにしろ)そこにスポットライトが当たるって、めぐりあわせの為せる技だと思う。

「その時、その場所」にいて、とるべきアクションを起こすためにも、作り続けなければならないのだ。

さあ、明日も作ろう。

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