音楽家という仕事は

指揮者に飯森範親さんという方がいらっしゃいます。
先日演奏会にエキストラで出演した時お世話になったのですが、リハーサル初日から本番がおわった今まで、ずっと私の心をザワザワ、ドキドキ、キュンキュン(笑)させて止まない飯森さんの作り上げた時間と音楽を、なんとか言葉にしようと思います。少し長いですが、是非お読みください。

9/13にフィルハーモニック・ウィンズ大阪というプロの吹奏楽団にお世話になり、定期演奏会に参加いたしました。飯森さんは普段はプロのオーケストラでのご活躍が大半で、吹奏楽で飯森さんの棒を経験できるのはものすごくレアで、リハーサルが始まる前からとってもウキウキ(勿論緊張も)していました。

大学にいると、プロのオーケストラや吹奏楽団を指揮する指揮者の先生にご指導いただく機会が割りと多くあります。私自身も、例えば大友直人先生、下野竜也先生、秋山和慶先生の指揮を経験し、どなたであっても必ず音楽に対して厳しく、愛が溢れ、確信を持ち、尋常じゃない個性をもって、巨大なアンサンブルを一つの方向へと導いていきます。それぞれの先生方を語るとほんっっとうに長くなるので割愛しますが、とにかく誰であっても必ず本番が終わっても心をザワザワさせられ、向上心と幸せをくださいます。

で、飯森さんも勿論例外なく。(笑)
和声の仕組み、メロディの方向、音のニュアンス、ほっとんどすべての要素に一つの確信を伝えてくださり、やってみて(違うな…)となった部分は変えたりして、約50人いる団体をキュッと一つの方向へと導く姿。本当に指揮者ってかっこいい!!!

言ってしまえばここまでは今まで通りです。
本当に指揮者という仕事は私のような新人奏者にしてみればありえない仕事です。自分から出ていない音をコントロールするなんて…想像もつきません。だからいつも指揮者かっこいいなぁ…とおもうのです。

本番中、
最後の曲のクライマックス近い箇所で、だんだんテンポが遅くなる、音楽用語で所謂「rit.」というものがありました。これは言葉で書かれていたり、指揮者の指示だったり様々なのですが、何せだんだん遅くしながら周りと音を合わせるためには指揮者を必ず見なければなりません。勿論私も見ました。その時飯森さんは、笑っておられました。
「笑顔」というより、唇の右端を少しあげ、歯を食い縛り、なんというか、勝利を確信したときの漫画の主人公
のような顔でした…伝わっていますか(笑)

その時の顔がですね、忘れられないんですよね。
脳裏に焼き付いて離れません。あ、笑ってる!とその時はびっくりしましたが、本番終ってからとても羨ましくおもいました。

私はオーボエ奏者です。と、名乗る為には練習が必要です。楽器を行使する技術、音楽を表現するための技術、技術を裏付ける知識も、全てを磨いていきます。人生をかけて。それは、音楽家なのでしょうか。職人と大きく何が違うのでしょうか。

私の目には、飯森さんが音楽の喜びの中で息をしているように見えました。音楽が酸素のような。それでいて力強く泳ぎ進むべき水のような。音楽が飯森さんにまとわりついて離れようとしないし、その中に飛び込み、沈み込むことを自ら選んだ人間なんだなぁ、と、本番中他人事のように思っていました。

今までの指揮者の方々も勿論音楽の中に生きているはずですが、他の指揮者の方と大きく違うなと思ったのは、本当に推進力、本番中ですら感じる前向きな風かなぁと今回は特に思いました。

私は本番は大好きです。が、楽器をうまく行使できた喜びと、音楽の中で深呼吸できた喜びは、全然違うのに隣合わせの存在です。今までそれを少し勘違いしていたような気がしています。私はオーボエを扱うために音楽を使用していたのかも知れません。本来は逆なのです。
本気で音楽の海を泳いだ、音楽に風を送り込んだ人間の姿勢が生んだ音は、人生で初めて演奏を聴く人の心にも残り、広がっていくんでしょう。

楽器を扱えないと音楽は作りあげられませんが、楽器を扱うことを考えてるとき、音楽は風向きを失っていないかどうか。そこを飯森さんの指揮姿を見て、これからの課題の一つだなと思い、本番を終えました。

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