僕らの身体はスケートボード

こんばんは、今日1日も良いお天気で気持ちの良い日差しが降り注いでいましたね。
太陽の光には身体を浄化し、波動を調節する作用が働きます、タップリ日差しを浴びて整えましょう。

いつも通りスケーティングしている最中、ふと足元に目を配りました。
真っ直ぐに伸びたデッキが、広がるコンクリートの上をスーッと滑っていき、前へ前へ進みます。
なんてことはないプッシュ、そしてまたプッシュ。
私はその様子に何とも言えない感銘を受けました。
無限に広がる世界の中で一直線に進むこのデッキ、
時には左へ右へ。時には上へ飛んだり回ったり。
だけど基本は真っ直ぐ、真っ直ぐに進むんです。
ブレない軸とプッシュが不可欠っす。

スケートボードは自動車や自転車、それらの乗り物との違いが明白。
至ってシンプルな構造で、身体は剥き出し。
自動運転や補助輪など無く、危険と隣り合わせ。
初めは乗ることすらままならず、怖い。
危険に賭けてぶつかって傷つくかもしれない、時には骨折り損に終わったように感じるかもしれない。
だけど惹かれる。そこに深い理由は無い。
難しいからこそやりがいがあるし、危険と隣り合わせだからこそ張合いがある最高のゲームだと思う。
コントローラーやスマホでのゲームとは訳が違う。
別にそういったゲームを否定する訳では無いし、私自身TVゲームも好きです。
だけど、未知を恐れる自分自身と向き合って全力で闘いながら遊ぶこのゲームが、今は楽しい。
傷付きながらも思うがままに滑ることが、プロセスへと繋がっていて、常に信じる方へと滑ることが可能になっていきます。
別に、派手でトリッキーな事をしなくていい。
一瞬一瞬毎に、今までの自分を超える目標を持つ。
だけど超えなくたっていい、超えるために頑張るその姿が汗が、何よりも美しく光る。

僕らの身体はスケートボード。
常に乗っかってきた意識や思考を元に動き続ける。
それがなんであっても誰であっても。
日々の暮らしの中で刷り込まれた意識や思考を元に言動を決めたり、自分にブレーキをかける。
本当はどんなトリックもメイクできるはずなのに。
世間がそれを許さない?
いや、自分がそれを許さないと決めている。
誰かに任せるな、誰かに乗らせるな。
じゃあ自分自身を元に、でも自分自身ってなんだ?
現し身(うつしみ)としての自分自身は、常に相対的視点から得る事象。
伊藤さんがいて、田口さんがいて、私がいる。
本当の自分自身を見つめたいなら、目で見ることは叶わない、それはずっと内側の方から湧いてくる。
それは深い意識の存在、色んな僕である。僕らだ。

スケートボードは常に新鮮な視点を与えます。
慣れた道でさえ、新たな知見を得る事が可能です。
「この道の具合はどうだろうか?」
「ここでこうしたら面白そうだな」などなど
色々な角度で物事を捉え、凝り固まった概念を解きほぐし、新たな答えを作り出す訓練になります。


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