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鉛筆ならではの魅力を次世代へ -ヒトとモノのはなし 2人目ー

北星鉛筆は、東京都葛飾区の下町にある。

工場からは鉛筆のおがくずの香りがただよう。工場の周囲にあるのは、短くなった鉛筆を供養するための鉛筆神社に、鉛筆の歴史や秘密を知ることができる東京ペンシルラボ。ひんぱんに工場見学も実施している。乾燥させると木になるおがくずでできた粘土を「もくねんさん」と名づけ、「もくねんさん美術館」というWebサイトでは作品が並べられている。葛飾区の観光スポットのような場所だ。

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工場の前で鉛筆柄に彩られた自動販売機や「もくねんさん」でできた案内板を見つけた。かわいいなと思って見ていると、杉谷社長が出迎えてくれた。


家業としての鉛筆作り

北星鉛筆は昭和26年に設立された。

しかし、杉谷家と鉛筆との歴史は、明治20年にまでさかのぼる。三重県から北海道に移り住んだ杉谷社長の祖先は、木材の豊富さに圧倒された。鉛筆を使う人たちが増え始めた時代だったため、祖先は鉛筆専門の木材メーカーを北海道で設立。

やがて時を経て、杉谷家にとって大きな転機となる出来事が訪れた。関東大震災だ。

震災で廃業した企業は多い。その中に、東京都の月星鉛筆があった。鉛筆の可能性を信じた杉谷家は、月星鉛筆を買い取る。昭和25年に上京、翌年、「北星鉛筆」と社名を改めた。それ以来、鉛筆は杉谷家の家業だ。北星鉛筆の「北」の字も、北海道の「北」の字に由来している。

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杉谷社長は、子どもの頃から北星鉛筆の工場によく遊びに来ていた。

「鉛筆は我が身を削り、真ん中に一本芯の通った人間を形成する。家業として続けなさい」当時よく工場内で耳にした、創業者から受け継がれた言葉だ。「跡を継げ」と強制するようなことは、だれ一人として言わなかったが、「自分は大人になったら鉛筆屋で働くのだろうな」と漠然と思っていた。

父は家に帰ると、鉛筆作りの楽しさをいつも家族に話していたので、抵抗感はまったくなかったという。

「ただ、心から鉛筆に愛着を持ち、日本の未来に鉛筆を残し続けたいと思ったのは働くようになってからです」
そう語る杉谷社長から、笑顔がこぼれる。
鉛筆は東京の地場産業であり、たくさんの鉛筆屋や下請け会社がある。社員になってから、鉛筆を愛する人々と会話する機会ができた。

「鉛筆の歴史や、鉛筆作りに携わっている人々の鉛筆にかける熱い想いを知っていくにつれて、鉛筆の魅力に私自身も魅せられました。簡単に書けて簡単に削れる鉛筆。インクの文字はやがて消えていくけど、鉛筆の文字は決して消えないのです。鉛筆でしか味わえない感覚を大事にしたいと思うようになりました」

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新しい時代に対応するための試みを開始


時代は変化する。鉛筆の使用率が急激に下降していったのが、4代目社長、杉谷和俊氏の頃だった。

現在の杉谷龍一社長の父親でもある4代目社長は「鉛筆で何ができるか」を考え、さまざまな新しいアイデアを生み出した。鉛筆神社や工場見学を始め、新しい時代に対応できる「大人の鉛筆」を発売したのだ。

「大人の鉛筆」は現在のシャープペンシルの構造を持ちながらも、鉛筆と同じ木材を使用しているため木の温もりも感じられる。デザインにこだわり、書き続けても疲れない工夫を凝らした。名付けたのは当時専務だった現在の杉谷社長だ。

「鉛筆ならではのアナログな面も残しました。芯は黒鉛と粘土を均一に混ぜ合わせて、大人の手に合うように鉛筆より1ミリ太くしました。芯が丸くなったら削ります。普通の鉛筆を削るための鉛筆削りもありますよ」

杉谷社長がそう言って取り出したのは、透明な『日本式 鉛筆削り634』だ。

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「鉛筆にやさしく、しっかりと鉛筆の性能を引き出してくれる鉛筆削りが欲しいと思い、父と話し合いながら開発しました。鉛筆を二段階で削ることにより、削る力を半減させ、上下左右のブレも最小限になるようにしています。『日本式』と名付けたのは、日本で作られたものを日本に還元したいという私たちの想いからです」

新しいことにチャレンジし続けた4代目社長。今年、5代目として父親の跡を継いだ杉谷社長は、再び鉛筆に目を向けて、今までにない新しい鉛筆ができないか考えている。
「まだ発表はできないのですが」と前置きをしたうえで、時代に合わせた商品も企画していると教えてくれた。


幸せは循環するもの

鉛筆の誕生は、1560年代のイギリスだった。しかし、杉谷社長は日本にしかない鉛筆の良さがあると語る。外国とは木材も違えば、芯も違う。現代の感覚も取り入れつつ、日本製の鉛筆の魅力を伝え続けることは実現可能だ。

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「鉛筆を通して、日本をもっと豊かにしていきたい。大阪の刃物の削り器メーカーや、九州や四国の木材業者とも連携をとり、協力してもらっています。周囲の協力や熱い仕事への想いも、北星鉛筆の鉛筆には込められています」

鉛筆は、実はタッチパネルにも使えるという。芯だけで書けるし、人間の貫き通す力を体現している存在でもある。

「北星鉛筆では、おがくずリサイクルもしていて、産業廃棄物を減らすことに尽力しています。そこで出た利益は鉛筆作りに還元しています」

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本来は捨てるしかなかったおがくず。それを有効活用することにより、お客様を喜ばせ、いずれ利益として鉛筆に戻る。

「鉛筆と関わりながら、商品で他人を幸せにすると、その幸せが自分にも返ってくるのだということを実感しています。ぱっと見たときに、芯が見えて、書けるとわかるのは鉛筆だけ。何百年経っても使えるのも鉛筆だけ。ボールペンやシャープペンシルにはない価値があり、最終的に残るのは鉛筆だと思っています」


生活の中にある仕事のやりがい

鉛筆作りを通し、杉谷社長には見えてきたものがある。「仕事のやりがい」という言葉の、真の意味だ。生活の中で自分にやれることは何か。仕事のやりがいや生きがいも、その問いが土台になっている。

「私は、すべてのことに興味があるんです。例えば、子ども向きの場所に行っても楽しめてしまう。好奇心旺盛なのは自分の長所だと思っています」

取材終了後、杉谷社長自ら工場を案内してくれた。稼働中の生産設備を見ながら質問すると、杉谷社長は目を輝かせて答えてくれる。

杉谷社長のまなざしは、誰に対しても分け隔てをしない。鉛筆の木材の温かみ。それは、北星鉛筆の家業を継いできた人たちの人柄でもあるのだ。

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北星鉛筆:公式サイト

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