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幸福はお金が9割:その1

「幸福」とはなんだろうか?

一つの回答として「自由である」ということがいえよう。人間は、自由であるほど幸せでいられる。これに異論のある人は、あまりいないのではないだろうか。

ところが、現代においてもなお、自由というのはなかなか得にくい。取り分け、日本では得にくい。理由は、日本人特有の「人間関係観」にある。特に「家族観」にある。

実は、日本でもアメリカでも「家族が大切」というのは一般的な価値観だが、その内実は少なからず異なっている。日本では、「家族が大切」というとき、そこで指し示されるのは主に「親」なのだが、アメリカではこれが「配偶者」や「子供」になる。

理由は簡単で、アメリカでは、「親」ということは選べないが、「パートナー」や「子供」は自分で選択できる、という考え方がある。つまり、自由なのだ。そのため、アメリカでは「親」という人間関係は不自由なものだとして、あまり尊重されない。単に血がつながっているからというだけで無条件に尊重されることはまずない。

ところが、日本ではその逆に、親というのは血がつながっているというだけで無条件に尊重される「べき」ものとして考えられている。そうして「家族が大切」という日本人のほとんどは、たいていそこで「親」を、特に深く考えることもなく想定している。

その意味で、多くの日本人は親、もしくは日本の家族観にがんじがらめに縛られている。日本人で「家族が大切」という人がしばしば不幸になるのは、そうした不自由さを根底に抱えているからなのだ。

ところで、そういうふうに我々を縛り、自由を損なわせるものは「親」以外にもある。そのうち最も大きなのが「お金」だ。日本人の多くが今、お金に縛られている。

ただ、「親」という価値観を否定できる人はあまりいないが、「お金」という価値観を否定できる人はけっして少なくない。その意味で、多くの人が一見「お金には縛られていない」ように見える。

しかしながら、それは事実ではない。というのも、「お金」のことを否定できる人というのも、実はお金に縛られているケースがほとんどだからだ。それは、小学生が自分の初恋に気づかないまま好きになった人をかえって遠ざけてしまうのにも似ていて、お金に縛られている人は、逆にそれを毛嫌いするようになってしまうのである。

その意味で、「お金に縛られる人」というのは、必ずしもそれがないからというわけではない。お金があっても、縛られている人はとても多いだろう。

ただ、そうはいってもやはりお金があるに越したことはない。統計的に見れば、お金がない人よりもある人の方が、お金に縛られず、そこから自由であるというのは確かなことだ。

そう考えると、お金から自由になるためには、実はお金を得るために、お金のことを考えるのが一番いいのである。これは一見矛盾したようにも見えるが、人というのは知れば知るほど、考えれば考えるほど、その対象から自由になれるということがある。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」で、人は知らないものの方に縛られやすいのだ。

だから、お金のことを考えれば考えるほど、お金に縛られずにそこから自由になれるということができる。これは親に縛られる人も一緒で、彼らはたいてい「親とは何か」などと考えたりはしない。ただ固定観念に無抵抗に縛られているから不自由なのだ。

そのため、お金に縛られないためにはお金のことをもっと考え、それを得るということが必要になる。それこそが、幸せになるための最短距離なのだ。その意味で、「幸福の9割はお金」ということは、一つの答えとなるのである。

そこでここでは、「どうすればお金が得られるか」ということについて、とことん考えてみたい。そうすれば、お金の呪縛から脱却し、幸せに近づけるだろう。

※この記事は、連載形式で毎週月曜日に配信していく予定です。

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