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「こいつはダメだ」と思うことの効用

誰かを「こいつはダメだ」と思うことは、批判の対象にされやすい。「人を悪く言っていると他人からは浅ましく写るし、それよりも自分を磨いた方がいい」と。しかしぼくは、幼い頃からずっとこれをしている。気に食わないやつを見つけると「こいつはダメだ」と規定している。それで人生がまあまあうまくいっているのだから、やっぱり誰かを「こいつはダメだ」と思うことは、生きる術として有効なのではないかと思っている。

誰かを「こいつはダメだ」と思うことの良いところは、ダメだと思うやつはたいてい何をやってもダメなので、ダメだと思ったこと以外の「これをやってもダメ!」というのを教えてくれることだ。

例えば、ぼくがお笑い養成所の講師をしていたとき、一人とてつもなくダメな生徒がいた。彼は、お笑い芸人としてなかなか芽が出なかったとき、何を思ったか突然アルバイト先で恋愛に走り、お笑いが手につかなくなった。それは、彼自身は本気で恋愛していると思っているようだったが、ぼくからしたらお笑いとして売れない自分を直視できず、恋愛に走っただけと見えた。だから、上手くいかないような恋愛をあえてしていた。そして、それについて悩むことで、首尾良く芸人として売れないことから目をそらしていたのである。

そういう彼の行動を見て、それまでも薄々懐疑的な眼差しを向けていたが、いよいよ「恋愛」というものにはあまり価値がないと思うようになった。恋愛は、たとえていうなら「エアコンダクトのパテ」のようなものなのだ。

エアコンを取り付けるときに、最後にダクトを通した穴から空気が漏れないように隙間をパテで塞ぐのだが、恋愛もこれと一緒である。人間の心の隙間から空気が漏れるようになったとき、それを埋めるものとして機能するのである。

だから、不必要とはいわないまでも、本質的に価値があるものではない。もっとだいじなことはいくらでもある。そういうことを、ダメな彼は自身の行動によって教えてくれたのだった。だから「こいつはダメだ」と思うことは、ぼく自身の気づきや成長に結びついているのだ。

ところで、なぜこんなことを書いているかというと、最近強烈に「こいつはダメだ」と思う人を見つけたからだ。それはこの記事を書いた人である。

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