学習サポート

「学習をサポートする」ということ。

昨日、児童館で
中学生の学習会があった。

大学生を中心とするサポーターのみんなに
運営をまかせたら、
あれよあれよという間に輪をつくって
参加者の中学生と座談会をはじめた。

中学生たちはみんな
急な変化に戸惑っていたし、
気まずい沈黙も流れた。

僕も内心ドキドキだった。

でも、
司会役の女の子の奮闘もあって、
彼らはぽつぽつと
気持ちを話しはじめた。

会の終わり頃に

「どうしてここに来ているの?」

と聞かれると

「なんとなく」
「どうでもいい」
「親に行かないと怒られる」

と答えが返ってきた。

予想はしていたけれど、
その言い方は心の底から
うんざりしていて、
それは勉強だけでなく
生きることそのものにも
向けられているように感じた。

特に

「こんなところ来たくない...」

と言った女の子の声の痛々しさと
キッと睨みつけるような表情は
忘れられない。

この子は、いつも学習会で
黙々と宿題に取り組んでいて
僕たちは
「がんばり屋さんだ」
と思っていた子だった。

そんなことがあった翌日の今日、
この動画を観た。

「脳を休めないと。
 ずっと酷使すると学べなくなる」

「数学教師の一番の願いが
 生徒が卒業後に幸せに生きること?」
「ああ」

僕たちの開いている学習会には
「学習サポート」
という事業名がついている。

学習をサポートする、というのは、
学習に向かう姿勢を
サポートすることなのだと
昨日、今日で思った。

そして、
そのサポートのしかたを誤ると
これほどひどく学ぶこと、
ひいては生きることへの気力が
損なわれるという景色を見た。

僕が見たのは、たった数人だ。
学校に通うすべての子供が
そうではないかもしれない。

でも、あの痛々しさは
昨日いたあの子たちだけの
声なのだろうか?

「子供たちはいつ遊んで
 友達と交流し
 人として成長できるの?

 学校の外にも
 人生は山ほどある」

僕がいる場所は児童館。
「学校の外にある
 山ほどある人生」
の場所だ。

たまたま出会った職場だけど
ここでできることがあると思った。
ここにいられてよかったと思った。

そして、受験に向けて
死ぬほど勉強したガリ勉の僕が
どうしてここで
学習に携わっているのかも
わかったような気がした。

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