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言葉は誰かとの間に生まれる。

今日は一日(市役所やコンビニの手続きを除いて)誰とも会うことなく過ごした。

そういう日は、ここに書くことが思いつきづらいと気づいた。
頭のなかになんにもないのが分かる。

それで思ったのだけれど、言葉というのは、誰かと会うことで生まれているのかもしれない。

会って話すことで起こるうねりのようなものが、言葉の原資になる。発話されたことのほかに言い足りなかった言葉が山と溜まる。そういうものが、書くときに棚卸されるのかもしれない。

(逆に市役所やコンビニで会う人たちは応答が定型すぎて、そのうねりが起こらないのかもしれない。)

たった一人で書いているときにも一人きりではなく、そこに誰かがいる。顔の見える人のこともあれば、誰かわからないときもあるが、とにかく誰かに向けて書いている感じがする。誰かが読んでいる気配がする。

「書くことねぇな」と思って寝転びながら書きはじめたこの文章が、いま、ある方向にまとまってきている。誰かはわからないが、誰かに話しかけるようにしていたら、なかったはずの書くことがこうして現れている。

それにしても、誰なのだろう?
呼びかけてみても返事はないし。

そうこうしているうちに中二階のキッチンで奥さんが晩ごはんの支度を終える。それを食べ終えて、パソコンで読み直して、文章を整えて公開する。

誰かが誰なのかは、わからないままだ。

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