_教えない_家庭教師

“教えない”家庭教師は、ただの人なのか。

児童館で中学生と高校生の「学習サポート」というかたちで勉強をみていて、ふと“教えない”家庭教師というのをやってはどうかと思いついた。

“教えない”家庭教師は、いきなり勉強を教えたりはしない。
それよりも子どもたちがどんなことに興味を持っているのかを聞いたり、愚痴を聞いたり、時には遊んだりして「いっしょにいる」ことを大事にする。

そうして勉強する前の姿勢がととのって、その子にとっての興味や進路と「勉強」が重なったら、いざ!と全力で教えることにする。
(まあ、そのときには塾に行ったっていいんだろうけど)

どうしてこんなすっとんきょうなことを考えたかというと、「勉強する」以前のところで、自分を見失っている子どもが多いと思ったからだ。

なにが君のしあわせ
なにをしてよろこぶ
わからないまま終わる
そんなのはいやだ!

という歌詞が『アンパンマンのマーチ』にあるけれど、学校の勉強が合わない子たちがしぶしぶ勉強をしている姿は「なにが君のしあわせ」を見失っているように見える。

だれだって興味のないことをやらされるのはいやだし、点数で他の子と比較されるのもいやだし、やる意味がわからないのもいやだと思う。

でも、みんながやっているから仕方ないし、親もやれと言うし、それよりも「なにをしてよろこぶ」の話がしたいけれど、だれにも聞いてもらえない。

大げさかもしれないけれど、学校の勉強が合わない子たちが児童館で宿題をしている姿を見ていると、そんな声が聞こえてくる気がして胸が痛む。

ついでにいうと、ぼくは成人してから「なにが君のしあわせ」がわからない大人にたくさん会った。ぼく自身もそうだった。

それは勉強ができないことなんかよりずっとつらいことで、ぼくも含めてそれを取り戻すのにいまだに必死になっている。

だからこそ、いろんな教育現場の人たちががんばっているのは、なんとなくわかるのだけれど、それでも「なにが君のしあわせ」が置いてけぼりになるのはなんだかなあと思ってしまうのだ。

というわけで、長くなったけれど、こんな案内文を書いた。

*  * *

ぼくは普段、児童館で中学生と高校生の学習サポートという仕事をしています。

そこで気づくことは、勉強を「させられる」ことが子どもたちの元気をずいぶんと損なっていることです。

なぜしなければならないか。
その意味が分からないまま、中間、期末、中間、期末、とテストに追い立てられ、順位をつけられて比較される。

そんなふうにしたら、大人だって元気がなくなります。

けれど、勉強や学びは「自分のために」しているときには喜びを生みます。

ずっと分からなかったことがわかったり、知りたいことについて考えたりしているときにかかる知的な負荷は、けっこう快感です。

「勉強」という時間の中で、できるだけその快感を感じられるようにしてあげたい。

という思いから、あえて “教えない” 家庭教師という名前をつけました。

この時間では、お子さんの興味があることや悩みについて話を聞いたり、いっしょに遊んでみたり、「やりたくない」という気持ちに寄り添ったりと勉強する前の「姿勢」を大事にしていきます。

回によっては、教科書やノートを一度も開かないこともあるかもしれませんが、いま、お子さんが欲しているものが勉強ではなく、話を聞いてもらうことならば、それも意味をもつと考えています。

そんなかたちでの運営なので、一回一回なにが起こるのかは未知ですが、もちろん「テストの点を上げたい」「この内容がわかるようになりたい」というときには、いっしょに「わかる」「できる」喜びまで伴走できたらと思っています。

このレッスンは、ご自宅で実施します。
お父さん、お母さんのお話を伺うこともとても楽しみにしています。

お子さんがしたいことをし、本来備えている「学ぶ喜び」が自然に立ち上がってくるような、そんなお手伝いができたらと思っています。

■ プロフィール ■

愛知県立旭丘高校、一橋大学と進学。卒業後、某“夢と魔法の”テーマパーク運営会社にて9年勤務し、その後、NPOの世界へ。

現在は、児童館で子どもたちと遊んだり、学びをサポートしたりする傍ら、自営業として歌のワークショップを開催している。

* * *

「お父さん、お母さんのお話を伺うこともとても楽しみにしています」と書いたけれど、これは本当にそうで、いっしょに「なにが君のしあわせ」について話したり、悩んだりできたらなあと思っている。

家庭ができることってすごく多いし、極端にいえば、親御さんが “教えない”家庭教師になってくれたらいいなとも思っている(そうしたら、ぼくの仕事がなくなるのでらくだ)。

あとよく考えたら、ぼくはもう40代で、いまのお父さん、お母さんって同世代かすこし下だったりするから、話も合いそうだし、悩みのかたちにも共感できそうな気もして。

という感じで考えを進めてきて「なかなかいいじゃないか」と思ったのだけれど、ここまで来て、ちょっと困った。

どうやって、そのご家庭に入ったらいいかがわからない。
知らないひとから見たら「なぞの40代男性」だもんなあ。

というわけで、以下の仲間を募りたいと思います。

① “教えない”家庭教師を試してもらえるご家庭
② この活動についていっしょに考えてくれる仲間

正規料金はだいたい一回あたり、3千円〜5千円(+交通費)くらいを考えているのだけれど、このへんも相談させてください。

というわけで、仲間になってくれる方、声をかけてください。
ぼく自身は市民活動的にゴリゴリ世直ししたいタイプではなく「らくに、たのしく、ユーモラスに」続くといいなと思っています。

記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)