イチローーーーーーー!!!
僕は一度だけ、イチローの試合を観たことがある。
アメリカでだ。
いま調べたら、2004年8月1日。いまから15年も前で、僕は26歳。
当時、僕は会社の仕事で三ヶ月間、ロサンゼルスに赴任していた。
仕事はぜんぜんうまくいかず、周りのスタッフの人たちともうまくコミュニケーションができず(英語だったし)、大きな部屋に住ませてもらっていたけれど、隅っこにうずくまってニンテンドーDSをやっているような日々だった。
でも、その日、「アナハイムでのエンゼルス戦にマリナーズが来る」と聞いて、苦手な車を飛ばしていった。アメリカのハイウェイは超高速で、めちゃめちゃ怖かった。
睨みつけているようだが「死ぬかと思った……」の顔である。アナハイムのスタジアムに入ると、まだ試合前の練習中で、人はまばらだった。
きょろきょろ見まわすと、いた。
「イチローーーーーーー!!!」
と叫びたかったが、内気な日本人なので心の中でだけ。
イチローは、美しかった。
本人も意識していたというけれど、キャッチボールをしていても、守備についても、もちろんバッティングのときにも、一つ一つの所作が美しい。記録のみならず、観ていて惚れ惚れする選手だった。
昨日は、夜になってからだろうか、「一線を引く意向」という見出しがネットに出て「ああ……」と思った。
キャンプ、そして、日本に来てからもヒットが出ていないことは知っていたし、さすがにもう、とは思っていたけれど、やっぱり消沈するものはある。
この二日間が最後になるかもしれないという予感があったから「行っておけばよかったかな」という気持ちもよぎった。でも、心のどこかで「イチローは打つ。そしてそのままいつものようにシーズンを迎えて大暴れしてくれるさ」と思っていた。
ずっとそういう人だったから。
深夜零時をまわった頃にまだ会見をしているというので、ライブ中継を観た。
泣いているようにも、怒っているようにも見えた。
もう一時間以上質疑に応じていて、時々、鬱陶しそうに質問者をばっさり斬り捨てる場面もあった。
険しい。険しいなあ。
ここでもイチローは闘っているのだと思った。
人としての気持ちよりも、最後まで「イチロー」をやり通そうとしたのかもしれない。それがあの鬼の形相になったのかもしれない。
予想はしていたことだったけれど、意外なほど喪失感がある。
人はいつか死ぬし、スポーツ選手はいつか引退する。
でも、その日はずっと先だと思っていたことに、その日になって気づく。
「後悔などあろうはずがない」とイチローは言った。
もっとできたのではないかとも思わない。
でも、そういうことを抜きにして、イチロー選手が引退するのは惜しい。惜しいなあと思う。
だから内気な日本人は、今日もまた心の中でだけ叫ぶ。
「イチローーーーーーー!!!」
なんかね、こういうのってどういう気持ちっていうんですかね。
言葉にならない。
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