連鎖を断つ人。
昨日、この記事を読んで、今日も読んでいる。
以前なら「重たいな」と思って、途中で読むのをやめていた記事だと思う。
でも、いまは他人事とは思えない。
児童館に、そして身のまわりに、そういう子どもや元子どもたちがいるからだ。はじめて聞いたときには信じられなかったが、そういう現実がある。
と、そこまで書いて、しばらくそれ以上なにも書けずにいた。
なにを書いても、この記事に付け加えるには薄っぺらく思えた。
まことに残念ながら、「この人の母親がおかしいだけ」でこの問題はおわりにできない。
たまたま弱い立場になり、生活が大変で、心にすこし隙のある人間は、簡単に私の母のようになる。つまり、すべての人がそうなりうる。
一線をこえるその前に、親を救済できる仕組みが、世の中にないこと自体が問題の根だ。
この記事には、いま、4310件の「スキ」がついている。
瀧波さんの記事はどれも素晴らしいけれど、この数は群を抜いている。
この出来事は、瀧波さんや僕の身のまわりだけで起きていることではないのだ。
そして、この記事の優れたところは「こんなふうに辛かった」という話だけでなく、希望を書き添えていることだ。
親自身のバランスが崩れるほど、子供のために犠牲を払う必要はない。
追い込まれずに育児をしていく人が増えてほしい。
もしあなたがいま、余裕がなくて、子供がかわいく思えないなら、あなたには助けが必要だ。休憩も、改革も、どっちも必要かもしれない。
つらくて逃げ場がないなら、心から気の毒に思う。
しかし、それを一緒に考えてくれる場所や解決する機関を探すのは、大人たちの責任だ。
記事の中で、瀧波さんは自らの境遇をひと通り語った後、加害者である母親の理解を試みる。
そしていま、彼女は「当時の母を癒せる場所」をつくろうとしているように僕には見える。
「知って欲しい。まだ子供なのに、子供であることを母親に歓迎されなかった私が、どんな思いであの家ですごしていたか。」
「自分の家庭をもったいまでも、私は2人目の子供を産むことが恐ろしい。もし男の子だったら? 下の子かわいさに、娘にこの武器を振り下ろす日がきてしまったら?」
「9歳の初夏、むごたらしく終わってしまった子供時代が、消えてしまった少女の私が、大人になってもなくならない。あの日の痛みが癒されない。」
そう言っている人が、である。
母親が一線を越えたときのことを、瀧波さんはこう表現している。
「毒そのものになった母」
「親が『負けてしまった瞬間』」
母は毒に負けてしまった。そう書いている。
母はひどい人だったとは書いていない。
しかしもう、恨んでもいない。
数々の思い出とともに、過ぎ去った過去のひとつにすぎない。
「そういうこと」があったというだけのことだ。
なんという強さだろう。
「凶悪な武器で我が子を殴らないようにする努力を、親だけで担うことが難しいときに、駆けこめる場所が必要なのだ。誰のためにも。」
場違いなことかもしれないが、その「駆けこめる場所」には、けっこう愉快な人たちがいるような気がした。
なんとなく、同僚や仲間たちの顔を思い浮かべたのだ。
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