ハンサムと僕

ハンサムと僕。

高校の時、僕の出席番号は10番だった。
一つ前、9番の同級生は、身長が180cm以上あって、サッカーがうまくて、おまけにすさまじいハンサムだった。

すさまじいハンサムというのは、巷で見かける「ちょっとイケメン」とか「見ようによってはイケメン」とは次元が違う。「お前、なんでここにいるの?」と言いたくなる感じの、明らかにまわりとは異質な、美術品のようなハンサムっぷりだった。

始業式や終業式で前後に並ぶとき「神はなんと不公平なことをするのか」と思ったものだ。天はあいつに何物与えたら気が済むんだろう、と。おまけにそいつはいいヤツだったから、やっかむ気にもなれなかった。

そして、9番の彼は一浪して東大に入った。
いまはどうしているか知らないが、彼ほど完全無欠な人にその後出会っていない。

で、僕はといえば、彼ほど何物も与えられているわけではない。
とはいえ、これでやっていくしかないと思って生きてきた。

高校、大学、社会人とはじめの頃は、似たような境遇の人たちがいるところにいた。でも30代をこえて、そのときには目に入らなかった人たち、福祉がかかわる境遇の人たちといることが増えてきた。

彼らの環境は、過酷だった。
天は彼らから何物か奪っていったのではないかと思えるくらいに。

そのほとんどは、最初に育つ共同体である家族になんらかの不具合があった。もちろん完璧な家族なんてないのだと思う。人の集まりは、大なり小なりバランスを欠くものだから。

それでも僕がかかわる人たちのそれは、極端だった。しかも児童館で会う子どもたちは、その軋轢を小さなからだで受け止めなければならなかった。

もし9番の彼のギフトを多少なりとも子供たちに与えたならば、どれほど生きやすくなることだろう。

会社員の頃、ロジカルシンキングを学ぶセミナーに行って、コンサルタントの先生がした話が思い出される。

「僕の会っている富裕層のところでは、複利で殖えすぎた資金の使い道がなくなり、お金が余って困っているらしい」

僕は富裕層に会うことがないので、本当かどうかは知らない。けれど、その後も似たような話をたびたび耳にした。

もし余っているのなら、こっちにあげたらいいじゃないか、と短絡的に思ったりもする。でも、いくらか人生を経験してくるとその受け渡しには「受け取る側が受け取れること」という条件も必要で、そう簡単にはいかないことが分かってくる。

人はあまりに大きなチャンスが訪れると、それまでの環境から変化することを嫌って、受け取らないことがあるのだ。それもしばしば。

そのようにして、天から与えられたものは偏って配分されていくように見える。人はそれぞれの環境に文句を言ったり、感謝したりしながら、その設定を生きていく。それが日常というものだ。

だからこそ、昨日の『fighter(s)』で書いたように、それぞれの環境における勝利は小さなものではない。そう思いたい。

あんまり救いのない記事になってしまったかもしれないけれど、「いまはその設定を生きるしかない」人たちの奮闘を肯定したい気持ちでいる。

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