咆哮

男が「男になる」とき。

「カッコいい」

と男の人に対して思うことは、そんなにない。
なんたって僕は女子が好きだしね。

でも、この日は違った。

11月24日(土曜日)、初開催の『魂と繋がる歌の唄い方®︎』〜男が「男になる」とき

参加者は二名。この情けない結果を謝り、また、満員にこだわりすぎて女性も入れようとした愚行を謝るところから場ははじまった。

これに限らず、この日はお互いの話を本当によくした。ここには書けないようなことをいっぱい話した。文字通りさらけ出したし、裸になった(あ、服は着ていた)。

僕も持てる限りのことを、最新の感動を、『魂うた』から教わったことを時に感極まって泣いたりしながら語らせてもらった。

そんなふうに最初からこってりと話し、お互いを分かち合った。そして、体とつながり、ほぐして、調律をして、歌いはじめる。

奥田民生の『イージューライダー』では、恋する人の前でうまくやれない男が現れた。まったくもって僕と同じだ。

大好きな人がいる。
なにかしてあげたい。
笑わせてみたい。

「軽く笑えるユーモアを」

軽快な曲だが、その願いは切実だった。
切実であるがゆえに体は動かない。
なにを話したらいいかわからない。

あのね うんとね うまくは言えないけど
あのね うんとね なんとなくわかるだろ
あのね うんとね いつまでかかるんだろ
言葉にできない 僕の I LOVE YOU
(KAN『言えずの I LOVE YOU』より)

これはこの日に歌われた曲ではないけれど、まさにそんな感じだった。

そして、驚くべきことにそうして「あのね うんとね」と躊躇い、固まる姿こそが彼の想いの純粋さ、強さ、誠実さを最もよく表していた。

なにもできていないところこそが、最も自分であり、懸命であり、カッコいい。無理になにかをしようとすると、体は後ずさりした。

僕自身、女性に対して「うまいこと言って」近づこうとするところがある。
それは、まったくもって違うんだなあと学ばせてもらった。もっと早く知りたかった。

日が暮れて、十六月が出始める頃、エレファントカシマシの『今宵の月のように』が響く。

俺もまた輝くだろう 今宵の月のように

に命をこめてもらうため、思いっきり「くだらねえとつぶやいて」「吐き捨てて」もらった。「寝転んで」もらってもよかったかも。

男は叫んだ。雄叫びだった。拳をふるい、脚を蹴り上げ、見えないなにかと戦っていた。はじめはぎこちなかった動きがやっているうちに、だんだんと戦う男の姿へと変貌していった。

最後の「イーイー」という言葉のない叫びは、聴いていた僕たちを仰天させた。部屋中が振動しているかのような大声が響き渡っていたからだ。

彼は「声が小さい」と自称する男だった。嘘みたいだった。

その「イーイー」を聴きながら、歌は言葉の前にこの叫びがあるんだなあと感じた。言葉になる前のそこにこそ、大事なものが込められているのかもしれない。

彼の気魄を受けてもう一人の男が歌ったのは『もののけ姫』。

はりつめた弓の ふるえる弦よ

「もののけ」とも思える存在に対峙する、彼の顔はアシタカだった。

「悲しみと怒りにひそむまことの心」

彼は咆哮し、歌った。獣のように、人のように。
それを知るのは森の精だけだというが、僕たちにも伝わってきた気がした。

部屋はますます震え、それは歌というか波だったと思う。
これほどの力が男の中には眠っているのか。

さすらいもしないで このまま死なねえぞ

この日の最後のフレーズは、これだった。
60%、80%と上げてもらって、100%になったとき、どこまでも突き抜けていく感じがした。

この日出会った「ダチ」との誓いの言葉に思えた。

たった二人の初回。でも、この二人でよかった。

考えてみれば「男になる」というテーマで来てくれる人なんて相当変わった人か勇敢な人だ。で、その勇敢さに僕は触れた。

男ってカッコいい。
そう思えることは、女性だけでなく男性をも満たすんだなと思った。

さすらいもしないで、このまま死なねえ。
僕はまた次のさすらいの旅に出る。そして彼らも。

本当にありがとう。また遊ぼうぜ。


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