見出し画像

誰とイルカだ。

いや、イルカの話じゃなかった。人間関係の話だ。

今日、ある作家さんの工房にお邪魔した。
話が盛り上がりすぎて、奥さんに帰ると告げた時刻を一時間も過ぎてしまった。でも、まだまだ話せそうな勢いだった。話せば話すほど元気になっていったからだ。

そんなふうに話せる人はそうはいない。僕は話すことも聞くことも好きだから、誰とでもわりと話せるけれど、それでも他の人とは明らかに違う。

何が違うかというと、話をしながら照らそうとしている領域が違う。
今日はブルーハーツの『情熱の薔薇』の歌詞にある

答えはきっと 奥のほう
心のずっと 奥のほう

の「奥のほう」の話をしていた。「涙はそこからやってくる」場所。その「奥のほう」の話は、誰とでもできるわけじゃない。また、しようと思ってできるわけでもない。

けれど、僕はそうした「奥のほう」の話をせずにはいられない人だし、その話をすることで活力を増す。驚いたことに、今日、その作家さんと話をしたことで、自分が「しぼんで」いたことに気が付いたのだった。

「奥のほう」の話を、なんの遠慮もなくすることで、僕は風船のように膨らんでいく。そうして膨らんだところからみると、これからすべきことも、自分の ”役目” や生きる意味みたいなものも分かるような境地に到るのに、そこを離れると簡単にしぼんで、すぐに自分を見失う。あんなに確かだった ”役目” や生きる意味も忘れてしまう。すごく大事なことなのに。

だからこそ、イルカだ。いや、誰といるかだ。
僕にとってはこの作家さんのような人といっしょにいて、言葉を交わすことが生命線になっているのだ。いまさらながら、そんなことに気が付いた。

それは好き嫌いとか仲良くするとかいったこととは別の、もっと命や魂に近い場所にかかわることなのだと思う。人はいるべき人といることでしか、自らの姿を見ることができない。そういう意味での。

いま大ヒット中の映画『鬼滅の刃』のキャッチコピーは「命を燃やせ」。
けれど命を燃やすためには、その命を何に捧げるかを知らなければならない。周りの人に合わせているだけだと、僕たちは容易に自分を見失い、命の使い道が分からなくなってしまう。

だからイルカだ。誰といるか。
そうしてお互いを照らし、膨らませながら生きていける人たちこそが、真の意味で一緒に生きていく人なのだと思う。その境界線は思うよりも結構はっきりしているもんだな、と思った。それは冷たいことでもなんでもない。ただの事実だ。

記事を読んでくださって、ありがとうございます。 いただいたサポートは、ミルクやおむつなど、赤ちゃんの子育てに使わせていただきます。 気に入っていただけたら、❤️マークも押していただけたら、とっても励みになります。コメント、引用も大歓迎です :-)