正しい王の崇め方。
僕はずっと、上下関係が苦手だった。
上の人ともっとうまくやれたら、人生ちがっただろうな、と思う。
権威的な立場の人といると、どう接したらいいか分からない。
敬語を一生懸命つかって「敬意」を表そうとするけれど、必要以上に恐れが入って、ぎこちなくなる。
その人がいい人だとわかると、安心して幸せな気持ちになる。
尊敬できる点を見つけるとうれしくなって、その人を崇めようとする。
でも、どういうわけか、いつも僕は、そういう人の嫌な面を目ざとく見つけてしまう。絶対視していた存在がそうでなかったことに幻滅し、一転して批判で頭がいっぱいになる。
権威だって人間だ。
いいところもあれば、そうでないところもある。
そう分かっていても、許せない。
そういうときには、その人の発言や行動がすべて自己満足に見えて嫌気がさす。ひねくれてるなあと思うし、邪悪になったような感じがするが、止められない。
こうした態度は、父へのそれとよく似ている。
僕は子どもの頃、父に怒られないよう、とても気を遣って生きていた。
父が怒ることは、自分の身に降りかかる一番いやなことだったのだ。
また、父のよい面を見つけると安心し、そうでない面を見つけると落胆した。いま目上の人にしているのと、まったく同じだ。
でも、似ていることに気づいたからといって、状況は変わらない。
などと思っていたら、『嫌われる勇気』などの著者、古賀史健さんがイチロー選手の引退会見についてツイートしていた。
記者会見って、聞かれたことにしか答えられない場ですからね。イチローさんが「ちゃんとした質問」を待ち続けてる姿が、見ていて心苦しくて。
取材相手を怖がることと、取材相手に敬意を払うことはまったく違うんだよ。今日の会見には後者がほとんど感じられなかった。
取材相手を怖がる人って、要は自分が傷ついたり恥をかいたりしたくないだけなんですよね。ほんとうの敬意さえあれば、多少拙くても取材の場は成立するはずだと思っています。
なんというか、相手のことを勝手に「天才」枠に入れたとき、その人のことを理解しようとする気持ち(敬意)が消え、ひたすら怯える失礼な取材になるのだと思います。
イチローは、誰もが認める野球の権威だ。
その権威を前にして、怖さを感じる質問者の気持ちが僕にはわかる。
でも、相手を理解しようとする気持ちが消え、ひたすら怯える態度は、失礼なのだ。そして「ほんとうの敬意」があれば、拙くてもいい時間は過ごせるらしい。
あの会見に漂っていた「いやな感じ」がないような、そんな交流ができるのだろうか。あのイチローと。
「ほんとうの敬意」とは、なんだろう。
それが分かれば、先生、師匠、上司......父、そういった「上」の人たちと、もっと気持ちよく接することができるのかもしれない。
上下関係にまつわる支配と束縛。
そこから逃れて安心したい。対等でありたい。
そう願う自分が、一番上下関係にこだわっている。
全然、相手を対等とは思えない。
それが苦しいから「ティール組織」なんかにハマって、上下関係そのものをなくしたがっている。
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