雨森小夜の誕生日で思う、Vtuberによる一瞬の“救い”とファンによる一生の恩返しの話
雨森小夜さん、お誕生日おめでとうございます!🎉
そして今日まで引退せず活動を続けていただきありがとうございます。
先日ホロライブ所属の桐生ココさんが引退を発表されましたが、やはりファンにとってVtuberさんの引退は辛いものでして、しかも桐生さんといえば登録者100万人を超えてた方でもありますから、驚きも凄くありました。
にじさんじでは3月に登録者50万人を超えていた御伽原江良さんが引退されましたし、いかに人気者であっても突然引退されてしまうのがこのVtuber業界。
そもそもデビューから2年以内に辞めてしまう方も多い中で雨森さんは配信頻度こそ少ないですが、こうして3度目の誕生日を迎えてくださった。それが何よりも嬉しいのであります。
今回はそんな雨森さんへ日頃の感謝を伝えるとともに、Vtuberさんの存在がファンにもたらす意味や僕達ファンがVtuberさんに恩返しできる唯一の方法など、ここ最近考えていた事を記しておきたいと思い、書かせていただいている次第です
雨森小夜
さて、雨森さんがデビューされてから8月で丸3年。これを読んでくださっている皆様におかれましては、それぞれ皆様なりの出会い方があった事と思います。
一瞬の衝撃で一目惚れした方もいらっしゃるでしょうし、なんとなく見ていくうちにハマっちゃった方もいるでしょう。僕なんかはどちらかというと前者でございまして、初めて彼女の配信を見た時の感覚は今でも覚えてます。
誰かを推すというのは非常に良いものでして、彼女を知ってから今日までの3年弱、僕の心は雨森さんによって少し豊かなものになりました。
毎日 #雨森と美術 タグでファンアートを見たり、配信しないかなと考えたり、本当に配信したらテンション上がったり、ツイートでも嬉しくなっちゃったり…まあ本音を言えば毎日配信してほしいのですが(笑)そこは彼女のペースなので仕方ない。
僕は絵を描けないのでこうしてnoteで想いを綴らせていただいたり、野球が好きなので彼女の痛ユニ(実際のユニフォームにアニメキャラクターや推しの名前を入れるやつです)や痛タオルなどを作ってファンアートの代わりにさせていただいたり、そういった“推す”という楽しみも彼女によって得る事ができた。
痛ユニ
雨森さんに出会う前の僕は、それまでの主な趣味だったアニメ鑑賞に飽きてきてしまい、1つ趣味が減っていた状態でした。
Vtuberは当時から観ていたのですが、これといった推しはおらず…雨森さんに出会っていなければすぐに観るのをやめてしまっていたかもしれません。
趣味がなくても人は生きていけます。しかし、好きなものはいくつもあった方が良い。
好きなものがあればそれだけで生きる理由になります。仕事をする理由にもなる。好きな歌手やアイドルのライブに行くためになら仕事を頑張れますし、Vtuberファンなら推しの配信を観る為、スーパーチャットを投げるために働ける。
“推し”という存在が僕らの人生に直結する。
そういう存在って今の社会には必要だと思うんですよね。世の中の大半の方は家族の為、そして自分の生活の為に働いている。
ただ生活の為、自分をただ生かす為に働くのには限界がある。生きるには理由が必要だと考えているのですが、その理由をくれているのが僕の場合雨森さんであり、他の方ならそれぞれの推しVtuberだと思うんですよ。
もちろんそれを雨森さんが気負う必要はありません(笑)僕が勝手に生きる理由にしているだけですから。“生きる理由”だとちょっと重たい感じがありますが、要するに僕の人生を豊かにする要素の一部に雨森さんはなってくれたわけです。
推しという存在が心の中にいる事でちょっと人生に楽しみが加わる。家に帰るのが楽しくなり、スーパーチャットやグッズでお金を使うのが楽しくなる。
そういう存在になっていただけただけで感謝しかありません。
時には配信してくれなさすぎて悲しくなったり、スーパーチャットを投げても読んでもらえなくて落ち込んだり、ワガママな葛藤もあります。
しかしそれらすべてを凌駕するほどに雨森さんに出会えた瞬間の喜びというものは大きかった。
雨森さんを知ったあの一瞬で、誇張表現でもなんでもなく、僕は一生分救われた。これからもし雨森さんが引退しても、僕は彼女の事を時々思い出すでしょうし、あの日の出会いに感謝するでしょう。
Vtuberさんって、誰であっても世界のどこかにいる誰かを1人は救っていると思います。もし残念な形で辞めてしまわれた方でも、ファンの人がその人に出会えた瞬間の幸せは嘘にはなりません。
Vtuberさんが存在していた一瞬一瞬も嘘にはなりません。
常々Vtuberさんの存在意義について考えるのですが、結局はこれに尽きると思うんですよね。
配信しない方であっても、炎上してしまった方であっても、不本意な形で辞められていった方であっても、確かに彼ら彼女らは存在していたし、ファンの方の救いになっていた。
Vtuberさんにその気はなくても、必ず世界のどこかにいる誰かの役には立っているわけです。これって凄い事だと思いませんか?
Vtuberさんが誰かにとっての救いになり、救われた方がVtuberさんを生かす。中には変な方向に行ってしまう方もいますし、それが原因で病んでしまうVtuberさんもいる。
必ずしも良い結果になるわけではないですが、それでも出会った一瞬に関してはファンにとって良いものだったと思うんですよね。
では間違った方向へ行かず、Vtuberさんに人生を豊かにしてもらった恩返しをする方法は何か?
・Vtuberさんへの恩返し
有名な話ですが、人間の死は二度訪れると言います。
1回目は肉体的な死。誰にでも訪れる瞬間でありますが、これだけでは人は死なない。
スピリチュアルな話をしてるわけではありません(笑)しかし人は例え死んでも、周囲の人、かつて出会った大勢の人の記憶には残ります。
しかしそういう人達も死んでしまったり、やがて忘れてしまう。そうすると2回目の死である存在としての死が訪れるわけです。
これってVtuberさんでも同じだと思うんですよ。Vtuberさんが引退してしまい、ファンが悲しむ。しかしファンがそのVtuberの存在を思い出さなくなった時、本当の意味での引退が訪れる。
例え引退し、活動していた頃を知らないファンが増えたとしても、僕らが覚えている限りそのVtuberさんはまだ存在している。僕はそう考えます。
引退とまではいかなくとも例えば炎上してしまってイメージが悪くなったり、または何らかの出来事に巻き込まれて配信できなくなったり、そういう事も普通に起こり得る中でファンというのは幾度となく試される。
例えば推しが炎上した時、その人が悪いと思うのであれば叩く人々と一緒になって怒る。それもありだと思いますが、そういう時だからこそ「本当はこんな子なんだよ」と愛を伝える事もできる。
2ヶ月前にホロライブのさくらみこさんが同人誌騒動で炎上した時、叩く人、擁護する人は僕含めて大勢いたわけですが、そんな中で1人素敵な記事を書いていらっしゃった方がいました。
iseさんという方が書いたnoteに僕は感銘を受けまして。
この記事の中でiseさんはあの件を擁護するでも批判するでもなく、自分の中のさくらみこさんへの愛を形にした。
炎上した姿がそのVtuberさんのすべてではない。もちろんその人自身の性格が起因して起こる事ではあるでしょうが、人間は多面的な生き物であり、一部の情報ですべてを語る事はできない。
炎上している時でも、いやしている時だからこそ、ファンは愛を叫ぶ事ができる。むしろファンにしかできない。そういう事もあるのだと教えられました。
つまりファンは推しへの愛を形にできるわけです。このようにnoteで表現しても良いですし、ファンアートを描いてもいい。歌を作っても良いし小説を書いてもいい。なんでもいいんです。
自分の持っている推しへの愛を形にする事で、推しの存在を周囲に知らせる事ができる。
そして仮に引退してしまう事があっても、推しがどんな存在だったかを語り継ぐことによって存在を生かし続ける事ができる。
それが推しへの唯一の恩返し方法だと、僕はこう思うわけです。
僕が継続的に雨森さんに関するnoteを書いているのもこれが理由です。自分なりの愛の形を文章で表現する事で、雨森さんに感謝を伝えたい。
そして読んでいただいた方で雨森さんを知らない方がいたら、ぜひファンになってもらいたい。
1人でもファンが増えて彼女を思う人が増える事で、雨森小夜という存在が1日でも長く生かされてほしい。それが僕の願いです。
雨森さん、改めて誕生日おめでとうございます。
配信頻度が多くなくても構いません。3Dになるのもいくらでも待ちます。
あなた自身のペースでこれからも配信なさってください。
そして、これからもその姿を応援させてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました。それではまた。
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